オフスプリング(The Offspring)
「offspring」というバンド名は、元メンバーのジェームズ・リルヤが名付け親である。バンド名は「バカ息子」という意味合いで使われる「offspring」から取っている。また、「ロックの次に来るもの(=ロックが産み落とした子ども)」という挑発的な意味もある。
●高いストリート性&コア性とポップ性&キャッチーさをバランス良く併せ持つ音楽性
パンクのエネルギーを炸裂させながらも、何回聴いても飽きない良質なポップ・ミュージックとして機能している。
●はっきりいってインテリジェント。ウィットに富んだジョークとメッセージ性の強い歌詞
常にユーモアを忘れないオフスプリングは一見バカっぽく見えなくもないが、実はそこには辛辣な皮肉と強いメッセージが込められている
現在のメンバー
デクスター・ホーランド(ボーカル/ギター)
1965年12月29日生まれ。
出身高校の卒業生総代を務める。"デクスター"の愛称は、数学が得意だったことから(「理数系のがり勉」という意味)。
南カリフォルニア大学分子生物学博士号取得寸前まで行っていたが、デビューのため、取得には至らなかった。
プライベートジェットを所有し、自ら操縦もする。ジェット機の名前は『アナーキー・エアライン』
2004年11月、そのジェット機で、世界一周旅行に出掛け(パイロットを目指していた10代の頃からの夢であった)、その途中で、給油と観光のため、成田を含む幾つかの都市へ立ち寄りながら、9日間に及ぶ旅を成し遂げる。
オフスプリングの楽曲をほとんど作成している。IbanezのRGシリーズのギターを主に使用している。
出身高校の卒業生総代を務める。"デクスター"の愛称は、数学が得意だったことから(「理数系のがり勉」という意味)。
南カリフォルニア大学分子生物学博士号取得寸前まで行っていたが、デビューのため、取得には至らなかった。
プライベートジェットを所有し、自ら操縦もする。ジェット機の名前は『アナーキー・エアライン』
2004年11月、そのジェット機で、世界一周旅行に出掛け(パイロットを目指していた10代の頃からの夢であった)、その途中で、給油と観光のため、成田を含む幾つかの都市へ立ち寄りながら、9日間に及ぶ旅を成し遂げる。
オフスプリングの楽曲をほとんど作成している。IbanezのRGシリーズのギターを主に使用している。
ヌードルズ(ギター)
元はデクスターたちがいた学校の用務員。酒(ビール)好きで、ヘビースモーカー。サーフィンが趣味。
「ダ・フイ」のPVでは、デクスターと共にクーク(kook サーファーまがい)役を演じる。
1985年、前年にデクスターとグレッグ・Kが結成していたバンド、マニック・サブサイダル(Manic Subsidal)に加入する。
当初は、ギターの腕よりもむしろ酒を合法的に入手出来る年齢であることが重宝された。
なお、ヌードルズというあだ名は、80年代後期に、アルバムをプロデュースしたトム・ウィルソンが付けたもので、「チャラチャラした演奏をする」という意味の「noodle」が由来。
サマーソニック07では髪を長くしている。
IbanezからNDM2というギターを使用、またシグネチャーモデルが発売されている。
「ダ・フイ」のPVでは、デクスターと共にクーク(kook サーファーまがい)役を演じる。
1985年、前年にデクスターとグレッグ・Kが結成していたバンド、マニック・サブサイダル(Manic Subsidal)に加入する。
当初は、ギターの腕よりもむしろ酒を合法的に入手出来る年齢であることが重宝された。
なお、ヌードルズというあだ名は、80年代後期に、アルバムをプロデュースしたトム・ウィルソンが付けたもので、「チャラチャラした演奏をする」という意味の「noodle」が由来。
サマーソニック07では髪を長くしている。
IbanezからNDM2というギターを使用、またシグネチャーモデルが発売されている。
グレッグ K(ベース)
Ibanez製のATKを主に使用。ピック奏法でベースを弾く。
デクスターとは幼馴染である。ゴルフが趣味。
他のメンバーに比べて大人しい性格だが、インタビューでも他のメンバーと同様によく冗談めかした発言をする。
デクスターとは幼馴染である。ゴルフが趣味。
他のメンバーに比べて大人しい性格だが、インタビューでも他のメンバーと同様によく冗談めかした発言をする。
