『象印スターものまね大合戦』とは?
スターものまね大合戦のオープニング・ロール
番組進行、兼、司会は昭和の名司会者としての名声を欲しいままにした玉置宏さん!!
ありし日の玉置宏さん
玉置さんは神奈川県川崎市出身で明治大学商学部を卒業後、1956年に文化放送に入社し、同局第1号の男性アナウンサーとなった。58年に三橋美智也の勧めでフリーになり、テレビやラジオの司会で精力的に活動した。この年から77年まで続いたTBS系「ロッテ歌のアルバム」や、67年から10年間続いたテレビ朝日(当時NET)系の「象印スターものまね大合戦」で司会を務め、冒頭のあいさつ「一週間のごぶさたでした。玉置宏でございます」は流行語にもなった。
ニッポン放送では78年から96年まで18年間、平日の午前中に「玉置宏の笑顔でこんにちは」を担当。親しみやすい口調に歌謡曲への深い造詣で同番組を聴取率ナンバーワンに導いた。そのほか、テレビ東京系の「にっぽんの歌」「昭和歌謡大全集」など、多くの番組で司会を務めた。
日本司会芸能協会の会長など要職を歴任したほか、漫才や落語にも詳しく、一時は落語家を志していたことがあり、漫才師のコロムビア・トップ・ライトの青空一門の客分となったこともある。
96年からNHKラジオ「ラジオ名人寄席」を担当していたが、2008年3月、玉置さん自身のコレクションである古典落語の音源を放送したところ、その一部に著作権がなかったことが判明し、番組が打ち切りになった。玉置さんは責任を取ってそのほかの番組の出演を取りやめ、司会業の第一線から退いた。
02年の開館当初からトラブルに見舞われ、一時は閉鎖も取りざたされた横浜にぎわい座だったが、玉置さんが03年に館長として就任すると、2年で黒字に転換。晩年まで芸能界に残した功績は大きく、大の横浜ベイスターズファンとしても知られていた。
『象印スターものまね大合戦』の番組概要
上記にも説明したように、司会兼番組進行を玉置宏が担当し、当時名を馳せていた作曲家、作詞家、大御所女優など5名ほどが”ものまね”を審査する審査員として出演していが、今では、殆どないであろう劇場やホール会場での公開録画だった。会場セット後方の中央には「象印スターものまね大合戦」のタイトルロゴ(当時の象印のマークは左が逆向きで右が通常の向きだった)が掲げられていた。
また、番組前半には出演した歌手が歌う持ち歌披露コーナーがあった。番組の最後には審査員の審査が行われ、「象印賞(トップ賞)」の他、「努力賞」「アイデア賞」「熱演賞」「ユーモア賞」など出演者全員に賞が贈られた(出演者席上部のモニターに「○○賞」と点灯する)。スポンサーの象印からポットや電子ジャーなど自社製品が贈られたが、象印賞受賞者だけのプレゼントではなく、出演者全員への事実上の参加賞だった。なお、象印賞受賞者は「象印決勝大会」(後に「チャンピオン大会」と改称)に進出し、チャンピオン(会場全体が一旦暗くなり、ドラムロールが鳴って、出演者席上部の象印マークが点灯する)に輝くと天井(前期はくす玉が割れて、紙テープも入っていた)から大量の紙吹雪と風船(両方共雪崩の様に非常に量が多く、風船がステージに立ってる人が踏んで割れるほど)が降り、協賛航空会社のKLMオランダ航空で行くヨーロッパ一周旅行と、象印製品の一式フルセット獲得となり、更に、審査員からの花束と上部に「象印」のマークが付いたゴールデントロフィーも授与された。また、「象印スターものまね大賞」や「美空ひばりショー」「森進一ショー」(300回記念特集)「夏の紅白」等の特別企画も行われた。
第1回放送の前週に”予行演習”があった!!
モノマネする崑ちゃん - YouTube
歌手の超!真剣なものまねがTVで見ている側にも伝わっていた!!
今の吹けば飛ぶような軽量タレント「失礼!」がものまねをしても元が元だけになんとも感じませんが、当時は新春の特別番組での隠し芸とか特別な場合でもなければ、他人のものまねは勿論、他人の持ち歌を歌うような要求すらあまり歓迎されなかった時代でした。
また、歌手も今とは違い、「歌が上手い人がなる」時代でしたし(勿論、今も歌の上手い歌手は何人もいます)、そういう自負、誇りが、大なり小なりそれぞれの歌手にあったのだろうと思われます。
そんな頃に毎週、出演者を都合し続けられたというのも凄いと思いますが、中には、ものまねとは名ばかりで、ただ他人の持ち歌を声色替えて歌っている程度の、ものまねがかなり多かったのも事実です。それは見る側にとってもご愛嬌として受け入れていて、過剰には期待して見てなかった所もありました。
コロッケもぶっ飛ぶ”ものまね”上手の歌手たち
今はコロッケなど、ものまねタレントが大活躍していますが、コロッケもものまねの実力に舌を巻き、ぶっ飛んでしまいそうな真似の才能のある歌手がごろごろいたような覚えがあります。
そのような歌手を何人かご紹介することとしよう。
この番組で、言わば「四天王」的な存在だったのが、ちあきなおみ、三田明、五木ひろし、森昌子で、番組を見ていた人にとっては共通の思い出であろう。その他の歌手では当時、角川博が女性のものまねで強烈な印象を残している。正にインパクト大でした。
番組「四天王」の中では、特に五木ひろしと森昌子はそのレパートリーの多いことで有名になり、何でもこなせるのではとやっかみが入ったようだ。