いしだ壱成、武田真治、DJ DRAGONが在籍「THE BIG BAND!!」!
1992年にDJ DRAGON、高橋学、桜井GOUの三人で結成。
同年11月にいしだ壱成(キーボード)、武田真治(サックス、1995年に脱退)が加入。
メンバーの変遷を経て、1996年にファースト・マキシ・シングル「SPEED MASTER ANTHEM-TOKYO HOT ROD STYLEE-」をリリース。
1998年にメンバーの麻薬所持が発覚し、活動休止。
同年11月にいしだ壱成(キーボード)、武田真治(サックス、1995年に脱退)が加入。
メンバーの変遷を経て、1996年にファースト・マキシ・シングル「SPEED MASTER ANTHEM-TOKYO HOT ROD STYLEE-」をリリース。
1998年にメンバーの麻薬所持が発覚し、活動休止。
via www.fujitv.co.jp
via www.creare.jp
DJ DRASGONをはじめ、いしだ壱成もレゲエ・ミュージックに造詣が深い。
その影響からか(バンド名のビッグバンドから分かるように)、音に対してはかなり生音によるアンサンブルにこだわっている。
90年代中盤の空気感を反映するような明るいラップ調のボーカルも特徴的。
ちなみにデビュー前の練習の時点で打ち込みによる音楽をカラオケバンドのようだと感じ、ドラムとベースを探した経緯がある。
下記の動画では、DJ DRAGONといしだ壱成の掛け合いが見られる。非常にテンポの良い、前向きな一曲。
その影響からか(バンド名のビッグバンドから分かるように)、音に対してはかなり生音によるアンサンブルにこだわっている。
90年代中盤の空気感を反映するような明るいラップ調のボーカルも特徴的。
ちなみにデビュー前の練習の時点で打ち込みによる音楽をカラオケバンドのようだと感じ、ドラムとベースを探した経緯がある。
下記の動画では、DJ DRAGONといしだ壱成の掛け合いが見られる。非常にテンポの良い、前向きな一曲。
Who's gone?_THE BIG BAND!! - YouTube
via www.youtube.com
1998年 活動休止直前のメンバー
多岐に渡る活動が魅力のDJ DRAGON
TOKYO No.1 SOUL SETの初代メンバーだった。
小室哲哉と交友があり、1997年にはプロデュース・ユニット「tatsumaki」を結成し多くの作品に携わり、2001年に小室・CG作家の原田大三郎とともにテクノトランスユニット「GABALL」結成。
また、音楽活動以外にもデザイナー、クリエイティブ・ディレクターとしても活動を行なっている。
小室哲哉と交友があり、1997年にはプロデュース・ユニット「tatsumaki」を結成し多くの作品に携わり、2001年に小室・CG作家の原田大三郎とともにテクノトランスユニット「GABALL」結成。
また、音楽活動以外にもデザイナー、クリエイティブ・ディレクターとしても活動を行なっている。
TOKYO No.1 SOUL SET
BIKKEの声やフロウが特徴的なヒップホップバンド
DJ DRAGONが仲良くなったきっかけは、BIKKEとDJ DRAGONの原宿のバイト先が隣同士で、よく遊んでいたからというもの。
DJ DRAGONが仲良くなったきっかけは、BIKKEとDJ DRAGONの原宿のバイト先が隣同士で、よく遊んでいたからというもの。
小室哲哉と結成した「tatsumaki」
楽曲の製作方法は小室哲哉とDRAGONが二組に分かれ、それぞれオペレーター・エンジニアを含めてトラックを作った。
お互いにトラックが出来たら、それぞれを聴き合い、音作り・グルーヴについて意見交換し合う様になる。
お互いにトラックが出来たら、それぞれを聴き合い、音作り・グルーヴについて意見交換し合う様になる。
via img2-ak.lst.fm
1980年代よりDJとして本格的に活動を始め、今日まで都内のあらゆる主要Clubでプレイ。
西麻布ピカソ、下北沢ZOO、渋谷CAVE、キングストン、ジャングルベースなどなど数々のクラブでレギュラーでPLAY。
西麻布YELLOWのオープニングからイベントをスタートさせ現在は『LOVE LOVE NITE』の名前で開催中、その他代官山air『4x4』のレギュラー。
ヴェルファーレの“Cyber TRANCE”でレジデントを務めるほか、全国各地で数々のビッグイベントに出演。
さらに国内だけでなく、上海、香港、北京、ロンドンなどでもDJプレイを披露している。
2002年サッカーW杯では『島唄』をREMIX3万人のスタジアムを熱狂させる。他国内外のアーティストのプロデュースやremixを数多く手掛ける。
DJ DRAGON(一番左)、いしだ壱成(左から二番目)。