芸人キラー 黒柳徹子 vs お笑い芸人 難攻不落の徹子の部屋に散る挑戦者
2023年1月29日 更新

芸人キラー 黒柳徹子 vs お笑い芸人 難攻不落の徹子の部屋に散る挑戦者

「徹子の部屋」は、黒柳徹子がリスペクトと思いやりのある語りでゲストの素顔に迫っていく、非常に穏やかな安心してみていられる番組。ところお笑い芸人に対しては、なぜか瀕死の状態に追い込んでしまい「芸人殺し」「芸人キラー」と恐れられた。

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徹子の部屋オープニング

「徹子の部屋」は、1976年2月2日から放送開始。
、毎週、月~金のお昼に放送。
1976年から1989年まで14年連続で、「主婦の選んだテレビパーソナリティーNO.1」に選出。
2011年4月27日には放送8961回を迎え、「同一の司会者による番組の最多放送回数記録」としてギネス世界記録に認定。
2015年5月27日には放送10000回を突破した。
毎回、ゲスト(徹子いわくお客様)を招いて対談をするトーク番組で、出演者は、司会者の黒柳徹子とゲスト出演者(複数、大人数もあり)のみ。
番組開始当時、徹子は42歳で人生の半分以上をこの部屋に捧げている。
ゲストとの会話はスタジオセットのソファに座って行われる、
黒柳とゲストの間に置かれている生け花は、フラワーコーディネーターが、ゲストや衣装を考え、毎回取り替え。
衣装は、すべて徹子が選んで用意していたが、放送8000回を超えた頃、スタイリストが用意した衣装も着るようになった。
しかし髪型は、ずっと「タマネギヘア(たまねぎ頭)」
38歳のときに
「マリー・アントワネットのような髪型
「着物と洋服、どちらにも似合う髪型」
というコンセプトで開発した「徹子のヘア」だが
「子供たちに会ったときにプレゼントするため」
とキャンディーを入れたり、大事な書類や海外へ行くときにパスポートも入れるなど収納スペースとしても活用。
徹子の部屋でもキャンディーを取り出しゲストにあげることもあった。
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徹子やゲストの姿勢や衣装が崩れないように、ソファの上にはベニヤ板が置かれている。
机には飲み物の他にメモがある。
これは番組ではなく徹子お手製の「ゲストメモ」
まず担当ディレクターがゲストに話を聞き、その話を徹子が1時間くらいかけて聞き、A6サイズのメモ用紙に2Bの鉛筆でメモ。
本番の日、エピソードごとに分けて書いた数枚のメモを大きな画用紙に
「この話はこっちかな」
「これはこっちかな」
「この話はこっちにもってきたいけど大丈夫か」
と張っていき、それをみながらスタッフと最終的な打ち合わせ。
こうしてが完成したゲストメモを机の上に置いて番組を進めていく。
収録は、放送の約1~2か月前、毎週月、火の2日間で1週間分を撮るため、1日3人を撮影。
徹子は、その1人1人にゲストメモをつくり、本番では3人×30分のトークを台本なし、編集なしで行う。
たくさん撮って録画編集して、いいところだけを放送することは
「ゲストの方に失礼だ」
と生放送にこだわり
「一切編集をしない、ほぼ生放送の状態だから皆さん本心を話してくれるんでしょう」
といっている。
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徹子の父は、NHK交響楽団のコンサートマスター(指揮者)でヴァイオリニストの黒柳守綱。
若い頃、天才ヴァイオリニストと呼ばれ、21歳でNHK交響楽団のコンサートマスターとなるとミスをした団員をにらみつけ
「みんな死に物狂いで弾いているのに、なんで間違えるんだ」
と怒ったり、自宅にレッスンを受けに来ていた生徒が帰り際、玄関で
「先生、今日は天気がいいですね」
というと
「今、君が考えなければならないのはヴァイオリンのことであって天気のことじゃない。
そんなことどうだっていいじゃないか」
と怒って
「怖い」
と恐れられた。
徹子は
「ヴァイオリンに関しては鬼だった」
という父親からクラシック音楽の大変さを知った。
「作曲家の人生って結構悲惨で、ベートーベンは途中で耳が聞こえなくなって自殺を考えたり、モーツァルトも随分貧しい生活を送ったようで、最後は無名墓地。
それでも命を削るようにして素晴らしい曲を残したんです。
だからこそ受け継がれてきて、クラシック音楽というのは永遠なんでしょう。
クラシックがさらに贅沢なのは、作曲家だけでなく演奏家の方もプロになるまですごく時間とお金がかかっていることね。
世界の有名な楽団に所属している演奏家はみんな幼い頃からちゃんとした先生について、そこから留学したり、コンクールで勝ち抜いたりしているわけです。
そういう選りすぐりのプロの人たちの演奏が悪かろうはずがない。
たくさんの人が集まって1つの曲を呼吸と心を合わせて演奏する。
それだけでも素晴らしいのに、目の前で起こっていること以外にも作曲家や演奏家のたくさんの時間の積み重ねがあるのがクラシックなのです」


