これ覚えてる?『私たちにはあたりまえだったこと』昭和の風邪引き・看病編
2017年3月28日 更新

これ覚えてる?『私たちにはあたりまえだったこと』昭和の風邪引き・看病編

風邪を引くのはつらいですね。薬を飲んだり、ひたすら家で寝ていたり・・・。子どもの時もそうでした。でもそう言えば、ポカリも冷えピタもなかったあの頃、どうやって過ごしていたんでしたっけ?

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私も同じです、風邪を引いと時は「桃缶」です。子供の頃から私が風邪をひくと母があまり食欲のない私に桃缶とすりおろしたリンゴを用意してくれました。
ちなみに40代、関西出身です。
今は私が疲れて体調悪いときは、必ず夫が仕事帰りに桃缶を買ってきてくれます。
食欲なくても桃缶(好みは黄桃)はつるっと食べられて、笑顔になれるのです。
まわりの友人に話しても「風邪と言えば桃缶」派はいなかったので、「桃缶」の人が私の他にもいたんだと思い嬉しくなりました。
ちっぷさん
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みんないろいろ『風邪と言えばこれ!』

私の「風邪と言えば」は鍋焼きうどんです。
夫は風邪と言えばケンタッキー・フライド・チキン。
siriさん

「うどん」の入った茶碗蒸しのようなものです。どんぶりでつくります。
yuzuさん

たいがい風邪なんですけど病気といえば「プリン」でした。
木苺さん

風邪の時といえば、ポテサラです。マヨの酸味がほどよくて。
えのっこさん

実家の風邪ひいたときの鉄板は、「大根のはちみつ漬け」でした。
シャララさん

私の実家では風邪といえばいつも父か母がショウガ入りの暖かいはちみつレモンドリンクを作ってくれました。
お菊さん

わが家は、カステラでした。
職場で「いつものように、カステラ食べて元気になった」と話したら
上司に「珍しいうちだね」と言われて、特異性に気付きました。
るるるさん

私は風邪と言えばカレーライスです。
小さい頃からカレーライスで元気になりました。
ゆきっこさん
たまご酒

たまご酒

私は小学三年生の冬、風邪を引いたとき初めて母が作ってくれた卵酒を飲んだのですが、あまりの旨さに徳利1本分をペロリと飲んでしまい「お替り!」といったら叱られた思い出があります。以来、風邪を引くのが楽しみになり、年に5、6回は故意に風邪を引いて卵酒を大いに楽しみました。
こういった、お酒に卵を入れて飲むという風習は、日本に限ったことではありません。韓国やヨーロッパの国々にも見られます。
あなたにとって大切な「風邪と言えばこれ!」は何ですか?

今頃、6時間目の授業かなあ・・・

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静かな部屋で一人で寝ていると、時計の秒針の音や、ストーブにかけられたやかんの「シュンシュン」沸く音がとても響きました。
トロンとした目で時計を見ながら、不思議と「今頃何時間目かな」「みんな何してるのかな」と考えたりします。
元気な時は考えもしないのですけどね。

夕方近くウトウトしていると、玄関から友だちの元気な声が聞こえてきました。

給食のパン、届けにきました!

コッペパン

コッペパン

昭和40~50年代の頃は、休んだ人の家に給食のパンを届ける、という行為があたりまえでした。
家の近い人が先生に頼まれて、食パンやコッペパンを届けてくれました。
折角届けてもらっても、熱があったり咳がひどいと、布団に入ったままで会えませんでしたけど。
乾いてもさもさするパンは、だいたい元気な兄弟のおなかに入ってしまいました。
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今はO-157の心配があるので、給食の持ち帰りは一切ありません。
あの頃の私たちは、本当におおらかで丈夫なおなかを持っていたのですね。

ちなみに、休みの人が出た時の給食争奪ジャンケン、すごかったですね!
覚えていますか?
「牛乳欲しい人!」「みかん欲しい人!」
1個しかないものを7~8人でジャンケンする時は、本当にみんな真剣な目つきで大盛り上がり!
ハンバーグのような「分けられる」ものは、希望者の人数分、際限なく細かく切り目を入れて分け合いました。1口にしかならなくても「ラッキー!」と言って喜んで食べていたんですよね。
子どもの頃、風邪を引いていた時はつらかったはずなのに、なぜか思い出すのはそのまわりにあった小さな事柄。あなたの中にある「風邪の記憶」も伺ってみたいなあ。

ちびまる子ちゃん 5Bまるちゃんカゼをひく の巻

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