【天才投手】野球が好きじゃないのに182勝も挙げた元メジャーリーガー『石井一久』
2016年11月25日 更新

【天才投手】野球が好きじゃないのに182勝も挙げた元メジャーリーガー『石井一久』

今では天然やおもしろい元野球選手として注目を浴びている石井一久。彼がすごいのは面白さだけではなかった。 野球のセンスだけでやってこれた彼の生き様をご覧ください。

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野球が好きじゃない石井一久

石井一久

石井一久

生年月日 1973年9月9日(42歳)
身長 185 cm 、 体重 100 kg
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 ドラフト1位
初出場 NPB / 1992年6月9日
MLB / 2002年4月6日
最終出場 NPB / 2013年8月14日
MLB / 2005年9月28日
石井 一久(いしい かずひさ、1973年9月9日 - )は、千葉県千葉市若葉区出身の元プロ野球選手(投手)。現在は吉本興業の契約社員。マネージメントは吉本興業スポーツ部。
妻はフリーアナウンサーの木佐彩子。

経歴と表彰

経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
東京学館浦安高等学校
ヤクルトスワローズ (1992 - 2001)
ロサンゼルス・ドジャース (2002 - 2004)
ニューヨーク・メッツ (2005)
東京ヤクルトスワローズ (2006 - 2007)
埼玉西武ライオンズ (2008 - 2013)

背番号
16 (1992年 - 2001年、2006年 - 2007年、2009年 - 2013年)
17 (2002年 - 2004年)
23 (2005年)
61 (2008年)
タイトル
NPB
最多奪三振:2回 (1998年、2000年)
最優秀防御率:1回 (2000年)
最高勝率 1回 (1995年)

表彰
NPB
月間MVP:2回 (1995年8月、1997年9月)
JA全農Go・Go賞:2回 (最多奪三振賞:1998年5月、2007年5月)
日本シリーズ優秀選手賞:2回 (1997年、2001年)
MLB
ルーキー・オブ・ザ・マンス (2002年4月)
Baseball Digest ルーキーオールスターチーム (2002年)

石井一久の生い立ちとプロ入り前

実は石井、小学校低学年のとき喘息を持っていた。
それを見かねたお父さんが「野球でもやったらどうだ?」という言葉を受け
野球を始めたそうだ。
しかし、中学に入りサッカーのほうが楽しくなってしまった石井少年。
結局野球に戻らずサッカーをしていた。

そして3年生の時に最後だから戻ってこいと言われ、野球に行ったそうです。
その結果・・・たまたまホームランを2本打ってしまい(笑)
そのセンスを買われ、高校に来なさいとスカウトされたそうです。

ご両親もプロに行けるんじゃないかという期待をもっていたが、本人はその気が無かったんです。
だから、高校卒業したらやめちゃおうかなぁ・・・。って気持ちだったとか・・・。

でもプロのスカウトがいっぱい来ちゃったので渋々プロの道を決めたそうな。
ヤクルトに1位指名された当時の石井一久

ヤクルトに1位指名された当時の石井一久

1989年3月に千葉市立みつわ台中学校を卒業、東京学館浦安高等学校に入学。高校1年生時から投手を始めたが、練習試合初登板時には5回で20何点も取られたという。
その後、全国大会(甲子園)出場はならなかったものの1991年の夏には千葉県大会予選4試合で52奪三振を記録し、注目を浴びた。石井はプロ入りを希望し、同年のプロ野球ドラフト会議で単独1位指名を受けたヤクルトスワローズに入団。
学生時代にサッカーを本格的にプレーした経験があり、「笑っていいとも!」出演時には「野球は向いてない」「サッカーをやりたかった」「知らないうちにプロ野球選手になっていた。両親は喜んでいたけど、僕はうれしくなかった」などと話している。
サッカーは現在でも好きで、球界きってのサッカー好きである。

フォームの特徴

 (1521560)

石井の特徴といったら、振り上げた右足をステップしてから着地させたときに、右ひざが突っ張る。
だが、本来このやり方は良くない。
なぜならば、体重移動で生んだ並進エネルギーがその突っ張りと衝突してしまうから。
でもどうして彼は平気なのか?
その答えは、股関節に柔らかさと強さがあるからでないかと言われている。
 (1521562)

