Jリーグ日本人初ゴールの風間八宏!94年のサンフレッチェ広島初優勝に貢献!
2017年1月9日 更新

Jリーグ日本人初ゴールの風間八宏!94年のサンフレッチェ広島初優勝に貢献!

清水市立商業高等学校の頃から周囲に才能を認めさせ、ドイツでもプレーした風間八宏。Jリーグの黎明期はサンフレッチェ広島で活躍し、初優勝にも貢献した。Jリーグの日本人初ゴールは風間八宏ということをご存知だろうか?

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2017年元日、天皇杯決勝。
川崎フロンターレの監督として臨んだ最後の試合。惜しくも鹿島アントラーズの前に屈し、チームに初のタイトルをもたらすことは出来なかった風間八宏。
来季からはJ2に降格した名古屋グランパスで指揮を執る。

落ち着いた口調で淡々と話す彼だが、実は熱い男だった。
現役時代を振り返りながら風間八宏の哲学に迫っていく。
風間八宏

風間八宏

風間八宏 プロフィール

1961年10月16日生まれ。静岡県静岡市清水区出身。
元サッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。

長男の風間宏希、次男の風間宏矢もサッカー選手。

【個人データ】
・身長 173cm
・体重 67kg
・ポジション MF
・利き足 右足
サンフレッチェ広島時代

サンフレッチェ広島時代

【学歴】
1977年-1979年 清水市立商業高等学校 ※通称「清商(きよしょう)」
1980年-1983年 筑波大学

【所属クラブ】
1984年 ジョイフル本田
1984年-1985年 バイエル・レバークーゼンII
1985年-1988年 FCレムシャイト
1988年-1989年 ブラウンシュヴァイク
1989年-1992年 マツダSC
1992年-1995年 サンフレッチェ広島F.C
1996年-1997年 FCレムシャイト

風間八宏 来歴(高校時代まで)

母子家庭の長男として育つ。母親は磯料理を営み息子3人を育てた。

名門・清水市立商業高校 (後の静岡市立清水商業高等学校)時代から才能を存分に発揮。
大滝雅良監督をして「教える事は何もない」と言わしめたほど。大滝にこれまでの指導法を変えるほどの影響を与えた。(※後年、風間と大滝は共に「清水スペシャルトレーニングセンター」を立ち上げ、若年層の育成にも努めている。)

3年連続で静岡県高校ベストイレブンに選出された。
現・静岡市立清水商業高等学校

現・静岡市立清水商業高等学校

その才能は静岡県に留まらず、日本で開催された「1979 FIFAワールドユース選手権」の日本代表に高校生ながら選出された。仙台向山高の鈴木淳、帝京高の名取篤とともに高校生トリオとして名前を馳せた。

ちなみにこの大会ではアルゼンチンが初優勝。80年代に世界を驚かせることになるディエゴ・マラドーナがゴールデンボール(MVP)に選ばれている。
仙台向山高出身の鈴木淳

仙台向山高出身の鈴木淳

現役時代はフジタや松島サッカークラブ、東北電力/ブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)でプレー。
帝京高出身の名取篤

帝京高出身の名取篤

現役時代は三菱重工業(現・浦和レッドダイヤモンズ)でプレー。
ちなみに、とんねるずの木梨憲武とはサッカー部のチームメイトだった。

風間八宏 来歴(大学時代以降)

筑波大学入学後は蹴球部に所属し、在学中の1980年に日本代表に選出され同年に香港で行われた1982 FIFAワールドカップ・アジア・オセアニア予選(1次予選)にレギュラーとして出場。

卒業後は海外でのプレーを希望し、日本サッカーリーグには所属せず、茨城県リーグのジョイフル本田に所属していた。
ロサンゼルスオリンピック予選終了後の1984年、筑波の恩師である松本光弘の紹介で西ドイツのバイエル・レバークーゼンIIとアマチュア契約にて入団。その後5年間にわたってドイツの2部、3部リーグのクラブを転々とした。
日本代表時代

日本代表時代

1989年にドイツから帰国。
日本サッカーリーグ2部のマツダSCに入部した。翌1990-91シーズンに1部復帰を果たす。
1992年、Jリーグ発足に伴ってサンフレッチェ広島F.Cとして改組。

Jリーグ開幕戦で風間は、開始1分でゴールを上げ、これがチーム第1号ゴールであり日本人選手としてJリーグ初ゴールとなった。
同年、NICOSシリーズの第1節においても、リーグ戦で日本人初めての直接FKによるゴールを決めている。

93年Jリーグ開幕戦 ⑥ サンフレッチェ広島×ジェフ市原

以降も多彩なパスで中盤を操り、またキャプテンとしてチームの精神的支柱となり活躍。1994年のサントリーシリーズ優勝にも貢献した。
1995年に広島を退団。再びドイツに渡り、FCレムシャイトに復帰するが1年で退団し、現役を引退した。
1994年にサンフレッチェ広島が初優勝!

1994年にサンフレッチェ広島が初優勝!

1997年に桐蔭横浜大学サッカー部の監督に就任し、2004年にJFA公認S級コーチライセンスを取得した。2006年8月には日本サッカー協会特任理事に就任。2008年7月の役員改選で「特任」が取れ、元Jリーガーとしては初めて正式な理事となった。また、フジテレビ『すぽると!』などで解説を務めていた。
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