秋山準
強くて上手い、そしてやられっぷりも見事。
プロレスラーとしての「魅せる」ことも考えることが出来る万能レスラー、それが秋山準。
プロレスラーとしての「魅せる」ことも考えることが出来る万能レスラー、それが秋山準。
秋山 準(あきやま じゅん、1969年10月9日 - )は、日本の男性プロレスラー、実業家。本名は秋山 潤。大阪府和泉市出身。全日本プロレス所属。本名の秋山潤名義で、全日本プロレス運営会社「オールジャパン・プロレスリング株式会社」、および有限会社アキヤマ・インターナショナル・コミュニケーションの代表取締役社長を務める。
なお、ノア移籍以前の全日時代はリングネーム「準」の下部にある「十」の右下に「、」をつけていた(命名の際、デビューから一定期間を過ぎたら「、」を外すよう命名者に言われていたらしい)。
かつては、対戦相手の負傷箇所を非情なまでに痛めつけるファイトスタイルから「氷の秋山」「キラー秋山」等と呼ばれた。団体トップでありながら他団体マットにも積極的に参加している。
via http://bw-smp.nikkansports.com/battle/d/m/service/d/d_login/?backurl=/battle/d/member/m/prowrestling/kobashi/photo-gallery.zpl
レスリングにおける受け身の基礎が盤石な為、三沢や川田、小橋などとの壮絶な戦いにおいても技の受けっぷりが素晴らしい。
敗北した試合でも、相手の良さを引き出して数々の名勝負を作り上げるレスラーでした。
敗北した試合でも、相手の良さを引き出して数々の名勝負を作り上げるレスラーでした。
超新星と呼ばれ、全日本は四天王⇒五強時代へ突入
入団当初からジャンボ鶴田二世として期待され、1992年9月17日、後楽園ホールのセミファイナル(45分1本勝負)・小橋健太戦でデビューすると、同年末の『'92世界最強タッグ決定リーグ戦』には病気療養中の鶴田の代役として出場を果たす(パートナーは田上明)。
その後も同期の大森隆男や、先輩三沢光晴、小橋とのタッグでタイトルを獲得するなど、団体の看板レスラーの一人に成長する。プロレス四天王と並ぶ五強と呼ばれた。
小橋 vs 秋山 1998.7.24 三冠戦 - YouTube
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秋山準、初の三沢光晴越え 【2000年2月27日 全日本プロレス】 - YouTube
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プロレスリング・ノア立上げ後、五強の序列をぶち破りエースに名乗りを上げた
主戦場をプロレスリング・ノアへと移した後、もっとも強烈に輝きだしたのは秋山準でした。
きっと、彼の仕掛けがプロレスリング・ノアをメジャー団体に引き上げた要因の一つと考えてもよいでしょう。
きっと、彼の仕掛けがプロレスリング・ノアをメジャー団体に引き上げた要因の一つと考えてもよいでしょう。
2000年7月、全日本集団離脱からプロレスリング・ノアへ移籍。
以前はイメージカラーのブルーのショートタイツを身に付けていたが、ノア移籍後は白主体へと一新した。
三沢や小橋のパートナーという位置付けから独立し、若手を率いて「STERNNESS(スターネス)」を結成。
旗揚げ戦初戦のメインで小橋とタッグを組み、1本目を三沢から、2本目を田上から取る。翌日のメインでの小橋とのシングルでも勝利を収める快挙を見せるなど、以降は団体の中心選手として活躍。
秋山準 SHADOW EXPLOSION - YouTube
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全日本時代とは異なり、他団体との交流戦にも積極的に出場。
新日本プロレスの永田裕志と団体の垣根を越えた信頼関係を築き、2002年1月の新日本東京ドーム大会ではメインでGHCヘビー戦を行い、永田に勝利した。
2003年には新日本のG1クライマックスに参戦し決勝戦に進出するも、天山広吉に敗れた。
NJPW GREATEST MOMENTS SENDAI SPECIAL 2003.8.14 G1CLIMAX2003 TANAHASHI vs AKIYAMA - YouTube
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プロレスリング・ノア初の東京ドーム大会でメイン【年間ベストバウト受賞】
東京ドームのメインで魅せた、二人にしか出来ない壮絶な戦い
【2004年 ベストバウト】 小橋建太 vs 秋山準 7.10 東京ドーム - YouTube
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