「中年の星」杉浦貴選手を訪ねてプロレスリング・ノアへ!
そしてプロレスリング・ノア最初の新人レスラーとして30歳でプロレスデビューしたのが杉浦貴選手。
元自衛隊、レスリングでのオリンピック出場を志した20代。30歳という年齢からプロレスラーとして駆け上がった杉浦選手を、人は「中年の星」と称します。
そんな杉浦選手の生い立ちからプロレスデビューに至るまでのお話、そして20代の頃の「ぶっちゃけ話」まで、ミドルエッジ編集部(ミド編)がインタビューしてまいりました!
少年時代はご多分に漏れず?野球、サッカー!
プロレスに興味を持ったきっかけはタイガーマスクですね。アニメのタイガーマスクではなくて新日本プロレスのタイガーマスク。プロレスが好きになったきっかけはソコです。四次元殺法とか。
で、子供の頃やっていたのは野球ですね。僕は丁度、王貞治さん世代なんです。王さんが世界記録を作ったのが、僕がちょうど小学生の頃でした。僕は名古屋育ちなのですが、巨人ファンでした(笑)「好きな選手がいるチーム」を好きになっていく感じなので、その当時の僕はやっぱり王貞治さんで、その後掛布雅之さんの阪神ファンです。
僕はドラゴンスにはいかなかったですね~…。
(1982年の中日ドラゴンズ優勝時)まあ地元なので喜びましたけど、でもその時すでにちょっと野球から興味が離れてました。ちょうど小6くらいで、その頃にはすでにプロレスに気持ちが行ってたので(笑)小学校低学年くらいまでなんです、野球が好きだったのは。
サッカー部です。小学校の時は野球をしたくて野球部だったけれど、その当時の名古屋って春・夏は野球、秋・冬はサッカーをやらないといけなかったんスよ。女子は春・夏はソフトボールで秋・冬はバスケットボールで。
で、小学校の時からサッカーもやってて、少年ジャンプでキャプ翼(キャプテン翼)が始まって、完全に気持ちがサッカーにいっちゃって。だから中学ではサッカー部なんです。
そうそう(笑
キャプ翼は中学生編まで読んでました。日向小次郎とか東邦学園とかね。
僕はサッカー部ではフォワードでレギュラーでやらせてもらってました。プロレスも好きだったけど、サッカーはリアルにやってたんでいまでも好きです。
マンガといえばちょっと古くなるけど「あしたのジョー」、「がんばれ元気」などのボクシング系が好きで。「キン肉マン」はキン消し集めにハマってました(笑
もうちょっと遡るとスーパーカー消しゴムってのがあって、学校の机の上でペンでピンピン相手のスーパーカーをはじき落として。落とした相手のスーパーカーをもらえるんですよね。
よく滑るように細工してやったりしました、で、あんまり滑りすぎると自爆したりしてね(笑。
荒れていましたね~。丁度、校内暴力とかが流行った時期で。テレビで「積み木崩し」とか金八先生(3年B組金八先生)の再放送とかが流れていた、そんな時代でしたよね。金八は再放送で見ていました。というのも、金曜8時はプロレスを見ていて、同時刻放送の金八はリアルタイムで見れなくて。だから再放送(笑)
それで高校…まあ中学の時も憧れていましたけれど、高校に入学すると漠然とプロレスいいなあ~…っていう気持ちが芽生えてきて。卒業したら入門したいな、って考え始めたんです。親に言ったら「何バカなコト言ってんだ!?」って言われましたけどね。
レスリングでオリンピックを志した自衛隊時代
1988年にソウルオリンピックがありまして、高校の時レスリング(アマレス)を習っていたのでレスリングに興味を持ちまして。それで自衛隊に入隊したんです。
入隊後は一年間、一般の自衛官をさせていただいて、その間にレスリングの集合訓練(特別体育課程集合訓練)をやって、3ヵ月オリンピック選手とかと練習させていただきました。で「コイツは良いな」ということで残れて、次の年から自衛隊体育学校に入校しました。体育学校はオリンピック選手を育てる機関なんですよ。
僕はUWFでしたね。新日本プロレスが好きでUWFが出来て、そこからはもうUWF!
佐山聡さんが新日本プロレスを退団しUWFになって…ですから、佐山さんを追っかけていたのかな、やはり(笑。UWF解散後は修斗を見ていましたから全部佐山さんを追っかけていましたね!
まあでも、その間も一番好きだったのはUWFでしたし、テレビで新日本プロレスは見ていましたね。プロレスは全体的に見ていたのですが一番好きなのはUWFみたいなスタイルなんです。
元自衛官でノアのデビュー第1号レスラー、ノアの至宝GHC(グローバル・オナード・クラウン)4王座すべてを奪取した経験を持っています。