【福間納】1985年阪神タイガース日本一!影のMVPはこの人
2022年7月3日 更新

【福間納】1985年阪神タイガース日本一!影のMVPはこの人

1985年に初の日本一となった阪神タイガース。当時も今も強力打線ばかりが話題になりますが、投手陣にも、中継ぎ、先発、抑えとフル回転で活躍し、チームの苦しい台所事情を支えた"影のMVP"がいます。それが福間納投手。1983年には、最優秀防御率のタイトルを獲得しています。今回は、そんな実力派投手の足跡をたどります。

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社会人→ロッテ→阪神

長かった社会人野球

福間納は、1951年生まれの島根県出身。大田高校在籍時代はエースとして活躍し、1969年には春の選抜に出場しました。卒業後の1970年、松下電器に入社。一年目からエースとして、都市対抗野球で活躍します。大会後、阪急ブレーブスからドラフト7位で指名されますが、この時は固辞。その後約8年もの間、社会人で野球を続けます。二度目のドラフトは1978年。ロッテオリオンズから1位指名を受け、ついにプロ入りを決意しました。

インベーダーゲームのやりすぎでトレード!?

ロッテでは、長年の社会人の実績から、先発即戦力としての活躍が期待されていました。ところが、一年目で左肘を痛め、中継ぎに転向。本人曰く、寮で暇を持て余し、近くの喫茶店でインベーダーゲームをやり過ぎたのが原因だったとのこと。結局、ロッテでは1勝もあげられず、1981年のシーズン途中、阪神タイガースへ交換トレードに出されます。

最優秀防御率&最多登板試合数

移籍した1981年は、早々にワンポイントとして起用され、35試合に登板します。翌1982年は63試合に登板し、プロ初勝利を挙げました。

そして、1983年からの3年間、キャリアの絶頂期を迎えます。

1983年は、中継ぎの池内豊や抑えの山本和行らと共に、リリーフ陣としてチームを支えました。この年、福間は中継ぎとしてだけでなく、二度の先発に、抑えで6セーブとフル稼働で活躍します。69試合に登板し、投球回数は130回2/3。ギリギリ規定投球回数に達し、防御率2.62で「最優秀防御率」のタイトルを獲得しました。因みに翌年、広島の小林誠二もわずか二度の先発ながら、同じく投球回数130回2/3で、同タイトルを獲得しています。

1984年は、投球回数は若干減るものの、全試合の6割に当たる77試合に登板。当時のシーズン登板試合数のセ・リーグ記録を樹立しました。

日本一の中継ぎ

21年ぶりのリーグ制覇

1985年は、春先から打線が好調で、4月早々に首位に立ちます。福間は、前年より試合数は減ったものの、中継ぎを中心に、先発、抑えとしてフル稼動で活躍します。

5月22日の広島戦では、3回表終了時点で0-7。3回裏に3点を返したもののまだ4点差。この敗戦濃厚の試合で、福間はロングリリーフとして登板します。結果は、4回2/3を投げ零封。その後、打線が爆発して逆転。終わってみれば13-8の大勝利でした。因みに勝利投手は、福間の後、1/3回だけ投げた中西清起投手でした。

また、死のロードでは、先発投手が不足する中、8月14日の巨人戦、中3日で8月18日の広島戦に先発で登板します。どちらも敗戦となりますが、休む間もなく今度は、中2日で8月21日の大洋戦に中継ぎで登場。3回を投げ勝利投手となります。

福間の活躍もあり、チームは21年ぶりのリーグ制覇。自身もキャリア最高の8勝を記録します。猛虎打線ばかりが注目される1985年ですが、その裏でチームを支えていたのは投手陣で、その中で最も貢献したのが福間でした。当時4番打者を務めた掛布雅之は、後年、福間のことを "影のMVP" と語っています。
福間納投手

福間納投手

悲願の日本一

西武ライオンズとの日本シリーズでは、第2戦、第4戦、第5戦に登板しました。

ドラマがあったのは、西武・西岡良洋との対決。第4戦では、9回表二死二塁同点の場面で西岡に勝ち越しの2点本塁打を打たれ、敗戦投手となります。続く第5戦は、4回表一死満塁の場面で再び西岡と対決。今度は、ショートゴロ併殺打に抑えて勝利投手となり、前日の借りを返しました。すぐに名誉挽回の機会を与える吉田義男監督の粋な采配と、それに応えてリベンジを果たした福間の活躍が光った試合でした。

そして、日本シリーズも4勝2敗で西武を撃破。ついに、悲願の日本一に輝きます。この年のMVPは、ペナントレースも日本シリーズもランディ・バースでしたが、その裏で活躍した "影のMVP" は、日本一の中継ぎ投手、福間納だったと言っても過言ではないでしょう。
福間納投手

福間納投手

引退後も活躍

その後も阪神で現役を続け、1990年に引退。引退後は、毎日放送やGAORAの解説者として活躍する一方、1998〜2001年には、古巣阪神のコーチに就任し、20勝投手井川慶らを育てています。

2022年からは、社会人野球のカナフレックスコーポレーションの監督に就任。自身も経験豊富な社会人野球で、新たな活躍が期待されます。

【猛虎の血】福間納さん インベーダーゲームで選手寿命を縮めたV左腕が好調・阪神ブルペン陣にアドバイス

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