日本初だったアニメーション作品の数々をご紹介します。
2019年8月27日 更新

日本初だったアニメーション作品の数々をご紹介します。

日本アニメーションの草創期を舞台にした連続テレビ小説「なつぞら」が人気です。私たちにとって1970~80年代のアニメはいまも記憶に残るモノばかりですが、日本アニメーションの起源はどこにあるのか調べてみましたのでご紹介します。

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私たちの幼少期の思い出には欠かせないのが、数々のアニメーション作品

漫画とセットでの思い出だったり特撮の思い出、あるいはスポ根のイメージだったり。いまでもアニソン大好きな大人になっていたりと、アニメとの関りは十人十色。そんな日本のアニメーションを形作った「日本初」とされるアニメーション作品たちを見ていきましょう。

なお、かつてのアニメーションにはセル画の他に人形や切り紙、スライドなど様々な技法があるものの、とくに技法にこだわってまとめてはおりませんのでご了承ください。

また、高畑勲監督によれば「鳥獣人物戯画」「信貴山縁起」「伴大納言絵巻」など古の絵巻物にはアニメーション技術の起源をみることが出来るとされていますが、この点についても本稿では省かせていただきます。

事実動いているアニメーションで「日本初」とされているものの数々をご紹介することとします。

1917年、日本初のアニメーション映画

世界では、実写部分を含まない純粋な短編アニメーション映画として1908年、フランスの風刺画家エミール・コールによる「ファンタスマゴリ」という映画が発表されています。以後、アメリカや映画発明国フランスでは線画でのアニメ映画製作が盛んになりました。

日本においては大正時代、外国から輸入されたアニメーション映画の人気を受けて天然色活動写真株式会社(天活)が1916年に北澤楽天の弟子・下川凹天を、日活向島撮影所が1917年1月に洋画家の北山清太郎を、同年に小林商会が下川凹天とおなじく楽天の弟子・幸内純一を雇い入れ、それぞれアニメーション映画の研究を開始して日本初を賭けた競争となりました。

なお、北澤楽天は「日本の近代漫画の祖」とされる人物で日本で最初の職業漫画家と言われています。

3社ともに1917年に短篇アニメーション映画を公開

結果、3社がともに1917年に短篇アニメーション映画の公開にこぎつけました。

-凸坊新畫帖 芋助猪狩の巻…1917年1月:天活
-猿蟹合戦…1917年5月:日活
-塙凹内名刀之巻(なまくら刀)…1917年6月:小林商会


厳密にいえば日本初は下川凹天ですが北山清太郎幸内純一との差は数か月でそれぞれ独自の技法で製作しているため、この3人をもって「日本アニメーションの創始者」とすることが多いようです。

3作のうち、塙凹内名刀之巻(なまくら刀)はいまなお観ることが出来ます。

なまくら刀 塙凹内名刀之巻(1917年)

以後、数分程度の短編アニメーション映画が製作されるようになりましたが当時の技法は切り絵アニメーションで、セル画が用いられるようになったのは1930年頃のことでした。

太平洋戦時下でのアニメーション作品

戦時下にあっては、戦意高揚を目的とするアニメーション作品の製作が行われました。当時の軍部が提供した潤沢な製作予算は、アニメーション技術の向上に資するものだったとの評価もあるようです。

1942年、日本初の長篇アニメーション映画

政府から国策アニメ映画製作の指示を受けて藝術映画社で製作された「桃太郎の海鷲」。1943年3月25日に公開されたこの作品が日本初の長編アニメーション映画とされています。

監督が瀬尾光世。内容は戦意高揚を意図し、真珠湾攻撃をモデルに桃太郎を隊長とする機動部隊が鬼ヶ島へ「鬼退治(空襲)」を敢行して多大な戦果を挙げるというモノ。当時の子供たちを差す「少国民」を対象にしていますが、随所に平和への願いが暗示されている箇所があります。

内容はともかくとして構図や動きをみてもこれが戦時下に生まれた作品と思うと驚きのクオリティーですが、作品を作る前に瀬尾監督は海軍将校からもらった(日本軍が占領地で接収した)ディズニー映画を鑑賞する機会を持ち、生き生きとしたキャラクターの動きやカラー製作、当時の日本とは比べようもない制作技術の高さに衝撃を受け「これは勝てない」と感じたそうです。

桃太郎の海鷲

1943年、日本初のフルセルアニメーション

1943年4月15日、松竹動画研究所によって製作・公開された日本初のフルセルアニメーション映画「くもとちゅうりっぷ」。原作は横山美智子の童話集「よい子強い子」(1939年、文昭社)の中の一編で監督は政岡憲三。16分の作品に2万枚の動画枚数をかけた作品で、こちらも戦時下のアニメーションですが「桃太郎の海鷲」のように国威高揚を意図してはいないミュージカル仕立ての作品です。

戦前のアニメ映画 くもとちゅうりっぷ 1943年(昭和18年)

公開時には監督官庁から、てんとう虫の女の子が白いことから白人、黒いクモを当時で言う南洋の土人と解釈され、大東亜共栄圏を築くために日本が南洋の原住民と友好関係を築く必要があるのに、日本人の味方とすべき南洋の土人を悪役として描き、かわいらしく描いた白人をいじめるという内容とみなされて文部省の推薦を得ることが出来なかったそうです。

漫画家の松本零士はこの作品を見て漫画家を志したそうで、手塚治虫もこの作品を同じ劇場で鑑賞していたそうです。

キャラクターの演技と嵐のシーンの雨の作画とその叙情性から、日本のアニメーション史に名を残す傑作と評されています。

1958年、日本初のカラーアニメーション2作品

戦後しばらくはモノクロのアニメーション時代が続きます。

テレビの普及とともに1953年のフルコマ撮りアニメーション「ほろにが君の魔術師」や1957~59年の「漫画ニュース」(静止画と部分アニメーションの活用)などがありました。

1958年7月14日には、テレビ用に制作された国産初のカラーアニメ作品とされる「もぐらのアバンチュール」が放送。
カラーテレビ放送の実験放送用として、村田映画製作所出身の鷲角博(わしずみひろし)に日本テレビが試作させ、6月に完成したアンスコカラー(英語版)16mmの10分作品。セリフと歌は中島そのみ。切り絵風の絵柄で、実験的な表現が随所にみられる。日本における最初期の国産テレビアニメにして、日本初の国産カラーテレビアニメでもある。内容はモグラのくろちゃんが夢の中で宇宙旅行に出かけるというストーリー。
ただし1958年当時のカラー放送は実験放送期間中であり、また国産のカラーテレビが市販開始されたのは1960年のため、カラーで放送されていたとしてもそれを見た人はかなり限定されているようです。
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