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東洋音楽大学(現:東京音楽大学)、そしてNHK放送劇団と進み、日本のテレビ放送開始に立ち会いながら、俳優、声優、司会者として仕事をこなしてきた徹子は、芸事には非常に厳しい目を持っていた。
当初、徹子の部屋は、伝統芸能やバラエティ番組に出演しないような硬派な歌手、俳優を中心にゲストをキャスティングし、徹子は相手をリスペクトし、思いやりのある優しいトークを展開していた。
しかし番組がテレビ朝日宣伝部と連携すると、カジュアルな俳優や歌手も出演し始めた。
そして田原敦子プロデューサーが
「お笑い芸人の方も呼びましょう」
というと徹子は
「いろいろな人のVTRをみたけど、面白くない。
笑えない」
と消極的だった。
徹子にとってお笑いいといえば、落語や漫談であり、どこが面白いのかわからないお笑い芸人は呼びたくなかった。
しかし田原敦子プロデューサーは
「じゃあ、笑えないということをゲストに直接いってください」
といった。
そしてイザッお笑い芸人をやってくると徹子は不思議な化学反応を起こし「徹子の部屋」は爆発的に視聴率を伸ばした。
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ゲストに対して常に優しく穏やかに語りかけていた徹子が、間寛平の
「かい~~の」
に対し
「どこがかゆいんですか?」
「それが芸なんですか?」
アンガールズに
「どこで拍手すればいいんですか?」
タカアンドトシを
「面白くない芸人の方」
と紹介したり、ゆりやんレトリィバァに
「笑わせるところなの?」
数々のボケを
「ああ、そうですか」
とマジメに、素直に、そっけなく返し、瀕死に追いこみ
「芸人殺し」
「芸人キラー」
と呼ばれるようになった。
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1975年8月30日、タモリが「マンガ大行進 赤塚不二夫ショー」でテレビ初出演。
たまたま番組をみていた徹子は,すぐに赤塚不二夫に電話。
「今日、出ていた、誰?
すごいじゃない」
その後、タモリは黒柳徹子の番組で2回目のテレビ番組出演を果たした。
「今でも覚えています。
あのとき電話のすぐ横にいたんです。
赤塚さんから黒柳さんがお前のことみて、おもしろいから番組に出てほしいっていってるよって、その場でいわれたんですよ」
(タモリ)
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ジャズをするために浪人をしながら早稲田大学に進んだタモリは、学費未納で退学。
数年後、福岡県で喫茶店のマスターをしていたタモリは、博多で行われたジャズコンサートを観に行き、公演後、渡辺貞夫のマネージャーをやっていた大学の友人と一緒にホテルで飲んでいた。
午前2時頃、家に帰るために部屋を出ると、ドンチャン騒ぎする声が聞こえた。
それは山下洋輔(ピアノ)の部屋で、ドア越しに会話を聞いて
「こいつらとは気が合う」
と思ったタモリがドアを少しだけ開けて中をうかがうと浴衣姿の中村誠一(サックス)が頭に籐のゴミ箱をかぶって虚無僧となって歌舞伎口調で奇声を上げていた。
「俺の出番だ」
とっさに思ったタモリは、
「ヨォ~」
と歌舞伎口調で部屋に乱入し、ゴミ箱を奪ってかぶって踊った。
気がつけば4時になっていてタモリはあわてて帰った。
東京に戻った山下洋輔が新宿ゴールデン街のバー「ジャックと豆の木」で
「九州にモリタというすごいやつがいる」
と話すと「伝説の九州の男・モリタを呼ぶ会」が発足された。
タモリは新幹線代をもらって7年ぶりに上京し、ジャックと豆の木で様々な芸を披露。
以後、月1回上京し、呼ぶ会メンバーの家に泊まりながら、毎晩、新宿で
「めちゃくちゃのためならなんでもする」
といって芸を披露した。
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何度目かの上京のとき「ジャックと豆の木」に来た赤塚不二夫に
「君はおもしろい。
お笑いの世界に入れ。
それまでは住むところがないから、私のマンションに居ろ」
といわれ、家賃17万円、4LDK、冷暖房完備のマンションに、飲み放題、食べ放題、服着放題、ベンツ450SLC乗り放題、30万円の小遣い支給という超好条件で居候を開始。
赤塚はまったく家に帰って来ず、
「別に住むところがあるんだろう」
と思っていたが、優しい赤塚は仕事場のロッカーを倒してベッド代わりにして泊まり、どうしても必要なものがあるときは
「今から行っていい?」
とお伺いを立ててから取りに帰った。
居候を始めて半年後、赤塚が仕事場で寝泊まりしていることに知ったタモリは
「もう出ます」
といおうと思ったが
「せっかくの好意がグチャグチャになっちゃあ居候道に反する」
と思い直し、福岡に残していた妻を呼び寄せ、2人で居候を続けた。
その末に「マンガ大行進 赤塚不二夫ショー」でテレビ初出演したのである。
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1977年8月11日、まだ無名のタモリが「徹子の部屋」に初出演。
翌1978年から2013年まで、「徹子の部屋」の年末最後の放送回のゲストはタモリ。
前述のように、まだお堅い人しか出ていなかった「徹子の部屋」において唯一の笑い芸人だったが

