BOØWYがヴィジュアル系へ与えた影響とは?
シャープでエッジの効いた縦ノリの8ビートに、伝統的ロックンロールとアバンギャルドが共存するカッティングを多用したギター、日本人の琴線にふれる歌謡曲のようにキャッチーなメロディー。
BOØWYが完成させたビートロックというスタイルは、後のヴィジュアル系バンド達へ大きな影響を与え、多くのフォロワーを生みだしました。
空集合の"Ø"を使用したバンド名に影響され、記号や特殊文字を使用したバンド名が増殖。
布袋寅泰、曰く「パンクとロカビリーとニューウェイヴをミックスさせた」という逆毛リーゼントも多くのバンドマンに模倣され"髪立て系バンド"なんて言葉も誕生しました。
黒のスーツを基調としたファッションは、ロックンローラーでもパンクスでもメタラーでもありません。
全く新しいロッカーのスタイルを提示・衣装として使用したジャン=ポール・ゴルチエは、バンドマンやファンたちの聖衣になりました。
そして、そんなフォロワーたちは"黒服系"バンドと呼ばれていきました。
また氷室京介のマンガから飛び出してきたようなルックスとキャラクター。
トラディショナルかつトリッキーで神懸かり的なプレイスタイルを持つクレイジーギター布袋寅泰。
直立不動のダウンピッキング松井恒松。
ミスターエイトビート高橋まこと。
といった、異なる個性の集合体である4人の佇まいは、後のゴレンジャー的キャラ立ちヴィジュアル系バンドの先駆者だったとも言えるのではないでしょうか。
新宿ロフト・渋谷公会堂・日本武道館・東京ドーム・彼らが辿ったサクセスストーリーは後続バンドの道標となっていきました。
とにかくカッコつけまくるステージングとMC。
正しい文法よりも響きやノリを重視するヤンキー言葉/和製英語を用いた、キザでスイートなラブソング。
社会に対する反骨心をあらわした歌詞は、大人や周りに流されず自分らしく生きろ!と訴えかけるメッセージ性を持っていました。
楽曲は一聴するとポップでありながら、そのアティチュードは硬派で尖っています。
メジャーバンドでありながら、アンダーグラウンドの危険な魅力を漂わせているんですよね。
これらは間違いなく後のヴィジュアル系バンドに影響を与え、引き継がれたものと言って間違いありませんよね!
それでは、ここからはBOØWYがどういったバンドに影響を与え、その影響はどのように変化していったのかを時系列に沿ってヒストリー形式で解説していきます。
BOØWY - わがままジュリエット
BOØWYフォロワーの中で代表的な存在”BUCK-TICK”!!
同じ群馬出身のバンドで後輩にあたるBUCK-TICKです。
BUCK-TICKがメジャーデビューしたのは、BOØWYが解散宣言した1987年。
BOØWYをさらに過激にしたようなヴィジュアルが話題を呼び、ルックスの
良さからアイドル的な人気を博しました。
当初はBOØWY直系のニューウェイヴィーでポップかつパンキッシュな
ビートロックをメインとしていましたが、徐々にゴシックロックに傾倒。
1990年にリリースしたアルバム「悪の華」で独自の退廃的な"デカダンビートロック"を確立。
後のヴィジュアル系バンドに大きな影響を与えました。
その影響力からBUCK-TICKはヴィジュアル系の始祖と呼ばれており、アルバム「悪の華」は
ヴィジュアル系バンドの聖典とされています。
以降もポピュラリティーを失う事なく、先鋭的な要素を取り入れ、独自進化を遂げた
唯一無二のモンスターバンドと化しました。
メジャーデビュー以降メンバーチェンジすることなく、第一線で活躍し続ける
リビングレジェンドと言えます!
