明かされた「もののけ姫」裏話。
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もののけ姫のキャッチコピー「生きろ。」はコピーライターの糸井重里が書いたもの!!
いくつものジブリ作品のコピーを担当した糸井さんですが、もののけ姫に関しては苦難と迷走の末にやっとたどりついたものらしい。
作中でも、アシタカをはじめ様々な登場人物が「生きろ」「生きたい」「生きてりゃなんとかなる」など、生きることへの思いを口にしている。
作中でも、アシタカをはじめ様々な登場人物が「生きろ」「生きたい」「生きてりゃなんとかなる」など、生きることへの思いを口にしている。
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サンがアシタカに食わせようとした干し肉、ビーフジャーキーの3倍の硬さらしい。あの状態のアシタカが噛めるわけないわ(笑)。#もののけ姫 pic.twitter.com/WL28z8Hz2v
— キャッスル (@castle_gtm) August 5, 2016
劇中で死ぬ予定だった?!エボシ御前について
エボシ御前は、タタラ場の人たちには「エボシ様」と呼ばれ尊敬されている人物。「御前」とは、女性の名前につける敬称です。
ものすごく複雑な傷を負いながら、負けない人間。彼女は自分の意思の力で神を殺します。
エボシ御前には、だれにも言えない辛い過去がありました。
エボシ御前には、だれにも言えない辛い過去がありました。
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辛苦の過去から抜け出した女性。海外に売られ、倭寇の頭目の妻となる。そこで頭角を現していき、ついには頭目を殺して金品を持って故郷に戻ってきた。このとき海外(明)で最新式の武器「石火矢」を手に入れ、日本に持ち込んでいる。どうやらエボシ御前自身が「売られた女」だったようですね。
だから同じ境遇の女たちを買い戻してあげているということのようです。病人についても同じ気持ちなのでしょう。自らが弱者だったからこそ、弱い立場の者たちに手を差し伸べてしまうのでしょう
しかし、売られたあげくに倭寇のリーダーの妻となり、そのリーダーを殺して金品を持ち出して故郷に帰ってきたって・・・すごい女ですね! その殺された男、よほどひどいヤツだったんでしょうけど、エボシもこの経歴だけみれば相当ひどいヤツだと思ってしまうのはわたしだけでしょうか・・・。
侍の支配から自由な、強大な自分の理想の国を作ろうと考えている。タタラ場に来る以前に、京都で天皇周辺の人物達と交流を作った。また、タタラ場を世俗とは「無縁」で暮らせる場所にしつつあった。タタラ場は革命家(エボシ)の聖域なのである。この映画で唯一、自然界にとっての悪魔であり、魂の救済を求めていない、つまり「近代人」である。
なんと、エボシ御前は世の権力の影響を受けない理想の国を作ろうと考えていたんですね!
これだけのことを企てている人物なら、物事を成し遂げるためにはときに冷酷な判断も必要。そして、それができるのがエボシ御前ということですね。エボシ御前の冷酷さと優しさ、この設定を読めばすんなりと理解できます。
最後の行の、近代人はもはや神の存在を信じていない、自然界にとって悪魔になってしまっているというくだりは胸が痛いですね。それじゃあ、はたしてわれわれ現代人はどうなのか?思わず考えてしまいます。
ところでシシ神やサンたち自然側からすれば悪役のこのエボシ御前。鈴木敏夫プロデューサーは
「絶対壮絶に死んでもらわなけりゃ困る」と、言いだしたのだそうです。
「皆よく見とどけよ! 神殺しがいかなるものなのか。シシ神は死をもつかさどる神だ! おびえておくれをとるな!」
エボシがモロに腕を食いちぎられるシーンがありますが、その時死んでしまう予定でしたが、宮崎駿監督のお気に入りキャラクターなので殺さずに負傷するだけで済みました。
名言は「こわいのはもののけより人間のほうだからね」
名言は「こわいのはもののけより人間のほうだからね」
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映画の中では「売られた女たち」と表現されていることから、ここにいる女性たちは遊女だった、または遊女になる運命にあったというもののけ姫都市伝説です。そう考えると、タタラ工場はハンセン病、遊女といった、社会的に差別を受けるような人が集まった場所であることが分かります。もののけ姫という映画は、差別という大きくて深いテーマがある気がしてなりません。
また、タタラ工場にいる女性はこういった、「行くあてのない私たちをエボシ様だけが受け入れてくれた」。そしてタタラ工場にいる包帯を巻いた病気のような人たち。彼らはどうしたのだろうか?昔の日本ではハンセン病の患者は社会的に差別の対象となり、一般社会で生活していく事が困難だったという。なのでエボシ様はタタラ工場をつくりハンセン病の患者が自立して生きて行ける社会を作ったのだ。それがタタラ工場というわけである。
宮崎駿監督は、タイトルを変えたがっていた?!
もののけ姫の映像がほぼ完成したある日、鈴木敏夫プロデューサーのもとに宮崎駿監督が訪ねてきて、
「鈴木君、タイトル変えようと思うんだけど」とおもむろに言い出し、
「”アシタカ聶記(せっき)”でいこう」
ということになり、話はそこで終了した。
鈴木敏夫プロデューサーは直感的に「もののけ姫」というタイトルが気に入っていたので、
なんとそのままテレビCMなども全て「もののけ姫」のタイトルで強行して制作した。
制作後、宮崎駿にタイトルが変わっていないことが気付かれてしまうが、宮崎監督は特に問い詰めなかったそうです。
シシ神の由来
『もののけ姫』の物語のなかには、「シシ」という言葉の意味を示唆するヒントが、いくつかあります。
たとえば、物語の序盤で、謎の僧侶ジコ坊が、アシタカと一緒に粥をすすっているときに言った、次のセリフ。
「ほう、雅な椀だなそなたを見ていると古い書に伝わる古の民を思い出す東の果てにアカシシにまたがり石の矢じりを使う勇壮なる蝦夷の一族ありとな」
このジコ坊のセリフのなかの「アカシシ」というのは、あの愛くるしい鹿のような動物、ヤックルのことです。
また、タタラ場の長であるエボシ御前もヤックルのことを「シシ」と呼んでいます。
この「シシ」という言葉は、にくを表す(しし【肉・宍獣】)。特に、食用の獣肉という意味を持っています。
「悲しみと怒りにひそむ まことの心を知るは 森の精 もののけ達だけ」は、サンの心の底を知ることができないアシタカの切ない心情が表現されている。