ミス日本に輝いた名女優・山本富士子さん
本日、2017年4月3日発売号から創刊60周年キャンペーンがスタートした『週刊大衆』ですが、1958年4月21日創刊号の表紙はこちらです。
— 週刊大衆 (@Weekly_Taishu) April 3, 2017
表紙モデルは、フィギュアスケートファンで知られる女優・山本富士子さん。
定価は30円。 pic.twitter.com/U1Bqd5Q11v
山本富士子さんの経歴
1949年に、京都の府立高等学校を卒業した山本富士子さん。就職活動に精を出し、日本銀行の就職試験を受けました。結果としては、不採用。適正としては問題なかったものの、その美貌によって男性行員に及ぼす影響を心配しての結果だったそうです。
1950年(昭和25年)。第一回ミス日本コンテストで、満場一致の圧倒的な評価で山本富士子が優勝しました。その後彼女は映画界に入り、日本のトップ女優の仲間入りをします。 pic.twitter.com/rMRLRdPHMy
— 戦前~戦後のレトロ写真 (@oldpicture1900) June 27, 2017
本日の「大映女優」は山本富士子さん。山本富士子が鯉名の銀平の相手役で二役を務める『雪の渡り鳥』と、泉鏡花原作、お蔦役は山本富士子の当たり役『婦系図 湯島の白梅』。明日は京マチ子さん。田中絹代版(お琴役)に続いて谷崎潤一郎原作の二度目の映画化『春琴物語』と増村保造監督『女の一生』。 pic.twitter.com/xO7iEFYKkP
— 新文芸坐 (@shin_bungeiza) January 29, 2018
【TVガイド/あの時あの表紙あの番組(73)】
— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) August 11, 2017
[64.01.03-01.10]山本富士子
'50年、第1回「ミス日本」選出後女優に転身
この年を境に、映画からTVドラマ・舞台へ活躍の場を移す@retoro_mode pic.twitter.com/hpVHeFdfKG
山本富士子さんにまつわるエピソード
所属事務所との移籍トラブルの詳細
1963年1月、大映との契約更改を月末に控え、前年と同じ条件の「年に大映2本、他社2本出演」の契約を主張したが受け入れられず、1月末の契約切れを待ってフリーを主張。大映の社長・永田雅一は烈火の如く怒り、彼女を解雇し五社協定にかけると脅した。山本はフリー宣言をし、同年2月28日、帝国ホテルでの記者会見で「そんなことで映画に出られなくなっても仕方ありません。自分の立場は自分で守ります。その方が生きがいがあるし、人間的であると思います。」と語り、詫びを入れろとの周囲の声に耳を貸さなかった。永田は一方的に解雇し、五社協定を使って他社や独立プロの映画や舞台からも締め出すよう工作する。この事は当時の国会でも取り上げられ、世間でも「人権蹂躙」と非難の声が上がった。
このような話が事実なのであれば酷いですよね。映画やテレビドラマを通し、もっと彼女の活躍する姿を見られたはず。そう思うと、大人たちが勝手に設けたルールで左右されてしまった彼女の人生が不憫でなりません。
ご結婚・家族構成などのプライベート
元々の出生名は古屋武治だそうですが、古賀政男さんの養子となったことで『古賀丈晴』に改名。そして、山本富士子さんと結婚する際、山本家に跡取りの男子がいなかったために婿入りして『山本丈晴』を名乗りました。
お二人の間には息子がおり、名前を山本茂晴さんというそうです。しかし、息子さんについては、ほとんど情報は出回っていないため、一般人として、普通に暮らしているものと推測されます。現在は男の子と女の子、二人のお孫さんもいるそうですよ。
生年月日:1931年12月11日
出生地 :大阪府大阪市西区立売堀
身長 :159㎝
血液型 :AB型
職業 :女優
活動期間:1953年~