テクノロジーの進化により危険なコーナーへと変貌、「イモラ・サーキット」のコースレイアウト上の問題により高速でコンクリート壁に激突してしまうリスクが発生していた
ホームストレートから左に緩やかなカーブを描き、左・右・左と切り返すタンブレロ (Tamburello) を通過する。
かつてはアクセル全開で通過する超高速コーナーであったが、1987年にネルソン・ピケが初日の予選中にクラッシュ、1989年にはゲルハルト・ベルガーがレース中にクラッシュしマシンが炎上、そして1992年にはウイリアムズのリカルド・パトレーゼがテスト中にクラッシュし首を負傷するなど、テクノロジーの進化により危険なコーナーへと変貌していった。そして1994年、アイルトン・セナがレース中にクラッシュ、死亡するに至る。
これらのクラッシュは全てタンブレロを直進してコンクリート壁に激突するという共通点を持っていた。
この種のリスクに対しては、コンクリート壁を後退させてランオフエリアを拡大するか、コンクリート壁の前にタイヤバリアを敷設するなどの対応が考えられるが、このコーナーのすぐ外側にはサンテルノ川が流れており、ランオフエリアのスペースを拡大することができず、タイヤバリアの敷設にしても衝突時の飛散のリスクを考慮すると、やはりコースとの距離が絶対的に不足しており、採用することができなかった。
そこで高速コーナーを廃止し、1995年からは内側に切り込むシケイン状のコーナーに姿を変えた。
イモラ・サーキット
コースが難しいところは戦いの見所、選手たちの攻略の腕の見せ所となる。
コース上の難所や事故が起こりやすい場所で発生するリスクに対して万全な対策が施されているかどうかが問題。
1994年のイモラのレイアウトは、リスクを回避する十分な対策が施せていなかった。
コース上の難所や事故が起こりやすい場所で発生するリスクに対して万全な対策が施されているかどうかが問題。
1994年のイモラのレイアウトは、リスクを回避する十分な対策が施せていなかった。
1994年のイモラのレイアウトは1981年より使用されていたものだったが、以後、F1のレースでは二度と使われることは無かった。
サーキットは大きく改修され、タンブレロも変更を受けた。
タンブレロではゲルハルト・ベルガー(1989)、ネルソン・ピケ(1987)、リカルド・パトレーゼ(1992年・合同テスト中)の大きな事故が起こっており、高速コーナーから低速のシケインへと姿を変えた。
1994年サンマリノグランプリ以降、FIAはF1カーの設計に関する規則(F1レギュレーション)も変更
自動車競技の統轄機関である国際自動車連盟 (FIA) が制定している『F1レギュレーション』
(画像説明)1975年シーズン F1マシン寸法規定の一例
FIA /1975 YEARBOOK OF AUTOMOBILE SPORTより
F1のレギュレーションは次の2種類からなる。
スポーティングレギュレーション (Sporting Regulation)
競技面の規約。レースの運営手順、入賞者へのポイント配分、違反行為への罰則などを定める。
テクニカルレギュレーション (Technical Regulation)
技術面の規約。競技車両(フォーミュラ1カー)の各部寸法・重量・許容性能・安全基準などを定める。
(出典:Wikipedia「F1レギュレーション」)
FIA /1975 YEARBOOK OF AUTOMOBILE SPORTより
F1のレギュレーションは次の2種類からなる。
スポーティングレギュレーション (Sporting Regulation)
競技面の規約。レースの運営手順、入賞者へのポイント配分、違反行為への罰則などを定める。
テクニカルレギュレーション (Technical Regulation)
技術面の規約。競技車両(フォーミュラ1カー)の各部寸法・重量・許容性能・安全基準などを定める。
(出典:Wikipedia「F1レギュレーション」)
via www.geocities.jp
FIAはF1カーの設計に関する規則も変更した。1994年の車両では1995年の規則に対応することができなくなり、1995年に向け全てのチームが完全に新設計したマシンを作製しなければならなくなった。
決勝日の朝に行われたドライバーズブリーフィングでセナとベルガーから懸念が提起されたことがきっかけとなり、グランプリ・ドライバーズ・アソシエーション(GPDA)が次戦1994年モナコグランプリで再結成された。
1961年に設立されたGPDAは、1982年に解体されていた。再結成の主な目的は、イモラの事故を受け、安全向上のためにドライバーが話し合う場を設けることだった。
この年のモナコグランプリでは、最前列の2グリッドにはブラジル国旗とオーストリア国旗がペイントされ、命を落とした2人のドライバーを追悼するためにグリッドが空けられた。また、レース前に1分間の黙祷がささげられた。
