プロレスリング・ノアの生き字引!「中年の星」杉浦貴選手の素顔に迫ります!!
2018年1月23日 更新

プロレスリング・ノアの生き字引!「中年の星」杉浦貴選手の素顔に迫ります!!

かつて三沢光晴さんがその志を体現すべく立ち上げたプロレスリング・ノア。同団体のデビュー1号で以来ノア一筋17年間、緑のマットを牽引し続けるのが杉浦貴だ。30歳でのプロデビュー、代名詞である必殺技「オリンピック予選スラム」にみる彼のバックボーンを”硬軟織り交ぜながら”お届けしたいと思います!

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「中年の星」杉浦貴選手を訪ねてプロレスリング・ノアへ!

プロレス界において「エメラルドグリーンのマット」といえば紛れもなくプロレスリング・ノア。かつて三沢光晴さんが、その志を体現すべく立ち上げたプロレス団体です。

そしてプロレスリング・ノア最初の新人レスラーとして30歳でプロレスデビューしたのが杉浦貴選手。
元自衛隊、レスリングでのオリンピック出場を志した20代。30歳という年齢からプロレスラーとして駆け上がった杉浦選手を、人は「中年の星」と称します。

そんな杉浦選手の生い立ちからプロレスデビューに至るまでのお話、そして20代の頃の「ぶっちゃけ話」まで、ミドルエッジ編集部(ミド編)がインタビューしてまいりました!
プロレスリング・ノア杉浦貴選手

プロレスリング・ノア杉浦貴選手

1970年5月31日生まれ、愛知県名古屋市出身。プロレスリング・ノア所属のプロレスラー、格闘家。
元自衛官でノアのデビュー第1号レスラー、ノアの至宝GHC(グローバル・オナード・クラウン)4王座すべてを奪取した経験を持っています。

少年時代はご多分に漏れず?野球、サッカー!

-現在47歳でいらっしゃる杉浦選手の少年時代、1970年代後半から80年代はどんなことに興味を抱かれていましたか?例えばプロレスへの興味は当時からお持ちだったでしょうか?
プロレスに興味を持ったきっかけはタイガーマスクですね。アニメのタイガーマスクではなくて新日本プロレスのタイガーマスク。プロレスが好きになったきっかけはソコです。四次元殺法とか。

で、子供の頃やっていたのは野球ですね。僕は丁度、王貞治さん世代なんです。王さんが世界記録を作ったのが、僕がちょうど小学生の頃でした。僕は名古屋育ちなのですが、巨人ファンでした(笑)「好きな選手がいるチーム」を好きになっていく感じなので、その当時の僕はやっぱり王貞治さんで、その後掛布雅之さんの阪神ファンです。
-実は私も名古屋育ちなんです!少年時代は中日ドラゴンズファンでしたが…(笑
僕はドラゴンスにはいかなかったですね~…。
(1982年の中日ドラゴンズ優勝時)まあ地元なので喜びましたけど、でもその時すでにちょっと野球から興味が離れてました。ちょうど小6くらいで、その頃にはすでにプロレスに気持ちが行ってたので(笑)小学校低学年くらいまでなんです、野球が好きだったのは。
-中学校に入ってからの部活は何をなさいましたか?
サッカー部です。小学校の時は野球をしたくて野球部だったけれど、その当時の名古屋って春・夏は野球、秋・冬はサッカーをやらないといけなかったんスよ。女子は春・夏はソフトボールで秋・冬はバスケットボールで。
で、小学校の時からサッカーもやってて、少年ジャンプでキャプ翼(キャプテン翼)が始まって、完全に気持ちがサッカーにいっちゃって。だから中学ではサッカー部なんです。
-丁度その頃ですと草野球派と草サッカー派で勢力争い!なんていうこともありましたよね(笑)
そうそう(笑

キャプ翼は中学生編まで読んでました。日向小次郎とか東邦学園とかね。
僕はサッカー部ではフォワードでレギュラーでやらせてもらってました。プロレスも好きだったけど、サッカーはリアルにやってたんでいまでも好きです。

マンガといえばちょっと古くなるけど「あしたのジョー」、「がんばれ元気」などのボクシング系が好きで。「キン肉マン」はキン消し集めにハマってました(笑
もうちょっと遡るとスーパーカー消しゴムってのがあって、学校の机の上でペンでピンピン相手のスーパーカーをはじき落として。落とした相手のスーパーカーをもらえるんですよね。
よく滑るように細工してやったりしました、で、あんまり滑りすぎると自爆したりしてね(笑。
少年時代を語る杉浦選手

少年時代を語る杉浦選手

キン消し集め、スーパーカー消しゴム×BOXY。
やはり定番の遊びは世代共通です!
-話がちょっと脱線しますが、当時の中学校って荒れていませんでしたか?(笑
荒れていましたね~。丁度、校内暴力とかが流行った時期で。テレビで「積み木崩し」とか金八先生(3年B組金八先生)の再放送とかが流れていた、そんな時代でしたよね。金八は再放送で見ていました。というのも、金曜8時はプロレスを見ていて、同時刻放送の金八はリアルタイムで見れなくて。だから再放送(笑)

それで高校…まあ中学の時も憧れていましたけれど、高校に入学すると漠然とプロレスいいなあ~…っていう気持ちが芽生えてきて。卒業したら入門したいな、って考え始めたんです。親に言ったら「何バカなコト言ってんだ!?」って言われましたけどね。

レスリングでオリンピックを志した自衛隊時代

-中京高校(現・中京大学付属中京高等学校)を卒業後、自衛隊に入隊されました。
1988年にソウルオリンピックがありまして、高校の時レスリング(アマレス)を習っていたのでレスリングに興味を持ちまして。それで自衛隊に入隊したんです。

入隊後は一年間、一般の自衛官をさせていただいて、その間にレスリングの集合訓練(特別体育課程集合訓練)をやって、3ヵ月オリンピック選手とかと練習させていただきました。で「コイツは良いな」ということで残れて、次の年から自衛隊体育学校に入校しました。体育学校はオリンピック選手を育てる機関なんですよ。
-1999年まで、オリンピックを目指して体育学校に在籍してレスリングに取り組まれました。当時(90年代)のプロレス業界についてはどのようにご覧になっていましたか?
僕はUWFでしたね。新日本プロレスが好きでUWFが出来て、そこからはもうUWF!
佐山聡さんが新日本プロレスを退団しUWFになって…ですから、佐山さんを追っかけていたのかな、やはり(笑。UWF解散後は修斗を見ていましたから全部佐山さんを追っかけていましたね!

まあでも、その間も一番好きだったのはUWFでしたし、テレビで新日本プロレスは見ていましたね。プロレスは全体的に見ていたのですが一番好きなのはUWFみたいなスタイルなんです。
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  • おちゃ 2018/1/23 19:52

    素晴らしい記事だった。こんなにもファン目線なルーツの方だとは思わなかった。会場で応援したいと思います。

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