世界を震撼させた裸足のランナー
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アベベ・ビキラは、長い歴史を誇るマラソン界で大きな足跡を残したランナーです。そのアベベ・ビキラの登場に、世界の陸上ファンは驚愕したのです。まさしくマラソン競技に新たな時代を開いたランナーといえるでしょう。ローマと東京の二度に渡るオリンピックで見せたその走りは、今でも時を超えて輝き続けているのです。
時は1960年9月10日、ローマオリンピックで行われたマラソン競技、今まさにフィナーレを迎えようとしていたのです。コンスタンティヌス凱旋門に設けられたゴールの仮設スタンドには、多くの観客が待ち構えていました。そこに暗闇のアッピア街道から登場したのが、ゼッケン番号11のランナー。照明の輪の中を淡々と走るランナーには、拍手や歓声はまばらだったと伝えられています。
それは全くの無名で、まさにダークホースだったアフリカ選手だったのです。この予想外の快挙に、観客は拍手も忘れてただ目を見張るばかりだったのでしょうか。とはいえアベベ・ビキラの快走は、それほどまでに衝撃的だったということでしょう。そのうえに、このアフリカ選手が裸足で走っていたということも、衝撃を大きくしたに違いありません。
時は1960年9月10日、ローマオリンピックで行われたマラソン競技、今まさにフィナーレを迎えようとしていたのです。コンスタンティヌス凱旋門に設けられたゴールの仮設スタンドには、多くの観客が待ち構えていました。そこに暗闇のアッピア街道から登場したのが、ゼッケン番号11のランナー。照明の輪の中を淡々と走るランナーには、拍手や歓声はまばらだったと伝えられています。
それは全くの無名で、まさにダークホースだったアフリカ選手だったのです。この予想外の快挙に、観客は拍手も忘れてただ目を見張るばかりだったのでしょうか。とはいえアベベ・ビキラの快走は、それほどまでに衝撃的だったということでしょう。そのうえに、このアフリカ選手が裸足で走っていたということも、衝撃を大きくしたに違いありません。
アベベが裸足で走ったわけ
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そして2年後の1964年東京大会、アベベは期待通りの快走を見せ優勝。見事オリンピックで2連覇をしたのでした。このエチオピアのランナーは、前回のローマ大会も裸足で走って優勝し世界を驚愕させたことから、「裸足のランナー」と呼ばれていたのです。
ということで、アベベ・イコール裸足のランナーという先入観が固定していましたが、実際は常にシューズを履かなかったわけではありません。ローマ大会までは、シューズを使って練習をしていたのです。しかしその練習では、10kmほど走ったところで足が痛みはじめペースを落としてしまい、裸足で走ったそうです。
ということで、アベベ・イコール裸足のランナーという先入観が固定していましたが、実際は常にシューズを履かなかったわけではありません。ローマ大会までは、シューズを使って練習をしていたのです。しかしその練習では、10kmほど走ったところで足が痛みはじめペースを落としてしまい、裸足で走ったそうです。
日本の道路を裸足で走るのは危ない
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そして、「裸足の王者」アベベにシューズを履かせた男がいました。それは日本人の鬼塚喜八郎、今では世界的なスポーツ用品メーカーとなった、アシックスの創業者です。ローマオリンピック後の1961年6月15日、アベベを訪ねた鬼塚は、アベベのために作ったシューズを提供するために来たと伝え、このシューズを履いてぜひ優勝して欲しいといったのです。しかしこの鬼塚の行為も、アベベはすんなりと受け入れませんでした。
ところが断られても鬼塚はねばります。まだそんなに整備されてなかった日本の道路事情を説明し、裸足では危険だと言ったのです。裸足にこだわるアベベでしたが、コーチのニスカネンが間に入り試しに履いてみることに。実はニスカネンは、裸足に限界を感じていたそうで、シューズ導入も検討していたのでした。
その時鬼塚は、「白いオニツカタイガー」を渡します。このオニツカタイガーとは、まさに鬼塚シューズのブランド第1号だったのでした。そしてアベベは、毎日マラソンでも堂々と優勝しますが、その時鬼塚シューズは履いていませんでした。
ところが断られても鬼塚はねばります。まだそんなに整備されてなかった日本の道路事情を説明し、裸足では危険だと言ったのです。裸足にこだわるアベベでしたが、コーチのニスカネンが間に入り試しに履いてみることに。実はニスカネンは、裸足に限界を感じていたそうで、シューズ導入も検討していたのでした。
その時鬼塚は、「白いオニツカタイガー」を渡します。このオニツカタイガーとは、まさに鬼塚シューズのブランド第1号だったのでした。そしてアベベは、毎日マラソンでも堂々と優勝しますが、その時鬼塚シューズは履いていませんでした。
企業力の差
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シューズを使うようになったアベベですが、東京オリンピックなどのその後の試合で、アベベが鬼塚シューズを履くことはなかったようです。実は履いていたのはプーマ製のシューズだったのです。当時はまだ、アマチュア規定が厳しい時代、金品の授受など論外でした。鬼塚自身も、良いものを提供すれば選手は履いてくれると考えていたのでしょう。しかし、世界はすでに契約社会に変貌していたのでした。
この時点で、プーマ社はアベベに高額な金額を提示していました。東京大会前にすでに契約していたのです。すでに世界的な企業だったプーマと、ようやく世界ブランドになりかけていた「オニツカタイガー」、企業力の差がでたのでしょうね。
それでも、鬼塚の名誉と誇りのために言うとすれば、わざわざアベベの宿舎を訪れ、熱心にシューズの利用をすすめた鬼塚の熱意は覆ることはありません。
この時点で、プーマ社はアベベに高額な金額を提示していました。東京大会前にすでに契約していたのです。すでに世界的な企業だったプーマと、ようやく世界ブランドになりかけていた「オニツカタイガー」、企業力の差がでたのでしょうね。
それでも、鬼塚の名誉と誇りのために言うとすれば、わざわざアベベの宿舎を訪れ、熱心にシューズの利用をすすめた鬼塚の熱意は覆ることはありません。
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