元祖つけ麺の「大勝軒」が期間限定でカレーライスを提供!
大勝軒TOKYOが運営する「お茶の水、大勝軒」は8月23日から、“ラーメンの神様”こと故・山岸一雄さんの「秘蔵のレシピ」シリーズ第2弾として、40年ぶりに「カレーライス」を復刻販売する。
第1弾では「冷やし五目そば」が復刻販売された。
第1弾では「冷やし五目そば」が復刻販売された。
つけ麺のイメージが強い大勝軒だが、1961年の創業当時はつけ麺以外にもタンメンやチャーハン、カレーライスなどのメニューを提供していた。だが、つけ麺が人気となったことでしだいにつけ麺以外のほとんどのメニューが封印されていたという。
via ascii.jp
山岸氏は神奈川・横須賀で育ち、海軍だった父親に連れられて、「海軍カレー」を食べることが何よりの楽しみだったそう。その後、修行して中野大勝軒で店長を務めるようになってから、中華料理店ながら、幼少期より大好きだった「カレーライス」を提供することにした。
山岸流カレーライスは豚肉、玉ねぎ、にんじん、ジャガイモをラードで炒め、大勝軒のラーメンスープに、カレー粉と“秘密の隠し味”を加えてじっくり煮込んだオリジナルカレー。
ラーメン用の仕込みですでに5時間以上煮込んだ大勝軒のスープを使うことがコクの決め手だそうだ。
子どもから大人まで楽しめるよう、辛さは控えめ。
提供は期間限定で「お茶の水、大勝軒」で味わうことが出来る。
期間は8月23日から11月30日までの予定。価格は770円。
山岸流カレーライスは豚肉、玉ねぎ、にんじん、ジャガイモをラードで炒め、大勝軒のラーメンスープに、カレー粉と“秘密の隠し味”を加えてじっくり煮込んだオリジナルカレー。
ラーメン用の仕込みですでに5時間以上煮込んだ大勝軒のスープを使うことがコクの決め手だそうだ。
子どもから大人まで楽しめるよう、辛さは控えめ。
提供は期間限定で「お茶の水、大勝軒」で味わうことが出来る。
期間は8月23日から11月30日までの予定。価格は770円。
via prt.iza.ne.jp
「つけ麺の生みの親」と呼ばれた山岸一雄氏
やまぎし かずお。
長野県中野市生まれ。4歳の時に父の勤務先だった神奈川県横須賀市に転居。
東京都豊島区東池袋にあったラーメン店「東池袋大勝軒」の創業者。
日本におけるつけ麺の普及に広く貢献し「つけ麺の元祖」や「つけ麺の生みの親」と呼ばれ広く親しまれた。
長野県中野市生まれ。4歳の時に父の勤務先だった神奈川県横須賀市に転居。
東京都豊島区東池袋にあったラーメン店「東池袋大勝軒」の創業者。
日本におけるつけ麺の普及に広く貢献し「つけ麺の元祖」や「つけ麺の生みの親」と呼ばれ広く親しまれた。
via www.01ch.com
父親が日本海軍の職業軍人であったことが影響し、小さい頃は海軍の軍人になるのが夢であった。しかし、終戦によってその夢もなくなり、早く東京に出て働いて家族に仕送りしたいと思うようになったという。
1951年、「兄貴」と慕っていた坂口正安に勧められ、一緒のラーメン屋(修行店)に勤め始める。
その後、修行店から坂口が独立する際に行動を共にし、「大勝軒」(中野店)を立ち上げた。この店名は「大きく軒並みに勝る」と言う言葉に由来している。
1961年に「東池袋大勝軒」として独立創業(暖簾分け)した。
1951年、「兄貴」と慕っていた坂口正安に勧められ、一緒のラーメン屋(修行店)に勤め始める。
その後、修行店から坂口が独立する際に行動を共にし、「大勝軒」(中野店)を立ち上げた。この店名は「大きく軒並みに勝る」と言う言葉に由来している。
1961年に「東池袋大勝軒」として独立創業(暖簾分け)した。
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もともと修行店時代から賄食としていた、「湯呑み茶碗にスープと醤油を入れたものに、残ってしまった麺を浸したもの」がつけ麺の原型であった。
それを食していた際に、客が関心を示したことから、メニュー化へ向け試行錯誤が始まった。
研究を行い、その後常連客に試食させたところ評判が良かったのでメニューの一品として提供されることになった。
1955年「特製もりそば」として供されたものが、メニュー化された最初のつけ麺といわれ、山岸氏はその考案者として広く認知されている。
それを食していた際に、客が関心を示したことから、メニュー化へ向け試行錯誤が始まった。
研究を行い、その後常連客に試食させたところ評判が良かったのでメニューの一品として提供されることになった。
1955年「特製もりそば」として供されたものが、メニュー化された最初のつけ麺といわれ、山岸氏はその考案者として広く認知されている。
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