LUNA SEAのSUGIZOとJは「アブノーマルさをポップソングの中へ見事に溶け込ませ、
チャートのトップをとり、東京ドームでライブを成功させ、デカダンな要素を持った
アーティストで初めてメジャーシーンでトップに立ったバンド、強い影響を受けた、
リスペクトしている」と評していました。
BUCK-TICK / 「惡の華」ミュージックビデオ
1990年1月24日発売に3枚目のシングルとして発売された楽曲です。
作詞:桜井敦司、作曲:今井寿、編曲:BUCK-TICK
アレンジはシンプルなバンドサウンド。
アルバム『悪の華』に収録されたものは、キーボードが追加され、曲の終わり方が異なる
アルバムバージョンとなっています。
シングルバージョンは長らくアルバム未収録でしたが、後発のベストアルバム2作や、
アルバム『悪の華』のリマスターエディションにシングルバージョンが収録されています。
BOØWY解散後にメジャーデビューを果たした”JUSTY-NASTY”!!
「BE MY BABY」をリリースしたのが1989年。
この年にシングル「言いだせなくて」とアルバム「CRASH」にてメジャーデビューを
果たしたのがJUSTY-NASTYです。
JUSTY-NASTYは、伝説的バンドAION、MEIN KAMPFなどで活動していたRODこと
藤崎賢一を中心に結成されたバンド。
初期は所謂バッドボーイズロック系のスタイルでしたが、デビュー後徐々に
ニューウェイヴ方面へスタイルを転換していき、次第にBOØWYを彷彿とさせる
ビートロックタイプのバンドへと変貌を遂げました。
王道の甘く切ないメロディーと、疾走感溢れるビートの効いたロックンロールを武器に
「ジェラシー」「盗まれた瞳」など数々の名曲を残すバンドです。
1991年にはJUSTY-NASTY流のビートロックを確立した自他共に認める最高傑作アルバム「J」を
完成させましたが、その後メンバーチェンジなどもあり1995年には解散。
2015年には結成時のオリジナルメンバーで、四半世紀以上の時を超え奇跡の
再結成を果たしています!
Justy-Nasty / 盗まれた瞳
いきなりサビから始まる手法で、勝負に出ています。
歌詞は晩夏から初秋にかけての内容で、今の季節にピッタリ!
カラオケには必ずと言っていいほど入っているのが嬉しいですよね。
黄金時代の幕開けにメジャーデビューを果たしたのが"D'ERLANGER"!!
黄金時代の幕開けとなったこの年にメジャーデビューを果たしたのがD'ERLANGERです。
初期のD'ERLANGERは、ギタリストCIPHER(瀧川一郎)がジャパニーズヘヴィメタルバンド
44MAGNUMのローディーを務めていた事もあり、ジャパメタ路線のサウンドスタイルでした。
しかし、SAVER TIGER(hideがX加入前にリーダーを務めていたバンド)などに在籍していたkyoと
Tetsuの加入後により、ビートロックを基盤としたサウンドスタイルへ移行。
BOØWY、BUCK-TICK、Bauhausの影響を感じさせるサウンドに、HANOI ROCKSや
ZIGGYあたりを彷彿とさせるバッドボーイズロックのエッセンスを散りばめたD'ERLANGER流の
"デカダンビートロック"を完成させました。
メジャーデビュー後わずか11ケ月で解散という極めて短い活動期間ながら、SADISTICAL PUNKと
標榜する衝撃的なそのサウンドは多くのフォロワーを生みだしました。
また、CIPHER(瀧川一郎)は、ヴィジュアル系史においてフォロワー数の多さでは一、二を争う程の
ギタリストで、INORAN(LUNA SEA)やDie(DIR EN GREY)などに強い影響を与えています。
LUNA SEAのINORANと真矢は「ヴィジュアル系って言われてるバンドの要素をすべて持ってる
ようなバンド」だと語っており、清春もまた「ジャパメタとビートロックが融合したのが
DERLANGERだった、発明とも言えるサウンドだった、D'ERLANGERがその後のヴィジュアル系に
与えた影響は大きい」と評しています。
そして2007年に解散時のラインナップで再結成を果たし、現在も活動を続けています!
D'ERLANGER - Darlin' PV (album's audio version)
メロディはキャッチーながらも、刺々しい攻撃的なギターサウンドに、Kyoのシャウトが乗る
メロディアスなロックナンバー!
今のD'ERLANGERが妖艶な雰囲気を重厚なサウンドに乗せているの対して、この頃は勢い重視
という感じですが、改めて聞くと歌メロ自体は今のD'ERLANGERにも通じる物があります。
1991年にメジャーデビューした"STRAWBERRY FIELDS"!!
