1964年の東京オリンピックで、体操の「ベラ・チャスラフスカ」選手は人気選手となる。
平均台、跳馬と個人総合の金メダルに加え、団体でも銀メダルを手にした。優美な演技は日本において「オリンピックの名花」「体操の名花」と讃えられた。
via cdn.mainichi.jp
ウルトラC(当時、流行後になった)連発の日本の男子体操選手は大活躍したが、世界の視聴者の視線は「ベラ・チャスラフスカ」選手に釘付けであった・・・
オリンピック東京大会記念切手5枚セットが呼び水となり、日本全国で「切手」ブームが巻き起こる。
第18回オリンピック東京大会記念切手 戦後2度目と言われる切手ブームが起こる。
1957年にグリコが「世界の切手をあなたに」のキャッチフレーズで商品のおまけに国内外の切手を入れたことを端緒として第一次切手ブームが起こり、二度目の切手ブームはオリンピック東京大会記念切手が呼び水となった。
当時は新しい切手の発売日には郵便局に購入希望者が長蛇の列をなして並ぶ光景が見られた。
当時は新しい切手の発売日には郵便局に購入希望者が長蛇の列をなして並ぶ光景が見られた。
via zigsow.jp
via www.nikkei.com
読売巨人軍の「王貞治」選手が「シーズン55本塁打」という偉業達成
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via www.jiji.com
9月23日最終戦の対大洋ダブルヘッダー第2試合 (28回戦、後楽園球場) で雨中の5回裏に佐々木吉郎投手からシーズン55号 (通算170号) 本塁打を24歳で記録した。
これは2013年にヤクルトのウラディミール・バレンティンに破られるまで長年プロ野球記録であった。
55本塁打のうち24本は飛距離400フィート (約122m) 以上という大リーグの球場でも十分にスタンド中段に届く大型ホームランであり、決して球場の狭さに助けられた記録ではない、と宇佐美徹也は評価している。
参考に、この年のセ・リーグにおいて第2位の本塁打数はM・クレス(当時は大洋所属)の36本で、両リーグ合わせて第2位の本塁打数は野村克也(当時は南海所属)の41本であり、両者を10本以上も突き放しての数字である。また、55本塁打のうち17本は左投手から奪った本塁打であり、金田正一からは7本塁打を記録した 。
これは2013年にヤクルトのウラディミール・バレンティンに破られるまで長年プロ野球記録であった。
55本塁打のうち24本は飛距離400フィート (約122m) 以上という大リーグの球場でも十分にスタンド中段に届く大型ホームランであり、決して球場の狭さに助けられた記録ではない、と宇佐美徹也は評価している。
参考に、この年のセ・リーグにおいて第2位の本塁打数はM・クレス(当時は大洋所属)の36本で、両リーグ合わせて第2位の本塁打数は野村克也(当時は南海所属)の41本であり、両者を10本以上も突き放しての数字である。また、55本塁打のうち17本は左投手から奪った本塁打であり、金田正一からは7本塁打を記録した 。