清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督3 「RAISE UP」
2017年2月13日 更新

清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督3 「RAISE UP」

2002年度の全国大学選手権で、13年ぶりに優勝した早稲田大学ラグビー部は、新スローガン「RAISE UP(レイズアップ)」を掲げ、オールブラックス(ニュージーランド学生代表)に勝った。 しかしシーズン途中、イラク日本人外交官射殺事件が起こり、よき先輩であり、最強のスローガン「ULTIMATE CRASH」の生みの親でもある奥克彦が殉職され、「やはり俺たちには、アルティメットクラッシュしかない」と気づく。 そして社会人チームに勝利するという16年ぶりの快挙を成し遂げた。

2,205 view

社会人チームに勝利 16年ぶりの快挙

 (1811163)

2004年、清宮監督就任4年目。
当初の契約期間、3年を過ぎたが、留任が決まった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私、清宮克幸は2001年に早稲田大学ラグビー蹴球部ROBクラブより監督就任の依頼を受け、勤務先であるサントリー株式会社の了解を得て、弊部の監督を3年間務めてまいりました。
当初の予定では、2003年度の公式戦日程の終了をもって任期を満了する予定でしたが、これに先立ちまして関係各位との協議の結果、2004年度から2年間の任期延長を認めていただきました。
これまでの毎日が私にとって挑戦の連続でありましたが、今一度この3年間を総括するとともに、新たに与えられた2年間という貴重な機会に全力で取り組む所存です。
私自身の所属会社であるサントリー株式会社のモットーの1つではあります「スポーツの夢と感動を大切にします」の実現を目指し、支えてくださる多くの皆様のご期待にお応えしたいと考えております。
今後とも引き続き、関係各位のご指導とご鞭撻を賜りますよう心からお願い申し上げます。

やります。
雪辱します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「リセットしてもう1度やり直そう。」
2004年1月29日、失意の大学選手権から1ヶ月。
試験期間を乗り越え、早稲田大学ラグビー部は、臨戦態勢を整えた。
彼らのシーズン当初からの目標は、社会人を倒しての『日本選手権ベスト4』。
キツい頭の体操を終えた選手たちはこの日、日本選手権へ向け最終調整を行った。
激しいタックル、飛び交う怒号、上井草グラウンドは熱気に包まれた。
伊藤雄太

伊藤雄太

2004年2月20日、コカコーラ戦の前夜、事件が起きた。
清宮はスタッフと一緒に食事に出て23時半ごろホテルに戻った。
部屋に向かって歩いていると、選手の部屋のドアの隙間から笑い声が聞こえてきた。
フッと覗くと、伊藤雄太がタバコを吸いながらトランプをしていた。
伊藤雄太は、123kgの巨体でありながら瞬発的なパワーもあり、スクラムが圧倒的に強いという長所があった。
しかし前後半を通じて走りきるスタミナが足りなかった。
清宮は、伊藤に短所である持久力の向上を体重を落とさないで行うことを求めた。
そして清宮と伊藤は約束をした。
「今年は最後の年だ。
タバコを止めると約束してくれ。」
伊藤は了承した。
しかし伊藤は男と男の約束を破った。
清宮はその場にいた数人を部屋に帰し、
「もうお前を試合に使わない。」
と伊藤にいい、渡してあった3番の赤黒のジャージを持って部屋に帰った。
伊藤は焦った。
明日は大事な社会人との試合。
しかも負けたら引退。
伊藤は半泣きで清宮の部屋の前で立った。
清宮にとってもこれは痛手だった。
清宮は、伊藤が靭帯を切ってもスタメンで使い続けた。
それほど絶対的な強みを持つ選手だった。
しかし試合の勝敗よりも大事なことを伊藤に伝えなければいけないと思った。

コカ・コーラウエストレッドスパークス(旧:コカ・コーラウエストジャパン) PV

2004年2月21日、 朝、清宮はリザーブの選手にいった。
「お前、3番でスタメン。」
その選手は驚いた。
日本選手権3回戦 早稲田大学vsコカ・コーラウエストジャパン。
前半、開始15分まで早稲田が10点リードした。
しかしその後はコカコーラが次々とインゴールし、前半終了時には10-22でコカコーラが12点リードした。
ハーフタイムで怪我で欠場している太田尾竜彦キャプテンがチームを鼓舞した。
「負けたら本当に最後。
とにかくやらなきゃ。」
後半3分、コカコーラがトライ
10-29。
その差は19点。
ここから早稲田は猛攻を開始。
沈黙していたバックス陣が息を吹き返し速さでコカコーラを翻弄した。
7分、今村雄太がフェアキャッチからの速攻、70mを走り切って独走トライ。
21分、再び、今村雄太が柔らかいランニングで60mを1人旅。
29-29。
同点に追いつく。
清宮はここで伊藤を出した。
「伊藤、行け!」
清宮にいわれた伊藤は、体中からエネルギーを噴出させるような勢いでグラウンドに飛び出していった。
そして相手ゴール前のスクラムで相手を圧倒し、伊藤のプレッシャーがコカコーラの反則を誘った。
30分、早稲田がペナルティキックを決めて逆点。
32-29で早稲田が勝った。
社会人の頂点であるトップリーグには入っていない社会人三地域リーグ6位のコカコーラウエストジャパンだが、学生が社会人を破ったのは16年ぶりの快挙だった。
清宮も、自身がキャプテンの時、神戸製鋼にボロボロにされて負けた。
あのまま伊藤を出さずに試合に負けていたら問題になっていただろう。
しかし約束を守らないことが許されればチームモチベーションは維持できない。
清宮が伊藤に伝えたかったこと。
それはチームのモチベーションを維持する重要さだった。
桑江崇行

