親父は偉大?いや、息子が凄い?プロ野球の親子鷹!
2020年11月9日 更新

親父は偉大?いや、息子が凄い?プロ野球の親子鷹!

長嶋一茂さんや野村克則さんは明らかに父親が偉大すぎた感じですが、実は結構いる日本プロ野球界の親子鷹。 父の背中を見て育ったからこそ選んだプロ野球への道なんでしょうか。

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(父)長嶋茂雄 (子)長嶋一茂

誰もが知っている球界の父子鷹。
父親が偉大すぎて、息子が叩かれがちだが、一茂は六大学で大活躍をし、実力を認められてのヤクルト入団だったことを忘れてはいけない。
(父)長嶋茂雄

(父)長嶋茂雄

<通算成績>
出場試合数:2186試合
通算打率 :.305
本塁打数 :444本塁打
打点数  :1522打点

<主なタイトル>
首位打者:6回
本塁打王:2回
打点王 :5回
長嶋 茂雄(長島 茂雄[1]、ながしま しげお、1936年2月20日 - )は、千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市)出身の元プロ野球選手(内野手)・プロ野球監督。

闘志溢れるプレイと無類の勝負強さで巨人の4番打者として活躍し続けた。「ON砲」として並び称された王貞治とともに巨人のV9に大きく貢献し、国民的人気を誇った。2001年より株式会社よみうり(現:株式会社読売巨人軍)専務取締役、巨人軍終身名誉監督。2013年、国民栄誉賞を受賞した。
(子)長嶋一茂

(子)長嶋一茂

<通算成績>
出場試合数:384試合
通算打率 :.210
本塁打数 :18本塁打
打点数  :82打点

<主なタイトル>
2002年 第27回報知映画賞新人賞(『ミスター・ルーキー』)
2003年 第26回日本アカデミー賞新人俳優賞(『ミスター・ルーキー』)
長嶋 一茂(ながしま かずしげ、1966年1月26日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手)、タレント、スポーツキャスター、野球評論家、俳優。現在は読売ジャイアンツ野球振興アドバイザー。

東京都大田区田園調布出身。ナガシマ企画所属。血液型B型。父は長嶋茂雄。4人兄弟の長男(第一子)で、弟はレーシングドライバーの長島正興、妹はキャスターの長嶋三奈。

(父)野村克也 (子)野村克則

父親が偉大すぎるパターン。
ここは長嶋親子をあんだけ叩いておきながらの入団経緯もあったためあまり歓迎されていなかった。だが、息子のコーチングという才能によりコーチとして活躍中。
(父)野村克也

(父)野村克也

<通算成績>
出場試合数:3017試合
通算打率 :.277
本塁打数 :657本塁打
打点数  :1988打点

<主なタイトル>
三冠王 :1回
首位打者:1回
本塁打王:9回
打点王 :7回
野村 克也(のむら かつや、1935年6月29日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(捕手)・監督・野球解説者、評論家、歌手、日本体育大学客員教授。所属事務所はエフエンタープライズ。血液型はB型である。

愛称は「ノムさん」。

戦後初・捕手として世界初の三冠王、出場試合数歴代最多、監督としても出場試合数歴代3位、通算本塁打数歴代2位、通算打点数歴代2位、通算犠飛数歴代1位などの記録を持つ。
(子)野村克則

(子)野村克則

<通算成績>
出場試合数:222試合
通算打率 :.185
本塁打数 :4本塁打
打点数  :17打点

<指導歴>
2007年 東北楽天ゴールデンイーグルス 二軍育成コーチ
2008年-2009年 東北楽天ゴールデンイーグルス 一軍バッテリーコーチ
2010年-2013年 読売ジャイアンツ 二軍バッテリーコーチ
2014年 東京ヤクルトスワローズ 二軍バッテリーコーチ
2015年- 東京ヤクルトスワローズ 一軍バッテリーコーチ
野村 克則(のむら かつのり、1973年7月23日 - )は、東京都目黒区出身(出生地は大阪府)の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球コーチ。

現在は東京ヤクルトスワローズの一軍バッテリーコーチを務める。現役時代の登録名は「カツノリ」(2004年のみ本名「野村克則」だった)。父は野球解説者・評論家の野村克也、母はタレントの野村沙知代、異父兄は団野村・ケニー野村。他に異母兄が1人いる。

(父)堂上照 (子)堂上剛裕&堂上直倫

堂上(兄)の中日をクビになり、巨人に拾ってもらう経緯でマスコミに取り上げられ露出が増えた父子鷹。
堂上(弟)もファンの期待に応えられていないので、兄弟揃っての覚醒に期待。
(父)堂上照

(父)堂上照

<通算成績>
登板試合数:320試合
勝利数  :35勝
敗戦数  :49敗
セーブ数 :7セーブ

<主なタイトル>
オールスターゲーム出場:1回 (1978年)
堂上 照(どのうえ てらし、1951年6月9日 - )は中日ドラゴンズに所属していた元プロ野球選手である。石川県輪島市出身。現役時代の愛称は「ジャンボ」。
(子)堂上剛裕

(子)堂上剛裕

<通算成績>
出場試合数:305試合
通算打率 :.264
本塁打数 :10本塁打
打点数  :67打点
※2014年度シーズン終了時
堂上 剛裕(どのうえ たけひろ、1985年5月27日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(外野手、内野手)。
父は元中日ドラゴンズ投手の堂上照、弟の堂上直倫は中日ドラゴンズ所属の内野手。
(子)堂上直倫

(子)堂上直倫

<通算成績>
出場試合数:429試合
通算打率 :.222
本塁打数 :9本塁打
打点数  :80打点
※2014年度シーズン終了時
堂上 直倫(どのうえ なおみち、1988年(昭和63年)9月23日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(内野手)。
高校時代は超高校級スラッガー、尾張のプリンスとも呼ばれた。愛称は「ナオリン」(直倫の“倫”を音読みに変えている。)
父の堂上照は元中日ドラゴンズ投手。兄の堂上剛裕は読売ジャイアンツ所属の外野手。
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