投球時に上げた右足の膝が胸の前で構えた右肘に当たる特徴的な投球フォームとノーワインドアップのスリークォーターから投げる平均球速約142km/h[9]、最速97mph(約156km/h)の速球に加え、カーブとも呼ばれるほどの独特の大きな変化を見せるスライダー(スラーブ)[17]、フォークを武器とする。2001年までの通算奪三振率9.70と奪三振が多く、1998年には日本記録となる奪三振率11.047を記録した。メジャーでも2003年までは奪三振率8.46と三振が多く、決め球であるスライダーはメジャーでも高く評され、2002年に対戦したトッド・ヘルトンは「(バッターボックスの)直前まで球種の判別が出来なかった」と語った。一方で好不調の波が激しく、2001年までの通算与四球率4.65と制球力に難があり、1998年にはセ・リーグのシーズン最多記録(達成当時はNPB最多記録)となる20暴投も記録している。
2004年頃からは変化球や投球術を駆使した技巧派の投球スタイルに変わり、それまでの球種に加え、ツーシームとカットボール、チェンジアップを投球に取り入れるようになった。かつては「速球で三振を取れなくなったら引退する」と語っていた[9]が、技巧派のスタイルになってからの平均球速は約138km/hと球速は下がったものの2006年の日本球界復帰後の通算奪三振率は7.78(2012年シーズン終了時)とさほど落ちなかった。本人も「三振の取り方は知っている」と発言している 。

ヤクルト時代の石井一久

1992年、新人の石井は「将来のエース」として背番号16という若い数字を与えられて期待され、日本シリーズ第3戦では前代未聞となる「レギュラーシーズンで未勝利の高卒新人ながら先発登板」を果たす。
高卒新人投手の先発登板自体、1953年の中村大成、1956年の稲尾和久、1966年の堀内恒夫、2007年の吉川光夫含めて5人だけ。全守備位置を通じて高卒新人のシリーズ先発出場は1988年の立浪和義以来4年ぶり、1990年代では唯一の事例。4回に2点を失い降板、敗戦投手となっている。
1993年、8月3日の対阪神タイガース戦でプロ初勝利を達成するが、この試合は雨天コールドゲームでの勝利だった。
1994年、チームが慢性的な左投手不足であったため、中継ぎ・谷間の先発を担い、リーグ2位の54試合に登板。
1995年、初めての規定投球回数到達と2ケタ勝利(13勝)を達成し、2年ぶりのリーグ優勝における中心選手の一人となった。
1996年、勤続疲労により開幕から故障離脱。後半戦復帰したが思うような投球ができずオフに左肩を手術する。

石井一久 ノーヒットノーラン - YouTube

1997.09.02

200勝目前に引退してしまう

2012年5月25日、対ヤクルト戦で自身5年ぶりとなる完封勝利、6月13日の対阪神戦では自身初となる無四球完封を記録。
シーズンで複数回完封勝利を記録したのは1997年のシーズン以来。4年ぶりの2桁勝利を達成したが、怪我から2軍に落ちる、10勝目を挙げて以降は勝ち星が無いなど課題の残ったシーズンにもなった。
2013年は左肩の不調で出遅れ、わずか7試合の登板に終わった。全て中継ぎ登板だった。9月24日、今季限りで現役を引退することを発表。


182勝をし、200勝も夢ではなかった。
しかし、なぜ彼は200勝をしなかったのか。
「けが?」「体力の衰え?」そう思った人がほとんどだろう。

しかし、彼の理由はそんな事ではなかったのだ。
その理由は

「マンネリ化」

・・・・・・?

え?石井さん。。。どういう意味ですか?

石井曰く、長く野球やってると、夏終わって秋になって冬になってまた野球が始まる。
22年ずっと同じサイクルで、そろそろ人生何かを変えたい。じゃないと人生ずっと回りっぱなしだから。

というもの。

何この大物発言・・・・(笑)

ちなみに体力の限界では無く、やってみないとわからないがやれる自信はあった模様。

しかしどうして200勝を目の前に辞めてしまったんでしょう?

本人は、200勝なんてどうでもいい。182勝したんだから別にいい。
200勝したら人生素晴らしいかといわれてもそうではないと思う。

とテレビ番組で申しておりました。

幼少のころから野球に対しては無関心というか、本当にセンスだけでここまでやってこれたんじゃないのかなぁと思いました。


そんな不思議な選手、石井一久の名言はこれだけではない!!!

彼の素晴らしい名言をご紹介しましょう~。
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