スーパーカートリオの一角 「高木豊」
右投左打、ポジションは二塁手→内野手、背番号は16→3番。
1958年10月22日生まれ。山口県防府市出身。
多々良学園から中央大学を経て、1980年ドラフト3位で横浜大洋ホエールズに入団。
1985年、加藤博一、屋鋪要とスポーツカートリオを形成。
1994年、日本ハム・ファイターズに移籍し、現役引退。
2002年、横浜ベイスターズの守備走塁コーチに就任し、復帰。
2004年、アテネオリンピック日本代表守備走塁コーチに就任。同年退任。
スポーツカートリオとは?
1985年、新たにホエールズの監督に就任した近藤貞雄は、俊足の3選手を上位打線に並べ、相手を震え上がらせるという作戦を立てた。
高木豊・加藤博一・屋鋪要の3人は、それぞれ1・2・3番打者となって、3人だけで148盗塁を記録した。
ちなみに当初は「スポーツカートリオ」という名称だったが、いつの間にか「スーパーカートリオ」へと変わっていった。
打って走って守れる選手だった 「高木豊」
通算成績は実働14年で1628試合、1716安打、打率.297、88本塁打、545打点、321盗塁。
通算8回の打率3割は球団新記録であった。
二塁守備でも名手として知られ、1987年には二塁手として守備率のプロ野球記録となる.997を達成している(ところがこの年ゴールデングラブ賞に選ばれず、物議を醸した)。
貴重な高木のバッティングシーン
1985.8.30 阪神vs大洋19回戦 9/9 - YouTube
1:02~
見事な打撃をみせます!
見事な打撃をみせます!
via www.youtube.com
物議を醸したゴールデングラブ賞
昔、横浜大洋時代に高木豊選手がシーズンの守備率記録を塗り替えました。
当然、セカンドのゴールデングラブ(当時はダイヤモンドグラブ)は高木豊選手と思いましたが、結果は巨人の篠塚選手でした・・・。
結論:内容より記憶に残る守備がゴールデングラブ賞になりやすい。です。
高木豊選手は、今後もし選ばれても辞退するとコメントしてましたよ。
via sharp78.com
打っては快足を飛ばし、守備ではどこでも守れた万能な選手でした。
盗塁も1992年に通算300盗塁を達成しました。
しかし、盗塁の成功率.643とかなり低く、300以上の盗塁記録者の中でワーストです。
意外ですね!
盗塁も1992年に通算300盗塁を達成しました。
しかし、盗塁の成功率.643とかなり低く、300以上の盗塁記録者の中でワーストです。
意外ですね!
才能が認められた大学時代
中高時代
野球では中学3年時に北北海道で頭角を現し、多々良学園高校に進学。
1年春からレギュラーとなり、1年秋の秋季大会では3番エースとして中国大会まで進むが、2回戦で小林誠二(広島ほか)擁する広島工高に完封負け。結局高校時代は甲子園出場を果たせなかった。
大学時代
卒業後、東京都の中央大学へ進学。東都大学リーグでは、1979年に1年上のエース香坂英典を擁し、春季リーグで5年ぶりに優勝。
同年の全日本大学野球選手権大会でも決勝で早大を降し優勝、同年から2年連続で日米大学野球の代表にも選出された。
リーグ通算107試合出場、402打数115安打、打率.286、2本塁打、28打点。ベストナイン4回。115安打は藤波行雄の133安打に次いでリーグ歴代2位。