桑江崇行

2004年2月29日、日本選手権4回戦、早稲田大学 vs ワールドファイティングブル。
ワールドは目標であるトップリーグのチームである。
前半、重いワールドフォワードに早稲田フォワードは低さで対抗した。
「フォワードがしっかり守ってターンオーバーすれば1発でトライが取れると思っていた。」
(桑江崇行)
桑江は、191cm。
高校のときU-19候補に呼ばれるも受験のため辞退。
しかし筑波大学に不合格。
一浪して太って体重111kgで早稲田に入学。
その後20kg減って91kgだった。
3分と26分に、早稲田はペナルティーゴールを決め、前半は6-5で早稲田リードで折り返した。
後半、重厚さで勝るワールドはモール攻撃を仕掛け、7分、12分にトライを奪って9-19。
観客は大きなため息をついた。
「そんなトライ気にするな。
ここからトライを取りに行け。」
(清宮)
しかしここから早稲田は一気のギアチェンジし高速展開で攻めた。
32分、ワールド陣内22mでペナルティーを得ると、ループからロングパスで相手ディフェンスを分断し、インゴールに飛び込みトライ。
ゴールキックも決まって16-19。
1トライ差まで迫る。
35分、早稲田は自陣内のラインアウトからアタックを仕掛けるが、ワールドはそれをターンオーバーしトライ。
このトライが試合を決めた。
その後もワールドがトライを重ね、16-26でノーサイド。
早稲田大学ワグビー部の2003年度シーズンは終わった。
目標だった「大学選手権優勝」、「打倒・トップリーグ」は果たせなかった。
しかし「世の中に夢と希望を与える」ことは最後まで堅持した。
30 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督5 「NOTHING TO LOSE」

清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督5 「NOTHING TO LOSE」

2004年度、早稲田大学ラグビー部は、全国大学選手権で優勝。 日本選手権でも社会人チーム:タマリバクラブを撃破したが、トップリーグチーム:トヨタ自動車には惨敗した。 2005年度の目標は、「打倒・トップリーグ」だった。
RAOH | 3,431 view
清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督4 「荒ぶる」

清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督4 「荒ぶる」

2003年度、全日本大学選手権決勝で、関東学院にリベンジを許し、王座から引きずり降ろされた早稲田大学ラグビー部は、2004年度、大学日本一を取り返すことを誓った。「荒ぶる」は復活なるか?
RAOH | 1,930 view
清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督2 「ULTIMATE CRASH」

清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督2 「ULTIMATE CRASH」

2001年度の全国大学選手権決勝で関東学院大学に敗れた清宮ワセダは、「ULTIMATE CRASH(アルティメットクラッシュ)」を掲げ、爆発。 早稲田大学ラグビーが通った後はぺんぺん草も生えないような、究極的な強さを目指し、2002年度の全国大学選手権決勝戦で、関東学院を破って、13シーズンぶりに全国大学選手権で優勝した。 そして早稲田ラグビーフィーバーが始まった。
RAOH | 3,117 view
清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督1 「OVER THE TOP」

清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督1 「OVER THE TOP」

清宮克幸は、大阪府立茨田高校でラグビーを始め、高校日本代表となった。 そして早稲田大学では、2年生で、伝説の雪の早明戦を勝ち、全国大学選手権を優勝。 そして日本選手権でも社会人チームを破って優勝。 4年生で、主将として全国大学選手権優勝し、日本選手権で神戸製鋼に敗れた。 1990年、サントリーに入社し、ラグビー部主将となり、チームを初の日本一に導き、2001年、早稲田大学ラグビー部監督に就任した。
RAOH | 12,098 view
大西鐡之祐 むかし²ラグビーの神様は、知と理を縦糸に、情熱と愛を横糸に、真っ赤な桜のジャージを織り上げました。

大西鐡之祐 むかし²ラグビーの神様は、知と理を縦糸に、情熱と愛を横糸に、真っ赤な桜のジャージを織り上げました。

「どんな人でも夢を持たない人間はいない。 夢は人間を前進させ、幸福にする。 唯、夢がその人を幸福にするかしないかは、その人の夢の実現に対する永続的な努力と情熱にかかっている。」
RAOH | 21,020 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト