1985年
セブンティーン・クラブ
S&Bスナック 「鈴木くん しお味」「佐藤くん チーズ味」CMソング。シングルはこれ以外に一枚出していました。メンバーの中に工藤静香のいて今考えると、おニャン子クラブ以前だったんですね。
その後工藤が抜けて後に解散、柴田くに子(後の森丘祥子)、木村亜希(後の亜希)の二人もそれぞれ活動していました。1984年にミス・セブンティーンコンテスト(応募総数史上最多の18万325人)に出場して特別賞を受賞したメンバー達だったのですが短命でしたね。因みにセンターは木村亜希でした。
その後工藤が抜けて後に解散、柴田くに子(後の森丘祥子)、木村亜希(後の亜希)の二人もそれぞれ活動していました。1984年にミス・セブンティーンコンテスト(応募総数史上最多の18万325人)に出場して特別賞を受賞したメンバー達だったのですが短命でしたね。因みにセンターは木村亜希でした。
翌1986年、木村はB・C・Gのメンバー、工藤はおニャン子クラブのメンバーとなり、柴田は1990年に森丘祥子の芸名でソロ歌手となった。活動当時は人気が得られなかったアイドルグループであるが、後に工藤が歌手として成功したこと、木村がプロ野球選手の清原和博と結婚したことでメディアに取り上げられ、回想される機会が増えた。
奥田圭子
パイロット万年筆のCMソング。東映映画「パンツの穴」でも挿入歌として使われました。これがデビュー曲で『パンツの穴』の第2作『パンツの穴 花柄畑でインプット』で菊池の後のヒロインを務めています。彼女、メジャーになる前からのBOØWYのファンを公言していたんですが3枚目のシングルではプラスティックという曲で 作詞:秋元康、作曲:氷室京介、編曲:布袋寅泰と関わっています。
1982年のホリプロタレントスカウトキャラバン、1984年の東宝シンデレラに出場後、1984年にパイロット万年筆のイメージガールとして芸能界入り。なお、「芸能界に進みたいとかじゃなくて、審査会場の雰囲気が好きだったの。注目されたかったのかな。オリンピックと同じで参加することに意義があるって感じ」と言うように、芸能界に入る前は様々なオーディションを荒らしまくっていたという。
その後、本名の奥田 佳子(読みは変わらず)と改名し、主に女優としてTVドラマで活動し、一時芸能活動を休業した。現在は、SMA所属で復帰している。その傍ら、アンチエージング化粧品「viento de KINO」をプロデュースしている。
工藤夕貴
「ライオン フルーツシャワーシャンプー」の本人出演のCMソングになっていました。彼女にとって3枚目のシングルです。デビュー曲の「野生時代」の時はあんまりアイドルっぽくない感じでしたが、こんな曲もあるんです。とにかく歌手デビュー以前からCMやバラエティー番組などで注目されていて歌手というよりマルチな中学生タレントというイメージでした。様々な活動の中で女優としてのイメージが強く残りますが本人もアメリカで女優活動をしたい気持ちからハリウッドに渡っています。
歌手の井沢八郎の長女として八王子市に生まれる。堀越高等学校卒業。1983年、渋谷でスカウトされて、芸能界デビュー。TBS『ザ・ヒットステージ』で小堺一機相手にアイドルをメッタ斬りする毒舌中学生で話題になり、その後ハウス食品の、チキンラーメンタイプの袋麺「303」(さんじさんぷん〈3時3分〉、サンマルサンとも)のコマーシャルで「お湯をかける少女」として人気者となる。日立製作所のMSXパソコン、「MB-H1」の雑誌広告にも出演した。
ベリーズ
明治チョコレート「アーモンドクランチ」CMソングでしたね。この曲、結構完成度高くないですか?ホリプロタレントスカウトキャラバンからの出身者3人で組まれたメンバーでしたが、活動期間が短かったためか、そんなに活躍は見られなかったと思います。
大西浩美(おおにし ひろみ、東京都出身、1968年2月13日-)
通称:ブルーベリー。リーダー格。ショートカットで、元気な女の子のイメージ。
伊藤真季(いとう まき、千葉県出身、1969年1月3日-)
通称:ラズベリー。今でいうアニメ声が特徴。
松本千恵美(まつもと ちえみ、神奈川県出身、1969年1月9日-)
通称:ストロベリー。ロングヘアの正統派美少女タイプ。
解散後しばらくは3人とも活動していた。
大西浩美 - 単独でテレビ番組出演を続けた。
伊藤真季 - 病気療養のため、解散直前にすでに芸能活動そのものを休止していた。その後グラビアで復帰し、セミヌード写真集「瑠璃色のささやき」(1988年)を発表。
松本千恵美 - 1990年に新ユニット「オリーブ」を結成。CD「夏の海より好きよ」を発表。
1986年
岡田有希子
via www.mbok.jp
レーベル CBSソニー
作詞:売野雅勇
作曲:木森敏之
編曲:新川博