【山本富士子】圧倒的な美貌で活躍した昭和の有女優!昔の事務所トラブルなども紹介!
2020年11月8日 更新

【山本富士子】圧倒的な美貌で活躍した昭和の有女優!昔の事務所トラブルなども紹介!

絶世の美人としてミス日本にも輝き、女優として活躍した山本富士子さん。若き日の美貌ぶりは多くのミドルエッジ世代の記憶にも刻まれていることでしょう。今回の記事では、そんな彼女の全盛期を紹介しながら、彼女の半生や作品を通して昔の古き良き時代を振り返っていきたいと思います。

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ミス日本に輝いた名女優・山本富士子さん

本名  :山本富士子
生年月日:1931年12月11日
出生地 :大阪府大阪市西区立売堀
身長  :159㎝
血液型 :AB型
職業  :女優
活動期間:1953年~

山本富士子さんの経歴

1931年、裕福な家庭に生まれた山本富士子さん。母親はパンの製造・販売をしていることで知られるている株式会社・山重の主人の長女で、幼少期の山本富士子さんは裕福な家庭で育ちました。しかし、山本富士子さんが高校生の頃、終戦に伴なって、進駐軍に自宅が押収されてしまい、京都への引っ越しを余儀なくされてしまいます。
1949年に、京都の府立高等学校を卒業した山本富士子さん。就職活動に精を出し、日本銀行の就職試験を受けました。結果としては、不採用。適正としては問題なかったものの、その美貌によって男性行員に及ぼす影響を心配しての結果だったそうです。
1950年、京都市役所の広報課に所属していた父親の友人の推薦で、第1回ミス日本に応募。700人近くの応募者があった中で、初代・ミス日本の栄冠に輝きました。1951年にはミス日本として渡米し、ニューヨークのヤンキー・スタジアムにてマリリン・モンローやジョー・ディマジオに会っています。
ミス日本となって以降、山本富士子さんには映画界からのスカウトが止みませんでした。しかし、当時の彼女には、女優となる意思はなかったため、全てのオファーを断っていたのだそうです。それでもスカウトは途切れることなく続いたため、かなり悩んでいたそうですが、姉から背中を押されたこともあって、山本富士子さんは女優になることを決意します。
1953年、映画会社による壮絶な争奪戦の末、山本富士子さんは大映に所属。その年のうちに、映画『花の講道館』にヒロイン役として出演して女優デビューを飾ります。その後も数々の作品に出演し、大映の看板女優として大いに活躍されました。
1963年には大映との契約更改を迎え、山本富士子さんはフリーになることを主張。これに大映は猛反発し、その後の彼女の芸能生活にも大きな影響を及ぼすことに。大映側の工作によって、山本富士子さんは他社の映画にも出演できなくなってしまいます。
以降、彼女は新境地に活路を見出し、TVドラマ『山本富士子アワー』などの主演をされ、舞台を中心とした活動にシフトしていきました。
事態の発端となった1963年から、すでに大映との移籍トラブルから50年以上もの年月が経過し、その大映は徳間書店と吸収合併されるかたちで体を成していない現在においても、山本富士子さんは映画への復帰は果たしていません。何度か出演オファーの依頼はあったものの、全て断ってきたそうです。

山本富士子さんにまつわるエピソード

所属事務所との移籍トラブルの詳細

1963年1月、大映との契約更改を月末に控え、前年と同じ条件の「年に大映2本、他社2本出演」の契約を主張したが受け入れられず、1月末の契約切れを待ってフリーを主張。大映の社長・永田雅一は烈火の如く怒り、彼女を解雇し五社協定にかけると脅した。山本はフリー宣言をし、同年2月28日、帝国ホテルでの記者会見で「そんなことで映画に出られなくなっても仕方ありません。自分の立場は自分で守ります。その方が生きがいがあるし、人間的であると思います。」と語り、詫びを入れろとの周囲の声に耳を貸さなかった。永田は一方的に解雇し、五社協定を使って他社や独立プロの映画や舞台からも締め出すよう工作する。この事は当時の国会でも取り上げられ、世間でも「人権蹂躙」と非難の声が上がった。
ちなみに五社協定とは、松竹・東宝・大栄・新東映の大手5社によって締結されたもので、それぞれに所属する監督や俳優を貸し借りしないといった協定です。
このような話が事実なのであれば酷いですよね。映画やテレビドラマを通し、もっと彼女の活躍する姿を見られたはず。そう思うと、大人たちが勝手に設けたルールで左右されてしまった彼女の人生が不憫でなりません。

ご結婚・家族構成などのプライベート

1962年、山本富士子さんは作曲家としても有名なギタリスト・山本丈晴さんと結婚しています。山本丈晴さんは、”古賀メロディ”で有名な古賀政男さんを師として仰ぎ、美空ひばりさんを始めとして数々の有名アーティストに楽曲を提供したほどの偉大な存在です。
元々の出生名は古屋武治だそうですが、古賀政男さんの養子となったことで『古賀丈晴』に改名。そして、山本富士子さんと結婚する際、山本家に跡取りの男子がいなかったために婿入りして『山本丈晴』を名乗りました。
お二人の間には息子がおり、名前を山本茂晴さんというそうです。しかし、息子さんについては、ほとんど情報は出回っていないため、一般人として、普通に暮らしているものと推測されます。現在は男の子と女の子、二人のお孫さんもいるそうですよ。

山本富士子さんの主な代表作品

映画
『夜の河』

『夜の河』

公開:1956年
監督:吉村公三郎
出演:山本富士子
   上原謙
   小野道子
   市川和子
   川崎敬三

内容&あらすじ

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