2021年5月2日 更新
「〇〇の妹」と呼ばれた女性タレント!昔はオーディションで募集していました!
昭和の頃、アイドルのデビュー時の謳い文句のひとつに「〇〇の妹」がありました。多くは番組のオーディションに絡めたアイドル発掘企画でした。「HIDEKIの妹」や「田原俊彦の妹」など実に多くのアイドルが生まれ、人気者となっていきました。
「HIDEKIの妹」石川秀美
1981年に開催された西城秀樹の名を冠して主催した新人発掘コンテスト「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」にて発掘された石川秀美。
一次審査は応募書類及びカセットデモテープ、二次審査は歌唱、そして東京での決戦大会を勝ち抜き、応募総数55,000名を超える中から見事”妹”に選ばれました。
石川秀美
1980年に開催された第1回大会は、その後トップアイドルへと駆け上がる河合奈保子が選ばれており、注目が集まる中での第2回大会。
西城秀樹自身も審査員に加わり、本人曰く優勝した河合奈保子・石川秀美の両名を推薦していたとのこと。特に石川に関しては「石川秀美BOX COMPLETE SINGLE COLLECTION」の同封ブックレット内でも、西城自身の強い意向で選出されたとコメントしています。
石川は1982年4月に「妖精時代」でデビューを飾ります。同期デビューには小泉今日子、シブがき隊、早見優、中森明菜らがおり、「花の82年組」と呼ばれ活躍します。
1990年にシブがき隊・薬丸裕英との交際を経て結婚、妊娠を発表。芸能活動の一時休止とされましたが、その後も芸能界復帰はなく、2男1女に恵まれ現在も薬丸との結婚生活を続けています。
「妖精時代」[EPレコード 7inch]
また、2018年5月に石川自身の芸能界デビューのきっかけとなり、所属事務所の先輩でもあった西城秀樹が亡くなった際には、西城の告別式に薬丸と共に参列。しかし、石川の受けたショックは大きく、報道陣に対して終始無言を通しています。代わりに夫の薬丸が囲み取材へ応じ「妻は秀樹さんが亡くなった事に今も衝撃が大きく、心中を話せる状況ではない」と発言しています。
西城秀樹
「田原俊彦の妹」松本伊代
前述の石川秀美同様、「花の82年組」のひとりとして知られる松本伊代。原宿の歩行者天国でスカウトされた中学3年生だった松本は、1981年に行われた「たのきん全力投球!」(TBS系)の「田原俊彦の妹役オーディション」へエントリーし、見事合格します。
「明星 1982年3月号 集英社 田原俊彦、松本伊代」
同年10月には松本のデビュー曲であり代表曲にもなった「センチメンタル・ジャーニー」を発売します。同曲はロッテ「ガーナチョコレート」のCMソングに起用され、日本レコード大賞新人賞(1982年)を受賞しています。
「センチメンタル・ジャーニー」[EPレコード 7inch]
”トシちゃんの妹”となった松本でしたが、後年オーディション後は露骨に嫌がらせを受けていたことを告白しています。
オーディション後に開かれた記者会見で、トシちゃんと対面した松本。たのきんトリオのファンだったこともあり、ドキドキだったようですが、その後嫌がらせに多数遭うこととなります。
高校へと登校した際には、上履きに画びょうが入っていたり、事務所へ届くファンレターはほとんどが剃刀入りだった様子。また、松本の顔写真が破かれた状態のものも送られてきたそう。
上履きのイメージ
そうしたファンからの洗礼を経て、18歳で深夜番組「オールナイトフジ」「夕やけニャンニャン」のMCにも抜擢されるなど、順風満帆のアイドル生活を送り、93年にはB21スペシャルのヒロミと結婚。2男を出産しています。
「居酒屋ひろみの女将の妹役」白石まるみ
70年代、新御三家の一角として人気を博した郷ひろみ。郷主演で放送された1978年のドラマ「ムー・一族」で、郷の恋人役のオーディションを開催。四万人の中から2位に選ばれたのが白石まるみでした。
同ドラマにおいて「割烹ひろみ」の女将(石田ゆり)の妹役でデビューしています。役名は自身と同じまるみで、お店を手伝う高校生の役柄でした。
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