竹原慎二 ガン? 勝つのはオレじゃい! じゃあの
2019年1月17日 更新

竹原慎二 ガン? 勝つのはオレじゃい! じゃあの

「ガンはもともと自分の細胞のコピーミスを免疫力で抑えられなかったためにできたものだ。 だから治せるのは自分しかいない」 現役時代、竹原慎二は、どんな勝負でも真っ向から挑んでいった。 ガンとの戦いにおいても、弱音を吐いたり落ち込んだりしたこともあったが、周囲に八つ当たりしたり自暴自棄になったことはなかった。

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歴史を変えた男

竹原慎二は本当に強かった

1995年12月19日、竹原慎二は、日本人で初めて世界ミドル級タイトルに挑戦した。
ミドル級のリミットは72.5kg。
ジャック・デンプシー
シュガー・レイ・ロビンソン
カルロス・モンソン
シュガー・レイ・レナード
マービン・ハグラー
トーマス・ハーンズ
過去に伝説的なチャンピオンたちが君臨してきた階級である。
相手は、WBA世界ミドル級チャンピオン:ホルヘ・カストロ。
ニックネームは「ロコモトーラ(機関車)」
すでに4度の防衛戦を勝ち抜いていた。
アマチュアで126勝2敗。
プロで98勝69KO4敗2分。
1度もダウンをしたことがない化け物だった。
対する竹原慎二は、全勝ながら24戦。
世界戦だというのにテレビの生中継はなく、深夜にテレビ東京が録画中継したのみだった。
ミドル級という注目度が低さ。
所属ジムの資金力とコネの少なさ。
そして
「圧倒的に竹原不利」
という期待の低さ。
まさに冷遇だった。
しかしこの不遇が、かえって竹原慎二のナニクソ根性を刺激した。
人間、勝てるわけがないと自分で思うならともかく、他人からいわれると腹が立つ。
「勝つのはオレじゃい」
竹原慎二は序盤から快調にジャブを飛ばし、3R、左ボディブローで、これまでダウンしたことがないカストロをダウンさせた!
その後も堂々と打ち合って、フルラウンド戦って、判定で竹原慎二が勝利し、日本人初の世界ミドル級王者となった。
「世界チャンピオンになれました。
やればできるんですね」

1996.竹原慎二 vs.ウィリアム・ジョッピー【ボクシング】William Joppy

約半年後の1996年6月24日、ランキング1位のウィリアム・ジョッピーとの初防衛戦は、横浜アリーナという大会場、しかもゴールデンタイムの生中継つきで行われた。
しかしカストロ戦後、竹原慎二の左目は異変が生じ、ほとんどみえなくなっていた。
「練習もままならない状態でしたが、だからといってケガが癒えるまで試合を待ってもらえる状況でもなく、本当にリングに上がるだけで精いっぱいの状態でした」
カストロ戦とは別人のように精彩を欠いた竹原慎二は、スピードもアグレッシブさもなく、相手の右がまったくみえず、1Rにダウンし、9Rに連打を浴びてコーナーに追いつめられたところで試合を止められた。
9R2分29秒、TKO負け。
初防衛に失敗。
初めての敗北だった。
この試合後、竹原慎二は引退した。
「正直、楽しんでやれた試合なんてひとつもなかったですよ。
試合前は常に憂鬱で、“事故にでも遭って試合が中止にならないかな”と、いつも本気で考えていましたから。
もともとがどうしようもない不良少年でしたから、ボクシングで少し認めてもらえるようになって、その立場を失うのが怖かった。
特に日本チャンピオン、東洋太平洋チャンピオンになってからは尚更でした」
無敗の快進撃の裏には苦悩が潜んでいた。

竹原慎二がボビーをワンパンでKO瞬殺 【ボクシング】

引退後、「ガチンコフィイトクラブ」でブレイク。
畑山隆則と共にジムを経営し、後進の指導にも当たっていた。
しかし世界タイトルを獲った日から約10年後の、2014年2月3日、竹原慎二はガンを宣告された。

