ブレイクの名前を聞いたノーボディは、自分が助けた人物が、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクそのひととであると考え、深い敬意を払う。こうして、ブレイクとノーボディとの不思議な逃亡の旅が始まる。
ノーボディは、先住民のはぐれ者で、白人の教育を受け育った。文学に精通している。
終始、哲学的な発言をする。
「心地よき歓びに生まれるものあり、
終わりなき夜に生まれるものあり、 」と詩人ウィリアム・ブレイク の詩を吟じる。
本人も自らを「ノーボディ(名もない、ただの人)」と名乗る。それが気に入っているのだという。
「心地よき歓びに生まれるものあり、
終わりなき夜に生まれるものあり、 」と詩人ウィリアム・ブレイク の詩を吟じる。
本人も自らを「ノーボディ(名もない、ただの人)」と名乗る。それが気に入っているのだという。
チャーリーはディキンソンの息子で、父は三人の殺し屋コール(ランス・ヘリクセン)、トゥイル(マイケル・ウィンコット)、キッド(ユージン・バード)に息子の仇を追わせる。
ディキンソンはウィリアムに公の賞金もかけていた。これが原因で殺し屋たちは仲間割れをし、コールがまずキッドを射殺、ついでトゥイルも彼に食べられてしまう。
ノーボディと別れたウィリアムは詩を口ずさみながら拳銃をぶっ放す凄腕のガンマンに変貌、だが体の方は徐々に衰弱していた。
ウィリアムはノーボディと再会する。交易所で、ウィリアムは自分が有名犯罪者になっていることを知り、経営者の人種差別的な宣教師を射殺する。
via www.nytrash.com
拳銃の腕前が飛躍的に向上し、殺しもいとわない。
”「銃はお前の舌だ。銃で話すことを学ぶ、お前の詩は血で書かれるのだ」とノーボディに言われたブレイクは、次第に腕を上げ、やがては「おれの詩でも食らいやがれ」とつぶやきながら保安官を撃ち殺したあと「Some are Born to Endless Night (あるものたちは終わりなき夜に)」とさらりと言ってのけるほどの、巧みな銃の使い手となる。”(goo Wikipediaより引用)
ここからは河をカヌーで旅するが、ウィリアムが乗る直前に撃たれる。
舟の上で彼の意識は次第に薄れ、先住民の村に到着すると意識を失う。気がつくと、彼は死に装束で葬儀用のカヌーに横たわっていた。ノーボディは微笑みながら、これからすべての魂の故郷に帰るのだという。
水面に押し出されるカヌー。ウィリアムは薄れゆく意識のなかで、ノーボディと殺し屋コールが相撃ちで倒れるのを見る。カヌーはそのまま大海原を漂っていく。
モノクロの映像が、生と死が入り組んだ世界観を象徴的に演出していた本作。
物語冒頭、汽車のシーンで白人たちがバッファロー狩りをする。
それはかつて実際に行われていたそうで、本作に出演しているインディアン・ノーバディ役のゲイリー・ファーマー(実際にネイティブアメリカン)が同作のパンフレット内で「白人たちがバッファローを撃つシーンは、バッファローは当時のインディアンの食糧を奪うために、実際、バッファロー狩りの乱獲と言うより殺戮があった」と述べている。
そうした史実を踏まえて本作を見直すと、より劇中のインディアンの死生観が際立って見えるかも知れない。
物語冒頭、汽車のシーンで白人たちがバッファロー狩りをする。
それはかつて実際に行われていたそうで、本作に出演しているインディアン・ノーバディ役のゲイリー・ファーマー(実際にネイティブアメリカン)が同作のパンフレット内で「白人たちがバッファローを撃つシーンは、バッファローは当時のインディアンの食糧を奪うために、実際、バッファロー狩りの乱獲と言うより殺戮があった」と述べている。
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