F1マシン主要寸法規定/1991シーズン開幕時(illustration:Pioneer LDC 「F1 Grand Prix 1991」)
自動車に関する技術の進歩による危険性の増加にともない、F1のレギュレーションは大小さまざまな変更がなされている。
特に
1968年から起きた、それまでの空気抵抗を抑えるデザインから逆に空気を利用する、流体力学を応用したデザインへの変化
1977年に登場したグランドエフェクトカーとターボエンジンの隆盛
1989年から登場した油圧システムと電子制御によるハイテク化
それぞれによる飛躍的な性能向上に対して、数年後に大幅な規制を行っている。
また、1994年からは、マシンおよびサーキットの安全面を強化する対策が頻繁に盛り込まれるようになっている。
(出典:Wikipedia「F1レギュレーション」)
特に
1968年から起きた、それまでの空気抵抗を抑えるデザインから逆に空気を利用する、流体力学を応用したデザインへの変化
1977年に登場したグランドエフェクトカーとターボエンジンの隆盛
1989年から登場した油圧システムと電子制御によるハイテク化
それぞれによる飛躍的な性能向上に対して、数年後に大幅な規制を行っている。
また、1994年からは、マシンおよびサーキットの安全面を強化する対策が頻繁に盛り込まれるようになっている。
(出典:Wikipedia「F1レギュレーション」)
via www.geocities.jp
このレースにおいて発生した複数の事故は、このスポーツの安全性を高めることの重要性を示した。
12年ぶりにGPDA(グランプリ・ドライバーズ・アソシエーション)が活動を開始し、マシン設計とコースの双方に多くの変更が加えられた。
このレース以後、多くのレギュレーションが変更された。
F1マシンのスピード上昇を抑制し、バーレーンインターナショナルサーキットを始めとする新しく作られるサーキットは広いランオフエリアを持つ設計となり、既存のサーキットも新たな安全基準に合わせるために改修され、ウォールに当たるまでに減速できるようになった。
また、衝突時にドライバーのヘルメットが壁やコックピットサイドにぶつかるリスクを軽減するためのサイドプロテクターの設置や事故時に頭部と頚部を保護することを目的としたHANSデバイスの装着も義務付けられるようになった。
この呪われた1994年サンマリノではピットでも問題が起きていた・・・以降、ピットロードでの速度制限が定められる
事故発生の意外な盲点になりうる「ピットレーン」での安全規制強化も大切
悲劇の1994年サンマリノグランプリではピットでの事故まで起きていた・・・呪われています。
1994年、レース運営の規定変更:
ピットロードのスピード制限(フリー走行:80km/h・決勝:120km/h)(モナコGPから)。
1994年、レース運営の規定変更:
ピットロードのスピード制限(フリー走行:80km/h・決勝:120km/h)(モナコGPから)。
via www.f1-life.net
ゴールまで10周を残し、ピットレーンでミケーレ・アルボレートのミナルディから右リアタイヤが外れた。アルボレートはピット出口で無事停車したが、外れたタイヤはフェラーリとロータスの各2名のメカニックに当たり、それぞれ病院での手当を要した。
難を逃れたフェラーリのメカニックは「周りから叫び声が聞こえたので、何事かと振り返った瞬間にタイヤが自分の鼻先をかすめて行った」と恐怖を語った。
当時のF1ではピットロードに於いての速度制限が定められていなかった事から被害に拍車がかかり、翌モナコGPからピットロードでの速度制限が定められる契機となった。
1994年の最後の死亡事故以来、F1の安全性は大きく進歩したが、ドライバーにとって最大のリスクはコクピットが開放されていることである(飛来物による頭部損傷)。
FIAはドライバー用の頭部保護対策を精力的に検討
走行中の他のF1マシンから外れた部品(スプリングのようなもの)がコクピットに向かって飛んできている
2009年ハンガリーGP予選Q2より
F1マシンは開放型コクピットのため、飛来してきた物体がパイロットの頭部を直撃するリスクが存在する。
F1マシンは開放型コクピットのため、飛来してきた物体がパイロットの頭部を直撃するリスクが存在する。
via blog.livedoor.jp
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2015年8月23日ポコノのインディカー・レース中、他のマシンの破片が当たってジャスティン・ウィルソンが死亡したことを受け、開放コックピットの話題が再び問われている。
2009年、F2レース中に外れたホイールによってヘンリー・サーティーズ死亡し、その1週間後ハンガリーGP中に他のマシンから外れた部品がヘルメットに当たってフェリペ・マッサが瀕死の重傷を負って以来、FIAはドライバー用の頭部保護対策を精力的に検討している。