世界王座陥落、そして再奪取!
1974年6月4日、7度目の防衛戦でオスカー・"ショットガン"・アルバラード(アメリカ合衆国)と対戦し、最終15回KO負けを喫し、王座から陥落した。
この試合で輪島が負ったダメージは大きく、試合後病院に直行しそのまま入院するほどだった。一時は医師から引退を勧められるも、退院後間もなく再起に向けトレーニングを再開。
この頃輪島はアルバラード戦で得た教訓から、現在でいうインターバルトレーニングを導入している。
そして王座陥落から7か月後の1975年1月21日、アルバラードと再戦。
15回判定勝ちで雪辱し、WBA・WBC王座返り咲きに成功。
しかし輪島陣営が次期挑戦者を当時WBA世界ランキング1位の柳済斗(韓国)と発表したのに対し、WBCコミッション側は同団体世界ランキング1位だったミゲル・デ・オリベイラ(ブラジル)との対戦を要求。
両者話し合いを行うも解決を得ず、輪島は王座獲得から2か月後の3月22日にオリベイラとの指名試合回避を理由にWBC王座を剥奪された。
三度、世界王座返り咲きを狙う!
同年6月7日、初防衛戦で柳済斗と対戦し、7回KO負けを喫しWBA王座から陥落した。
だが、翌1976年2月17日、柳と再戦し15回KO勝ち。2度目の世界王座返り咲きを果たした。
この翌日、東京・新宿区で起きた銀行強盗事件で犯人が立てこもった時、警察官は「自首をして、あの輪島の根性を見習って人生をやり直してみろ」と言って説得している。
当時、テレビのボクシング中継が衰退する一方で、まだゴールデンタイムで日本タイトルマッチが放映されることもあり、輪島は日本人の持つ浪花節的な感覚を刺激して全国区の人気を博していた。
しかしながら、5月18日の初防衛戦でホセ・デュラン(スペイン)に14回KO負けを喫し、三たび世界王座から陥落した。
1977年6月7日、3度目の世界王座返り咲きを懸け、WBA王者のエディ・ガソに挑むも、11回KO負けを喫した。
結局この試合を最後に引退し、翌1978年春、後楽園ホールにて引退セレモニーを行った。
引退後はタレントと団子屋で大成功!
輪島功一は引退後、東京・西荻窪で「輪島功一スポーツジム」でボクサーの育成に尽力します。
ボクシングの試合での解説も務めています。
その一方でタレント活動を行います。
90年代には「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」でも陽気なキャラクターが受け、人気を博しました。
そして、その「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」でも特集された「だんごの輪島」を開店し、評判を呼びます。
今では国分寺の名物店となっています。
ボクシングの試合での解説も務めています。
その一方でタレント活動を行います。
90年代には「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」でも陽気なキャラクターが受け、人気を博しました。
そして、その「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」でも特集された「だんごの輪島」を開店し、評判を呼びます。
今では国分寺の名物店となっています。
おすすめ「だんご5本家族」の感想
種類は、みたらし、ごまだれ、あんこ、きなこ、いそべと基本を押さえたラインナップ。
「どのだんごも自信があると言われていた通り、全種類おいしかったね」
特に、いそべだんごは、醤油の焦げた香ばしさが、口いっぱいに広がり絶品だった。
※「東経大生の食べ歩きtrip!! 突撃!もぐもぐ探検隊」に掲載のレポートより引用
輪島大士と従兄弟は作り話!?
大相撲の横綱・輪島として活躍した輪島大士と従兄弟と言っていたことがあるが、後に本人が語った所によれば、2人が同じ苗字でプロスポーツで頂点に立ち、タレント活動をしていたことと共通点が多いため従兄弟という設定で売り出したとのこと
(元々2人は友人同士だったため、本人は横綱のことを「ひろし」と呼び、横綱には「こうチャン」と呼ばれていた)。
しかし、この説明は、輪島直幸を含む3人が従兄弟である、と横綱現役の頃から言われていたという事実と矛盾する。
via blogs.c.yimg.jp
本来、又従兄弟ではあるそうです。
それもまたキャラ作りの一つかもですね(笑)
「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」では、石橋貴明が「炎の男」と呼ばれた偉大なチャンピオンを「功一」と呼び捨てにするシーンが強烈でした!
輪島功一の愛すべきキャラは、今も健在です!
それもまたキャラ作りの一つかもですね(笑)
「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」では、石橋貴明が「炎の男」と呼ばれた偉大なチャンピオンを「功一」と呼び捨てにするシーンが強烈でした!
輪島功一の愛すべきキャラは、今も健在です!