ヴォーカリストだった福井祥史(DIZZY)とJUSTY-NASTYのギタリストだったLEZYNAを中心に
結成されたバンドです。
ポップかつマニアック、ダンサブルで明快なビートロックが人気を博し、アルバム
「nouvelle parfum」でメジャー進出を果たしました。
一口にビートロック、ニューウェイヴと言っても、STRAWBERRY FIELDSのサウンドは、
Sigue Sigue SputnikやMissing Personsらの影響を感じさせるものから、U2あたりを彷彿と
させるようなアプローチまであり、懐の深い音楽性を持ったバンドでした。
インディーズでリリースした「DANCERAMA」「Charme」、メジャーでリリースした
「nouvelle parfum」「ALiBI」「SOUL FLOWER」など素晴らしい作品を残しましたが
1993年に解散してしまいました。
Strawberry Fields/Venus
正統派な硬派ロックで、悪く言えば散漫なのだけれど、良く言えば好奇心が旺盛!
特に、ギターのセンスが独特です。
決して上手くはないのですが、ウネウネとマニアックなリフを奏でたり、
クリアーなサウンドで世界観を演出したり、テクニックをアイディアでカバーしている分、
アンテナが高い印象の1曲です。
1991年に「LONELY」でメジャーデビューした”ZI:KILL”!!
ZI:KILLで、こちらもヴィジュアル系ビートロックと呼べるスタイルを持っていました。
後続バンドの聖典となった1990年リリースの「CLOSE DANCE」は、ポジティブパンクからの影響を
基軸にしたものでしたが、ヴォーカリストTUSKの描く"はみだし者のブルース"的な世界観は
ポジティブパンクというよりはビートロックに通ずるものでした。
それもそのはずで、彼らはBOØWYやUP-BEATからの影響を口にしていました。
YUKIHIRO(現L'Arc-en-Ciel)脱退後の、メジャー1stアルバム「DESERT TOWN」ではさらに
ビートロックへ接近したサウンドを見せ、SIONや長渕剛を彷彿とさせるフォーキーでブルージーな
スタイルをより強めていきました。
1991年にはD'ERLANGERを解散したTETSUが加入したが、同年脱退。
その後はレコード会社を移籍し、より音楽性の広がりを見せていき「IN THE HOLE」「ROCKET」を
リリースしました。
更に2度の日本武道館公演を成功させましたが、1994年に解散。
BUCK-TICKやD'ERLANGERと共にヴィジュアル系を創造したレジェンドバンドのひとつです。
ZI:KILL / ROCKET
寂しげなイントロ、唄いだしだがサビでドカンといった印象。
テンポはゆったり目なのですが、ヴルーヴ感溢れていて、静と動のギャップが胸にきます。
搾り出すように唄うTUSKの声は激しいのにセンチメンタルで、何かを求めるような、
何かを探しているような気がしてしまいますよね。
手を伸ばした先にはたった一つ、何か大事なものを見つけた…そんな情景が浮かぶ一曲です!
灰猫こと西川貴教が在籍していた”Luis-Mary”!!
灰猫(Haine)こと西川貴教が在籍していたLuis-Maryです。
西川は既にこの頃から歌唱力モンスターの片鱗を覗かせており、Luis-Maryの持つストレートで
ピュアなビートロックと抜群の相性を見せていました。
安定感のあるヴォーカルとそつの無い楽曲でブレイクを期待されていましたが、1993年に解散。
その後、西川はソロプロジェクトT.M.Revolutionにて大ブレイクを果たしました。
また、ギターの山下善次とベースの丸山武久は、Ber:Satiのヴォーカル上條貴志と
ヴィジュアル系ビートロックバンドNUDEを結成しました。
作詞・作曲は氷室京介、編曲・プロデュースは布袋寅泰が担当しています。
DEMOの音源では、歌詞はデタラメ英語で歌われており、またサビは未発表曲である「TEDDY BOY MEMORIES」のサビを使っています。
いつまでも色褪せないギターソロが最高にかっこいいですよね!
そして、氷室京介さん本当カッコよすぎます!!