A医師

風神ライカ選手入場シーン

2013年1月、竹原慎二は頻尿が気になり、公私共に親しかったA医師に電話した。
そしてA医師の病院で検査を受け
「少し潜血が出ているがおそらく膀胱炎」
と診断され、薬をもらって帰った。
1週間薬を飲んだが頻尿は治らなかったため再び医師に電話したが
「お酒を飲むから薬が効かないんだ」
といわれた。
さらに数日後、前回より詳しい検査をすると、膀胱に菌はなく膀胱炎ではないことがわかった。
そしてお酒を控えるようにいわれ、薬をもらって帰った。
以後、3~4ヵ月間、薬を飲んで過ごしたが頻尿は改善されなかったため、血液、エコーなどいろいろな検査を受けたが、
「何の問題もない」
といわれた。
2013年8月、竹原&畑山ジム所属のライカ選手の世界戦が韓国で行われたとき、移動中にトイレからトイレにはしごする姿をみた妻が心配になった。
「パパ、これ絶対おかしいよ。
日本に帰ったら別の病院で診てもらったほうがいいんじゃないの?」
「A先生のところで診てもらっているから心配ないよ」
妻は帰国後、A医師に相談したが、
「血液検査、尿検査などいろいろ調べてみたし、こおkの大学の泌尿器科にも相談してみたけど、どこも異常はないんだよね。
チャンピオンは相変わらず酒ばかり飲んでいるんでしょう?
日頃の不摂生が原因だよ。
禁酒してみたらどう?」
といわれた。
竹原慎二は1週間禁酒したが、症状は改善されなかった。
秋になると排尿の度に痛みを感じるようになった。
激痛でうずくまることもあった。
A医師に伝えると
「大袈裟だよ」
といわれ
「前立腺炎、前立腺肥大だ」
と診断された。
薬を処方され痛みは治まったが相変わらず頻尿だった。
2013年12月31日、血尿で便器が真っ赤になった。
A医師に報告すると、休み明けに紹介状を書くから総合病院の泌尿器科へ行くようにいわれた。

B医師

尿検査でがん当日発見 「線虫」使い3年後実用化へ(17/04/18)

2014年1月6日、A医師に紹介された病院で、血液検査、エコー検査、尿検査、尿細胞診(尿中の細胞を鏡検し悪性の細胞の有無を調べる)などを受けたが、結局、この日は、血尿の原因はわからなかった。
しかし尿細胞診の結果がわかるのは1週間以上かかるという。
この病院のB医師は
「様子をみてみましょう」
といい、竹原慎二は漢方薬をもらって、次の予約を入れることもなく帰った。
2014年2月2日、2度目の大量の血尿が出たため翌日、再診を受けた。
するとB医師はパソコンの画面をみて急に慌てだした。
医師は1ヵ月前に受けた尿細胞診の結果を確認していなかった。
そして
「よく調べたら尿細胞診の結果はクラス5って数値出てるね。」
尿細胞診は、クラス1(陰性)、クラス2(陰性)、クラス3(偽陽性)、クラス4(陽性)、クラス5(悪性腫瘍)である。
つまり竹原慎二は強くガンが疑われる検査結果が出ていたにも関わらず1ヵ月も放置されたことになる。
「うーん・・・・ガンだね」
あまりにあっさりといわれて竹原慎二はわけがわからなかった。
(えっ?はっ?ガン?)
「どうする?今日時間ある?検査する?」
「あ、はい」
何事もなかったように内視鏡検査したB医師は
「膀胱内をみるかぎり腫瘍らしいものは見当たらない」
といった。
そしてCT、超音波、胸部レントゲンを撮った。
尿路上のどこかにガンがあることは間違いないが、それが腎臓なのか尿管なのか膀胱なのかわからないからである。
「1ヵ月後内視鏡手術をしましょう」
さらに詳しく調べるには2~3日入院して内視鏡手術が必要だという。
(1ヵ月も放っておいて大丈夫なのか?)
竹原慎二はあまりに突然のことに不安でたまらなかった。
ガン=死という思いが頭をよぎったが、帰宅後、仕事のために茨木に移動した。
夜になりA医師が電話をかけてきてくれた。
「いやいやーまいちゃったねえ。
でもね初期ガンだから内視鏡でチョッチョッととればおしまいだよ」
竹原慎二は、その後もガンのことは誰にもいわずに仕事を続けた。