・イグアナ
・産まれたての仔馬
・コンドルの着地
・久米明のものまね」
・ベッドシーンの外国人
・北京放送
・ペ・ヨンジュンのものまね
・各国のサンタクロース
・各国のおばさん
・4カ国語麻雀(ベトナム人が中国人の捨てた牌に『ロン』といい、中国人が『チョンボ』とクレームをつけ、アメリカ人が仲裁し、それを後ろから見ていた田中角栄が口を出して乱闘に発展する)
・明日の農作業の時間
・肥前ナイロビ・ケニヤ線乗換え

などの新宿ゴールデン街で恐れられた「恐怖の密室芸」や

・マヨネーズ石狩鍋
・たくあんを洗った水で作ったクリームソーダ
・チョコレートしゃぶしゃぶ
・あんこ鍋

などゲテモノ料理を作って2人で食べた。
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1984年3月14日、黒柳徹子が「笑っていいとも!」に出演。
「久米さんが自分が翌日のゲストだろうと思って電話を待っているだろうけど、呼ぶのは久米さんじゃない」
といってそれを伝えるために久米宏に電話をするなど番組の進行を完全に無視し、通常、約15分のテレフォンショッキングで43分間しゃべり続け、レギュラーコーナーを1つ潰した。
21年後、2005年12月16日にも同コーナーでも39分間しゃべり続けた。
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