1970年イタリアグランプリ:ヨッヘン・リント(チーム・ロータス) - YouTube
マシンはパラボリカへのブレーキングで急激に左へ転回し、ほとんど最高速を保ったままコース外側の壁に激突
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リントは身体が前方へ移動するのを防ぐために股の間に装着するシートベルトの付け心地を嫌っており、事故の際にも着けていなかったと言われている。
そのため事故の衝撃で身体が車体前方へと一気に潜り込み(サブマリン現象)、腰の部分にあるシートベルトのバックルが喉の位置まで来てしまった。バックルは金属製のため喉が切り裂かれてしまい、これが致命傷になったという。
ベルトの圧迫で胸郭が破裂したことが死因という見方もある。
事故の衝撃で車体前部がもぎ取られたため、潜り込んだ足が前方に露出する結果となった。この模様は映像として記録されており、事故の悲惨さを現在に伝えている。
当時のロータスには「速いが危険なマシン」を造るという噂が根強くあり、軽量化を優先するあまり各部の強度が足りない、あるいは信頼性に疑問のある新奇な機構を安易に採用する、などとよく言われていた。
リント自身もロータスへの移籍が決まった際には「これで僕は事故死するか、チャンピオンになるかのどちらかだ」と冗談を飛ばしていたという。
恐ろしいことに「チャンピオンになること」と「事故死」の両方が実現してしまったことになる
1980年代に「カーボンモノクッコ」シャーシが普及して安全性が高まる
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Cutaway F1 Race Car - The Original Video - Sauber F1 Team - YouTube
BMWザウバー・F1.08のカーボンモノコックの断面図の解説動画
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当時はカーボンモノコックの強度の高さから、「もうF1で死亡事故が起こることはない」とまで言われていたため、死の衝撃は大きかった。
技術的に安全性が高まっても、スピードや危険な走行を追及すれば、やはり事故は起こる・・・マシントラブルや人的ミスを100%完全になくすことも不可能
3度の世界チャンピオンであるジャック・ブラバムは、1990年日本GPの1コーナーでプロストと接触した件について、自分たちの時代には集団の先頭であのような事故は起きなかったと述べ、マシンの安全性向上によってドライバーのモラルが低下したと嘆いた。
レース運営面でも、重大事故発生時の赤旗中断や黄旗およびセーフティーカー導入によるレースコントロールが強化されていく(1993年)
1992年にルールが制定。1993年のブラジルGPまでの間、F1においてセーフティカーが使用されることはなかった。