現役最後は残念な形で幕
1993年 横浜ベイスターズを自由契約
閉幕まで全試合に出場したが同年オフ、チームの若返り策の一環として屋鋪、山崎賢一ら多くのベテラン選手とともに自由契約を通告される(同オフから導入のFA制度で巨人から移籍した駒田徳広獲得の為の資金調達の犠牲となったとする報道もあった)。
1994年の所属先については、当初中日ドラゴンズ入りが内定したものの、後に白紙撤回となった挙句、結局日本ハムファイターズに入団した。
日本ハムでは左翼手としてプレーしたが、低調な成績に終わり、チームも10年ぶりの最下位に低迷、同年オフに現役を退いている。
当時日本ハムの監督だった大沢啓二は、著書の中で高木について「横浜を自由契約となった高木を獲得したんだが、あいつはもっとやれると思っていた。けど、やっぱり力が衰えてたんだなあ。打線のブレーキになっちまった。」と記している。
1993年の「自由契約」時のコメント
屋鋪や90年に引退した加藤博一外野手とともに「スーパーカートリオ」として、一世を風靡した高木はぼう然自失。「いきなり呼ばれてクビと言われても…。冷たい?もういいよ。言ってもしょうがない」。
現役引退後は解説者としても活躍
引退直後、サンミュージックと契約し、芸能人に転身。芸能人としてはドラマや歌番組・料理番組に出演し、朴訥なキャラクターとして活躍する。その後は、1997年よりフジテレビ野球解説者となる。
2001年には横浜の一軍内野守備・走塁コーチに就任するが、1年で辞任。
再びフジテレビ解説者となる。プロ野球中継ベンチ解説などの傍ら、2003年にはアテネオリンピック野球の代表チーム内野守備・ 走塁コーチを務めた。
2012年シーズンより、横浜DeNAベイスターズの一軍ヘッドコーチに就任。
2012年9月15日、神宮球場で行われた対ヤクルト戦で監督の中畑清が当時3塁塁審だった深谷篤審判員に暴力行為を働いて退場処分を受けた事に伴い、試合終了まで監督代行を担当した。
2012年は最下位に低迷し、2013年からは一軍チーフ兼打撃コーチを担当したが、10月9日に球団からコーチ契約を更新しないことが発表されたため退団した。
なお、横浜DeNAからの退団を機に、公式ブログを開設。2014年からは、フジテレビで三たび野球解説者を務める。
三人の息子はJリーガー!
長男の高木俊幸(浦和レッズ)、次男の高木善朗(清水エスパルス)、三男の高木大輔(東京ヴェルディ)は、いずれも東京ヴェルディ1969の下部組織出身のプロサッカー選手であり、ユース時代から揃って年代別日本代表に選出されるなど、「高木三兄弟」として注目されていた。
そのこともあって、『すぽると!』出演時には、「サッカー通の野球解説者」として、野球解説だけでなくサッカー解説を担当することもある。なお、高木自身もサッカーの名門校多々良学園(現在の高川学園)出身である。
野球を強制しなかった理由
「選択肢を親が決める人生ほどつまらない人生はない。だから決定権はすべて子供たちに与えた。自分で責任と決定を下す意思を持てるようにしないといけない。親が決めると、子供の芽を摘んでいくことになると思う」
退場処分になった次男に対して一言!
退場処分となった次男の高木善朗に対しては、「昔から間違ったことが嫌いで、俺と似て、口が悪い(笑)。審判に暴言を吐いたんだろうな!俺も、下手くそ、と言って退場になった事を思い出し、笑ってしまった。血筋だな(笑)」と父親ならではのコメント。
高木豊自身も現役時代に2度の退場処分を受けています。
だからこそ退場の怒りやもどかしさも理解出来たんですね。
これからもまだまだ野球界で活躍して欲しいなと思います!
だからこそ退場の怒りやもどかしさも理解出来たんですね。
これからもまだまだ野球界で活躍して欲しいなと思います!