膀胱鏡での膀胱内の観察

2月19日、B医師による内視鏡検査手術を受ける。
全身麻酔で行われたため、竹原慎二は気がつくと病室で寝ていた。
膀胱の右壁に2.5㎝ほどの腫瘍がみつかり、肉眼でみえる限り削り取られた。
採取した組織は病理検査に回された。
顕微鏡でみてガンの進行度と悪性度(グレード)が確定されるのは2週間後だった。
もしガンが筋層まで浸潤していれば膀胱の全摘出しかないという。
膀胱ガンは、腫瘍の深達度と広がり方、リンパ節やほかの臓器への転移の有無によって、0a、Ois~Ⅳ期の6段階のステージ(病期)に分類される。
数字が大きくなるほど進行した状態で、0a期とⅠ期はガンが筋層まで到達していない表在性ガン、0is期は上皮内ガン、Ⅱ期、Ⅲ期はガンが筋層まで達している浸潤性ガン、Ⅳ期は骨盤壁、腹壁まで到達しているか、リンパ節やほかの臓器まで広がっている転移ガン。
その夜、A医師が見舞いに来た。
「膀胱全摘して体に袋をつけたらどうなるんですか?
今まで通り飲みに行ったり遊んだりできるんですか?」
「大丈夫だよ。
チャンピオンは今まで人の何十倍も遊びまくったんだから。
もう大丈夫でしょう。
夜遊びできなくても」
(ガンを見逃しておいてよくいうわ)
退院後、竹原慎二はネットで情報を集めた。
膀胱をとるのは避けたかった。
そして浸潤性の膀胱癌でも温存治療を行う病院がいくつかあることを知り、片っ端から電話し自分の状況を説明した。
そして都内と北関東の2つの病院に予約を入れた。
いわゆるセカンドオピニオンであるが、セカンド・オピニオンは「診療」ではなく「相談」になるため健康保険給付の対象とはならず全額自己負担となる。
竹原慎二の予約した病院はそれぞれ、1時間43200円と32400円だった。

誤診に続くルーズな対応

ガーン

3月3日、A医師より電話があった。
「さっきB先生から聞いたんだが、チャンピオン、浸潤していなかったって。
よかった。
よかったねえ」
竹原慎二は天に昇るほどうれしかった。
妻と2人で泣いて喜び、その日のうちに畑山隆則と祝杯まで挙げた。
3月5日、内視鏡検査手術のときに採取した組織の検査の結果が出る日、竹原慎二は明るい気持ちでB医師に正式な結果を聞きに行った。
するとB医師は信じられないことをいった。
「A先生から第一報が入ってるかもしれないんだが、今朝もう1回いろいろ確認してみた。
そしたらやっぱり浸潤しているようでね」
ギリギリながらT2aの浸潤性膀胱癌です。
できる限り早く治療を始めた方がいい。
まず抗ガン剤から・・」
「待ってください。
どういうことですか?
A先生は浸潤していないと」
「A先生はポジティブな人だからねえ。
でも今朝もう1度確認したところ浸潤していることに間違いないです」
「・・・・・」
言葉を失った竹原慎二の横から妻はセカンドオピニオンを受けることを告げた。
「セカンドオピニオンを受けますので検査データをください」
「そうだね。
他の医者の意見を聞くことは大事なことだ。
こちらで病院、紹介しようか?」
「結構です。
すでに2つの病院に仮予約してあります」
(お前らの紹介する医者なんぞ信用できるか!)
竹原慎二と妻は、不信感でいっぱいになりながら、書類と検査データを看護師から受け取り、郵便局にいき2つの病院に速達で送った。

温存治療不可能 膀胱全摘 何もしなければ1年

Uterine Fibroids Types and Treatments : Intramural, Submucosal and Subserosal Fibroid.

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