2度つまずいたフランスサッカーの将軍=プラティニ、世界(FIFA)の将軍になれるか?
2016年11月25日 更新

2度つまずいたフランスサッカーの将軍=プラティニ、世界(FIFA)の将軍になれるか?

フランスサッカー界が誇り、フットボールを芸術にまで高めたかつて世界のスーパースター、ミシェル・プラティニは、UEFA(欧州サッカー連盟)会長、FIFA(国際サッカー連盟)副会長までのぼり詰め、数々の新改革を試みたが、「FIFA汚職事件」に関係したとされ、また「パナマ文書」に名前が載っていたことで名声は地に堕ちた。プラティニは果して、世界サッカーの将軍に返り咲くことが出来るか。

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選手時代のミシェル・プラティニは、まさに飛ぶ鳥落とす勢い

1976年のフランス代表デビュー戦(当時20歳)で有言実行のFKを決める

若きプラティニのフランス代表としてのデビュー戦は親善試合ではあるが、強豪のチェコスロバキア戦。
フランスが1-0で迎えた後半にフリー-キックのチャンスが巡ってくる。フリーキックの名手で、当時のフランスサッカーの大スターであるアンリ・ミシェルが、当然のごとくボールをキックポジションに置く。
代表としては新人のプラティニはアンリ・ミシェルの耳元で「絶対に入れるから蹴らせてくれ」と囁く。そしてプラティニのフリーキックは見事にゴールに吸い込まれていく。
「プラトニッシュ」誕生の歴史的瞬間である。
若き日のプラティニ

若き日のプラティニ

「プラトッシュ」は、将軍ナポレオン1世の剣にちなんで命名される

1976年のチェコ戦で決めたフリーキックは、以来ミシェル・プラティニの得意技として「プラトッシュ」と言われる。フランス革命後の動乱期に活躍したナポレオン・ボナパルトが所持していた伝家の宝刀「プラトッシュ;怒りの一太刀」が由来という。抜群のゲームメイク・センスとゴールの決定力だけでなく、ミッシェル・プラティニの繰り出すプラトッシュは、彼のフリーキックの代名詞となり、試合の重要局面で次々と得点を重ねた。
ナポレオン・ボナパルト

ナポレオン・ボナパルト

将軍:ナポレオンの伝家の宝刀もプラトッシュは言われた。

2度にわたるW杯:独vs仏、彼我の差

プラティニとフランスに立ちはだかるワールドカップ、悲運 西ドイツの壁 そして引退

1982年ワ-ルドカップ(スペイン)と1986年ワ-ルドカップ(メキシコ)はともに西ドイツにやられた。
スペイン大会準決勝では、ワールドカップ史上初PK戦となったが、4-5で西ドイツに敗北。4年後のメキシコ大会で準決勝で再び西ドイツと激突。1点のビハインドで迎えた後半、独GKのシューマッハの好守に阻まれ、さらにプラティニのゴールもオフサイド判定でまた敗退を余儀なくされる。どうしても西ドイツを崩すことが出来ない。フランスの前評判といえば、最大の優勝候補であり、「プラティニの大会」と言われていたが、結局は優勝したアルゼンチンとマラドーナの大会となってしまった。そのマラドーナはフランスとの直接対決を嫌っていたという。
西ドイツ、フランス代表には鉄壁

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ベルリンの壁とどっちが....?

1983-84年シーズンから2シーズン連続のイタリア・セリエAで、ユベントスが優勝

1982年にユベントス入りしたプラティニ。序盤では持病のヘルニアで出遅れたが、翌1983-1984年シーズンで、イタリアリーグの最高峰;セリアAでスクデットを獲る。自らも20得点をあげ、2年連続の得点王となる。翌1984-85シーズンも18得点、さらに1985-86シーズンにおいても4年連続の得点王となる。こうしたセリエAで2年連続スクデットにフランス代表での活躍を評価され、1983年から3年連続のバロンドール(ヨーロッパ年間最優秀選手)に選ばれた。
バロンドールは、サッカー選手の夢

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1984年 UEFA(欧州選手権)で優勝 まさにプラティニの大会

1984年のフランスチーム

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「魔法の陣」クァルテットで向かうところ敵なしの陣形を布陣に欧州選手権優勝
プラティニは決勝のスペイン戦でも、伝家の宝刀=プラトッシュを決め、1984年のUEFA欧州選手権でフランス代表を優勝に導く。ベルギー戦とユーゴスラビア戦の両試合でハットトリックを決め、5試合で9ゴールをマークするなどMVPに相応しい。プラティニを中心に、名プレーヤーのジレス、ティガナ、フェルナンデスの4人で構成する攻撃的クァルテットは、「魔法の陣」と呼ばれ、相手チームから恐れられた。彼はこのクァルテットを武器に、ゲームメイカーとしても、点取り屋としても超一流プレイヤーとして活躍した。

将軍プラティニの史上最大の悲運=ヘイゼルの惨劇

プラティニの悲運といえば、「ヘイゼルの惨劇」に触れない訳にはいかないだろう 

トヨタカップに先んじた1985年5月、ベルギー・ブリュッセルのヘイゼル競技場での試合開始前に事件は起きた。UEFAチャンピオンズカップの決勝戦。イタリア・ユベントスvsイングランド・リバプール。サポーター同士の小競り合いから暴動に発展し、死者39名重軽傷者600名を記録する史上最悪な大参事に。プラティニ自身も「人生最悪の試合」と嘆くほど。これはプラティニにもトラウマとなって、「人生が変わってしまった」と言うほどだったという。犠牲者の多数がイタリア人というから、イングランド・フーリガンの恐ろしさを改めて知った事件だった。
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