-それを伺うと、杉浦選手が格闘技に出られた時の姿勢とリンクします。
僕の中に、そういう闘争心みたいなものが根底にあるんだろうなと思います。
-そんな杉浦選手ですが、全日本プロレスの最後からプロレスリング・ノア(以下「ノア」)へ…という動きをとられますが、ノア入団の時は練習生として?
そうです。当時三沢(三沢光晴)さんに呼ばれて「ちょっとみんなで新しい団体やるけど何も気にせず付いてこい」と言われまして。当時の僕はまだデビューもしていないし、まだちょっとプロレスファン気質が残っていたのかワクワクしてたんです。「ああどうなるんだろう。すっげえ!新団体設立すげぇじゃん」みたいな、そういうファン目線が。
プロレスリング・ノア最初の新人レスラーとしてデビュー
-私たちプロレスファンもそんな風にブラウン管を通して見ていた記憶があります。2000年にノアが立ち上がっていった中、杉浦選手は緑のマットのド真ん中目掛けてキャリアを重ねていかれます。
全日本プロレスから移り、1990年代から2000年代、2010年代と時代とともにリングの中で表現するモノ・求められるモノが変化したということはございますか?
全日本プロレスから移り、1990年代から2000年代、2010年代と時代とともにリングの中で表現するモノ・求められるモノが変化したということはございますか?
一番の根本は「強くないといけない」とか「すごくないといけない」とか、そういう意識はプロレスラーとしては変わらないですね。
一方、キャバクラ好きの杉浦選手だからこその企画も?
-あの、ファンとして憶えていることがありまして、杉浦選手のGHC(キャバクラ)というのがあったと思うのですが、GHC(キャバクラ)は自ら立案なさったのですか?
そうですね~…まあでも、あれはレスラーとして完全に「ブレていた」時の企画ですね。芯がないっていうか。あの企画はジュニアの頃なんですよ。
悪い先輩から「ジュニアに行った方が良い」と言われてジュニアに行った頃(笑。でも、どうしていいか分からなくなって、完全にブレていたから、あんな企画もやったりして。闘いだけを見せてやっていきたかったのに、ああいうのに走っていったっていう(汗
-話題性を高めたかったという狙いもあったのでしょうか?
いやあ…何の狙いも無かったんですよ。何も考えていなかった。とにかく、ヘビー選手として「僕はあの(ヘビーの)中に噛みつきたいんですけど」と言ったら、その先輩から「お前に順番は回ってこねえぞ、ジュニアにいけ」と言われたんで。で、ブレたりしたけど、でも本当にUWFとかが好きでプロレス始めてプロレスラーになって、全日本プロレスからノアになって。
実際自分がプロとして試合をやってみて「ああ、でもやっぱり三沢さんとかがやってきたプロレスが好きだなあ」と思いますよ。プロレスの技術とか上手さはすごいなと感じましたね。自分でやってみて、プロレスの奥深さを学んだり色々な事を経験すると、「三沢さんすげぇな、やっぱり」というのはあります。
逆に、いちプロレスファンとして好きだった人のプロレスを「なんだこの人全然下手くそじゃん」と感じたりすることもありましたしね、プロとして。プロレスラーとしてのキャリアを振り返ってみても、間違いではなかったと思います。全日本プロレスを選んでノアに移ったことは。
緑のマットを駆け上がり、団体を牽引する立場へ
-2010年代になると、団体の看板選手としてノアを引っ張っていくようになりました。キャバクラ企画をされていた頃から5~6年ほどの間で団体を背負うほどに立ち位置の変化がありました。この変化はどうお感じになっていましたか?
よく「立場が人を変える」という言葉もありますが、もともと僕はそういう風になりかったから。団体でチャンピオンになりたいと思ってプロレス界に入ったし、メインイベンターになりたいと思って入ったから、一時期ブレたけど、その場所に行ったらブレなくなりました。
遅咲きのプロレスデビューとご家族の支え
-ちょっとデビューの頃にお話を戻しますが、ご家族もいらして生活もある中で自衛官からプロレスラーになる決断をされたと思います。当時ご家族からは反対や心配などあったのでしょうか?
僕の気持ちは完全にイケイケだったけど、既に結婚をして子供も1人いたので、確かにそこは考えましたね。自衛隊だったら54歳(数え55歳)まで給料・ボーナスがいただける上に退職金もあるのに、それを捨てて…ですからね。しかも30歳で急に、ですし。だから「何を言い出すの!?」と思われそうで、なかなかカミさんに言えなくて。
カミさんから「で、どうするの?(体育学校を出て)自衛隊に残る?それとも他の何かをやる?」と言われた時も「ん~……、どうしようかなあ」と。プロレスの「プ」が、なかなか言い出せなくて(笑。そうしたらカミさんの方から「プロレスラーになれば?」って言ってくれて。カミさんもなんとなく分かってたんでしょうね。で、「そうなんだよ!本当はプロレスラーになりたいんだよ!」って返事して。そしたらカミさんが「じゃあ応援するから、(プロレスラーに)なれば?」って言ってくれて、そこからはもうトントン拍子です。
-プロレス団体からお声がかかっていた、とか?
なかでもPRIDE21、グレイシー一族であるダニエル・グレイシーとのフルタイムの激闘は非常に注目を集めた一戦でした。