1976年から1979年の荒川務
via twitter.com
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1977年に「荒川つとむ」に改名
もう、可愛いと言わせない?荒川務は少年から大人へと変化していった。
大人っぽくなった、17歳の荒川つとむ。
大人っぽくなった、17歳の荒川つとむ。
1979年7月発売のシングル
「心は横にひび割れて」
(作詞:三浦徳子、作曲:桑名正博、編曲:鈴木茂・戸塚修)
素敵な曲です!出典元でちょこっと聴けるので、ぜひ聞いてください!
「心は横にひび割れて」は、メロウ(懐かしい言葉)です。
荒川務の声で、♪心は横にひび割れて~Unn~Aaa~♪です♡
B面の「ジキル & ハイド」は桑名と荒川が、ベストマッチなソフトファンキー♪
作曲を担当した桑名正博が「セクシャルバイオレットNO.1」を歌っていた時と同じ髪型の荒川つとむ 。
「心は横にひび割れて」
(作詞:三浦徳子、作曲:桑名正博、編曲:鈴木茂・戸塚修)
素敵な曲です!出典元でちょこっと聴けるので、ぜひ聞いてください!
「心は横にひび割れて」は、メロウ(懐かしい言葉)です。
荒川務の声で、♪心は横にひび割れて~Unn~Aaa~♪です♡
B面の「ジキル & ハイド」は桑名と荒川が、ベストマッチなソフトファンキー♪
作曲を担当した桑名正博が「セクシャルバイオレットNO.1」を歌っていた時と同じ髪型の荒川つとむ 。
荒川務(荒川つとむ)は、歌手活動した、1974年6月から1980年9月の6年間にシングル14枚、アルバム5枚をリリースしている。
荒川務のバック・バンドだった「ブルーシャーク」
荒川務のバック・バンドだった「ブルーシャーク」のメンバーの4人、高橋真一、小原秀信、小野寺信定、小川浩は、1976年に「ドルフィン」としてホリプロ・タレントスカウトキャラバンのテーマ曲「友達から恋人に」でデビューした。
via www.geocities.jp
荒川務のバックバンド「ブルーシャーク」(5人編成)のメンバー小川と小野寺は、ジャニーズJr.に所属していた。小川浩(ベース)、小野寺伸定 (ギター、)高橋真一(キーボード)、小原秀信(ギター)。ドラムの紺野大輔は、「ブルーシャーク」時代にのみ参加し歌手デビューする。
アイドル歌手「荒川務」から、ミュージカルスターに転身する
1979年、劇団四季の『コーラスライン』オーディションを受けるが不合格。
レッスンを受けながらミュージカルに出演していた。
レッスンを受けながらミュージカルに出演していた。
via ticketcamp.net
荒川務と田原俊彦
折しも、1980年(昭和55年)6月に荒川務と同じレーベル、NAVレコードから、荒川務と同じ年(学年)の田原俊彦が『哀愁でいと』でデビューする。同曲のオリコンチャート上の推定売上は71.9万枚。80年代におけるジャニーズ男性アイドル時代の幕開けとなる。
荒川務は、ニューヨークへ旅立つ
1985年、再度、劇団四季のオーディションを受け合格。
14歳でデビューしてから10年、荒川務は24歳になっていた。
1986年、『ウエストサイド物語』リフ役でデビュー!
14歳でデビューしてから10年、荒川務は24歳になっていた。
1986年、『ウエストサイド物語』リフ役でデビュー!
昔アイドル歌手の荒川務って劇団四季にいるのね。
— 🌴かんな🌴 (@kannastar8) March 30, 2016
1976年7月荒川務シングルレコード
「リトル・エンジェル」
(作詞:岡田冨美子、作曲:田山雅充、編曲:船山基紀)
荒川務の顔の頬のあたりがほっそりとして、男性的になってきている。