ピート・パラダ
2007年からアトムに代わって加入。
YouTubeにて、自身の腕前を披露している。
公式メンバーとして、脱退したロン以来スタジオ版でもドラムを演奏し、『デイズ・ゴー・バイ』のレコーディングにも一部参加。
YouTubeにて、自身の腕前を披露している。
公式メンバーとして、脱退したロン以来スタジオ版でもドラムを演奏し、『デイズ・ゴー・バイ』のレコーディングにも一部参加。
元メンバー
via www.sci.fi
アトム・ウィラード (ドラム)
2003年から、ロンに代わって加入。「スプリンター」の収録後に参加したため、CDの音源では演奏していないが、収録曲の一つ「Can't Get My Head Around You」のPVに出演し、ドラムを演奏している。
2005年に発表された「Can't Repeat」のCD音源でも収録に参加しなかったが、同様にPVには登場し、ドラムを演奏している。
2007年に脱退。現在は、元ブリンク182のボーカル/ギターのトム・デロングが結成したAngels&Airwavesに参加している。
2005年に発表された「Can't Repeat」のCD音源でも収録に参加しなかったが、同様にPVには登場し、ドラムを演奏している。
2007年に脱退。現在は、元ブリンク182のボーカル/ギターのトム・デロングが結成したAngels&Airwavesに参加している。
バンド結成とインディーズ時代。
1984年
高校の同級生であるデクスターとグレッグが中心となり、カリフォルニア州オレンジ・カウンティにてバンド結成。マニック・サブサイダル(MANIC SUBSIDAL)と名づける。結成のきっかけは地元のパンク・ヒーロー、ソーシャル・ディストーションの強烈なライヴを見て。その後、学業とバンドを両立させていく。
(1985年)
デクスターとグレッグの通う高校で働いていたヌードルズが加入。当初はギターの腕というよりも酒を合法的に手に入れることができる彼の能力(年齢)が必要とされた。その後グレッグの両親の家で練習を重ね、サン・フランシスコなどで初めてのショウを経験。
(1985年)
デクスターとグレッグの通う高校で働いていたヌードルズが加入。当初はギターの腕というよりも酒を合法的に手に入れることができる彼の能力(年齢)が必要とされた。その後グレッグの両親の家で練習を重ね、サン・フランシスコなどで初めてのショウを経験。
via www.musikear.com
via i.ytimg.com
また、自分たちで『I'll be waiting/Black ball』のEPを1000枚プレスする。今ではオークションなどで高値で取引される。
EPは、自身のレーベル=BLACK LABELよりリリース。
1987年にオリジナル・ドラマーが学業に専念するため脱退、代わりに当時16才だったロン・ウェルティが加入。
1987年にオリジナル・ドラマーが学業に専念するため脱退、代わりに当時16才だったロン・ウェルティが加入。
via www.popsike.com
1989年
1stアルバム『The Offspring』をインディ・レーベル=NEMESIS/CARGOよりリリース。
プロデューサーは初期南カリフォルニア・ハードコア・シーンの立役者と言われたトム・ウィルソン。
1995年11月21日にはナイトロ(デクスター・ホーランド(vo)が立ち上げたレーベル)か らCD化され、再リリース。世界セールス50万枚を記録している。
プロデューサーは初期南カリフォルニア・ハードコア・シーンの立役者と言われたトム・ウィルソン。
1995年11月21日にはナイトロ(デクスター・ホーランド(vo)が立ち上げたレーベル)か らCD化され、再リリース。世界セールス50万枚を記録している。
via punk-freedom.com
via www.amazon.co.jp
サーフィン、スケートボード、スノーボードのビデオにフィーチャーされ、その名がストリート・シーン及びボーダーの間で一気に拡がる。実際に、世界最大のスノーボード・コンテスト『キング・オヴ・ザ・ヒル』をはじめ、数多くのコンテストなどでプレイしまくり、ファン・ベースが出来上がる。結果、世界で100万枚を超えるセールスを記録。
via www.amazon.co.jp
作品の売り上げは全世界で4000万枚以上を記録している。