80,90年代芸能界マジギレ事件簿
2016年8月24日 更新

80,90年代芸能界マジギレ事件簿

今では自主規制とやらで、つまらなくなったと言われるテレビ。しかし、今より規制が緩かったせいか、テレビの世界では芸能界でマジギレをそのまま放送するなどぶっ飛んだ事件も存在していました。そんな事件簿を懐かしく振り返ってみてみましょう。

123,911 view
 (1733315)

陣内 智則(じんない とものり、1974年2月22日 - )は、日本の男性お笑い芸人、タレント、および司会者。

兵庫県加古川市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京本社所属。

大島渚vs野坂昭如 マイクで壮絶殴り合い!

「戦場のメリークリスマス」「愛のコリーダ」など日本を代表する映画監督の大島渚と、「火垂るの墓」を生み出し、直木賞作家でもある野坂昭如。「朝まで生テレビ」や「ビートたけしのTVタックル」などで、導火線が短いことは有名な両者でしたが、1990年、なんと東京プリンスホテルで開かれた大島監督と小山明子夫妻の結婚30周年を祝うパーティーで、野坂昭如が壇上で祝辞を述べた後に大島監督にいきなり右フックを食らわせる。大島も負けじとマイクで殴打に応戦。大人同士の壮絶な殴り合いとなり、共に死去した際に、その際のVTRが流れるまでの大事件に。

【衝撃映像】野坂昭如、大島渚に会心の右フック!!

ダウンタウンも当時トークの話題に!

壮絶!!浜田VS野坂昭如のまじド突き合いを松ちゃんが語る

大島渚

 (1733326)

大島 渚(おおしま なぎさ、1932年3月31日 - 2013年1月15日)は、日本の映画監督。

野坂昭如

 (1733331)

野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年(昭和5年)10月10日 - 2015年(平成27年)12月9日)は日本の作家、歌手、作詞家、タレント、政治家。

放送作家としての別名は「阿木 由紀夫」(あき ゆきお)、シャンソン歌手としての別名は「クロード 野坂」(クロード のさか)、落語家としての高座名は「立川 天皇」(たてかわ てんのう)、漫才師としての野末陳平とのコンビ名は「ワセダ中退・落第」(わせだちゅうたい・らくだい)。

「さんまのまんま」号泣事件

惜しくも番組終了が決定した「さんまのまんま」。事前打ち合わせが少なく、ゲストの素の部分が出やすいのか、本番中に号泣事件が起きることも。
 (1733350)

『さんまのまんま』は、1985年4月8日からフジテレビ系列で、関西テレビ(カンテレ)と吉本興業の共同制作で放送されている長寿トーク・バラエティ番組である。司会を務める明石家さんまの冠番組。一部系列局のみ、モノラル放送(モノステレオ放送)、字幕放送を実施している。通称は『まんま』。

酒井法子 肉じゃが事件

ゲストで初出演となったのりピーこと酒井法子。その後の人生など想像もできない程、バリバリのアイドルだったのりピーは、手づくりで「肉じゃが」を持参。それをさんまが、笑いを取ろうと、まんまちゃんに対して「食えるもんなら食ってみい!」と言って、まんまちゃんが床に落としてしまった。ショックを受けたのりピーは楽屋で大号泣。後々まで語り継がれる大事件となった。
 (1733341)

45 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

実は喧嘩の寸前までに…。ガキの使い「たたいてさあ何点!?」

実は喧嘩の寸前までに…。ガキの使い「たたいてさあ何点!?」

ゲストをトークの場として迎えるダウンタウン。実は前もって、すね蹴り・キス・目潰しなどに点数を設定し、どれだけバレずに合計点を得ることができるかという勝負企画。計5回の闘いを振り返ります。
nomi | 5,253 view
どれだけ覚えてる? 80年代アイドルのキャッチフレーズ 「ちょっとエッチな美新人娘」って?

どれだけ覚えてる? 80年代アイドルのキャッチフレーズ 「ちょっとエッチな美新人娘」って?

薬師丸ひろ子=「ひろ子という字何度ノートに書いたっけ」、松田聖子=「抱きしめたい!ミス・ソニー」…など、思わずツッコミを入れたくなるようなモノも含め、1980年代の女性アイドルには必ずといっていいほどキャッチフレーズがついていました。
Mr.Lonely | 27,579 view
芸能史に残る壮絶大ゲンカ!

芸能史に残る壮絶大ゲンカ!

今は芸能人の喧嘩と言ったらTwitterやラジオなどでちょっと悪口を言うくらいですが、今より遥かにアバンギャルドだった80年代、90年代は殴り合いあり、周りを巻き込み系ありと、それは破天荒な壮絶な大ゲンカが巻き起こっていました。良い意味でも悪い意味でも熱かった当時の芸能史をプレイバックしてみましょう。
yt-united | 26,720 view
酒井法子  のりピーのNext

酒井法子 のりピーのNext

のりピー語でアイドルとして大ブレイク。歌手としても女優としても確固たるポジションをキープ。有名作家と別れて1年後、サーファーとできちゃった婚 。その後、待っていたイバラ道。すべてを乗り越え、酒井法子の真の挑戦が始まる。
RAOH | 392 view
酒井法子  私を「あたピ」「あたくピ」「わたピ」「わたくピ」などというのりピー語でアイドル界を席巻。そしてドラマ「ひとつ屋根の下」で女優としてもブレイク。

酒井法子 私を「あたピ」「あたくピ」「わたピ」「わたくピ」などというのりピー語でアイドル界を席巻。そしてドラマ「ひとつ屋根の下」で女優としてもブレイク。

松田聖子に憧れ、中学卒業前にオーディションを受けて福岡県から上京。16歳でレコードデビューし、のりピー語で大ブレイク。ドラマ「ひとつ屋根の下」で女優としても本格的デビュー。
RAOH | 336 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト