「マツコ会議」に出演!魅惑のギター講師はあの『坂川美女丸』だった!!
近年、あいみょんを筆頭に注目されているギター女子。番組ではギターと歌で勝負したいと熱く語る女性歌手の方々が出演。未来のスター候補である女性陣ですが、ギターの実力は未完成の状態で、まだまだ伸びしろを残しているといった印象。
そうした歌手の夢を追いかける彼女たちに、ギターのテクニックを教える講師として登場したのが『坂川美女丸』さんでした!
そして、マツコ・デラックスさんから年齢を聞かれた坂川美女丸さんは、「それは江戸からワープして来た関係で・・・」と言及を避けます。が、そこは察しの良いマツコ・デラックスさん!すぐさま「先生、ヒントが下手です笑」とツッコミを入れています。
「江戸からワープ」
そう、ミドルエッジ読者ならご存知!気になる坂川美女丸さんの正体は・・・
イカ天でブレイク!カブキロックスのギターを担当!!
答えは、1990年5月に発売されたロックバンド「カブキロックス」のデビューシングル「お江戸-O・EDO」。そう、そのカブキロックスでギターを担当しているのが坂川美女丸さんなんです!!
※ 元禄3年(1690年)から現代へタイムスリップしてきたカブキロックスでは、ギターを六味線と呼んでいますが、現代人にもイメージしやすいように、本稿ではギターの呼称で統一させていただきます。
バンドオーディション番組のイカ天をご覧になっていた方は、当時特に衝撃を受けたのではないでしょうか。
イカ天出場時は、沢田研二の「TOKIO」を江戸時代風の歌詞にアレンジした同曲で見事完奏!その後、惜しくも正キングの座は逃しますが、氏神一番さんによるオリジナル曲「好色一代男」を披露するなど、番組内で確かな実力を証明することに成功します。
翌1990年には、次第にメディア出演が増え、前述のメジャーデビューを果たすまでの注目を集めました。
世界でただ一人の「雅系ギタリスト」坂川美女丸
1990年に開催された「全日本イカ天大賞」では、バンドとしては「ベストパフォーマンス賞」、ギタリスト個人としては「ベストプレイヤー 賞」を受賞されています!凄いですね!
そして、メジャーデビュー後にも「第21回東京音楽祭」「世界歌謡祭等」に出場。さらには「全日本有線放送大賞新人賞」も受賞されています。
古着屋で見つけた安くて一番目立つ「晴れ着」に注目します。そして、それを衣装に設定すると、当然のように今度は派手なメイクをし始めます。カブキロックスの原点ですね!
当時、アマチュアながらライヴハウスや原宿のホコ天でパニックを起こすほどの人気を獲得しているんです!
セルフプロデュースに長けた坂川美女丸さんは、自身を「雅系ギタリスト」と称し、独自の和音階を駆使したフレージングを得意としています。坂川美女丸さんだけの叙情感あふれる独特の音。それをストロングポイントとすることが、唯一無二の存在感に繋がっているのではないでしょうか。
また、かつてQUEENやKISSに憧れたことも公言されています。ともすれば派手な外見が”同じ括り”にされる可能性もある両バンドからの影響を隠すこと無く、彼らのパフォーマンスやオーラへの憧れを平然と語られています。
プロとしての自負を持ちながらも、他者をリスペクトする姿勢も持ち続けていらっしゃいます!カッコいいですね。
ミドルエッジ編集部は今回、坂川美女丸さんにメールインタビューをご依頼!快く引き受けてくださいました!
下記よりご覧ください!イカ天に関するエピソードも聞けちゃいますよぉ!
インタビューで色んなことを聞いてみた!!
16歳でギターを始めた坂川美女丸さん。
プロのギタリストを目指し始めたのはいつ頃からですか?
それが困った事に”この瞬間”というのが無いんです。「目の前でスーパーギタリストの演奏を観て」なんて劇的なのが有れば良いんですが。
あえて言えば大学卒業時に就活もせず、まわりが髪を切ってスーツなんかを着始めるのを他人事の様に思って見ていましたから、初めて社会のシステムから外れたのがその時だとすればこれがそう。23~24歳の頃?遅いですね。
イカ天の審査員からは派手な見た目で判断され、プロでは通用しないと批判的な意見がありました。
そうした批判を当時、カブキロックスのメンバーは、どう受け止めていたんですか?