あれから20年・・・1997年11月16日『ジョホールバルの歓喜』に至る激闘史を時間軸に沿って振り返る
2017年11月16日 更新

あれから20年・・・1997年11月16日『ジョホールバルの歓喜』に至る激闘史を時間軸に沿って振り返る

ワールドカップ出場が夢のまた夢だった時代があった。それはついこないだのようだが、1997年11月16日の『ジョホールバルの歓喜』から20年が経つ。サッカー日本代表の1997年アジア最終予選を時間軸に沿って振り返ってみる。

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Road to FRANCE!日本サッカー界の悲願、W杯初出場をかけた決戦

1997年、ワールドカップフランス大会アジア最終予選。
初のワールドカップ出場をかけて日本代表は、イラン代表との「アジア第3代表決定戦」に臨んだ。

負ければオセアニア地区の代表チーム(オーストラリア)との大陸間プレーオフに回るため、是が非でもここで勝利しておきたかった。
決戦前夜―Road to FRANCE

決戦前夜―Road to FRANCE

金子 達仁 (著)
マレーシア・ジョホールバルで行われたこの決戦には、日本からも多くのサポーターが駆けつけ、なかには仕事を辞めてきた者もいたという。現地に出向いた猛者ならずとも、サポーターやにわかファンも含めて”国内組”も相当の盛り上がりをみせていた。

この時点ですでに2002年の日韓共催でのワールドカップが決定しており、”ワールドカップ開催国で、自国開催以外のワールドカップに出場経験のない国はない”というプレッシャーとも戦っていた日本代表。
日本代表激闘録 ワールドカップフランス大会アジア地区最...

日本代表激闘録 ワールドカップフランス大会アジア地区最終予選 1997 9/7〜11/16 [VHS]

さらにJリーグの開幕に沸いた1993年には、前回のアメリカ大会最終予選があり、ご存知「ドーハの悲劇」を経験し、天国と地獄を味わった日本のサッカー界。残り数十秒のところで初出場の夢を絶たれていた事もあり、プレイする選手だけでなく、日本サッカー協会の本気度も伺えた。

さらにこの決戦に至るまでに様々な問題が生じたアジア最終予選。時間軸に沿って振り返ってみましょう。

《最終予選 第1節》1997年9月7日、国立での初戦はカズの4得点で大勝!しかし、その後大苦戦!!

9月7日、ホーム国立競技場で行われたアジア最終予選B組・初戦のウズベキスタン戦をエース・三浦知良(以下、カズ)の4得点などで6-3と大勝。後半にウズベキスタンに3点を取られるも、大盛り上がりのサポーターの前で幸先の良いスタートを切った。

1997 W杯 最終予選 日本vsウズベキスタン カズ4ゴール

前半の4分にカズが代表通算51得点目となるPKを決め、以降キングカズのゴールショーとなった。30歳を迎え、ベテランとも言える年齢になったカズだったが、ゴール後の陽気なパフォーマンスを見る限り、これからも得点を重ねていくように思えた。

一方、この試合では弱冠二十歳の中田英寿もゴールを決めている。代表デビュー間もないこの男が後にキーマンとなっていく。

《最終予選 第4節》1997年9月28日、ホーム国立で韓国に逆転負け!

第1節の大量得点から一転、第3節(※第2節は試合なし)9月19日のアウェイ・UAE戦に0‐0のスコアレスドローだった日本。

第4節の相手は最大のライバル、「アジアの虎」と呼ばれた韓国であった。
9月28日に行われたこの試合は、日本のホーム・国立での対戦となり、またも競技場に日本のサポーターが押し寄せ、声を枯らしながら応援していた。
1997年9月サッカーダイジェスト

1997年9月サッカーダイジェスト

前半は得点に動きが無く、2戦連続の引き分けが頭をよぎり始めた後半20分。いぶし銀な仕事をこなすボランチ・山口素弘が放ったループシュートで先制に成功した。
華麗な放物線を描き、ゴールに吸い込まれていったこのゴールだったが、直後監督の加茂周がFW・呂比須ワグナーをベンチに下げ、DF・秋田豊を投入した事であっという間に、韓国ペースとなり、後半39分に徐正源、42分に李敏成にゴールを許し、1-2で逆転負けを喫してしまう。

守備的な采配が裏面に出てしまった。以降、マスコミは一斉に加茂批判を始めるなど、日本のワールドカップ行きに暗雲が立ち込めてきた、そんな雰囲気であった。

山口素弘 伝説の芸術的ループシュート 1997年日韓戦

3試合を終了して、日本は1勝1分1敗の勝点4。同じく3試合を消化した韓国は3連勝で勝点9の1位、2位のUAEが勝点7だった。

《最終予選 第5節》アウェイ・カザフスタン戦で痛恨のドロー!加茂監督が更迭

10月4日に行われた第5節のカザフスタン戦。アウェイ・アルマトイで日本は、カズと呂比須のツートップ、トップ下に中田の布陣で臨んだ。
前半23分に秋田のヘディングで先制に成功する。その後リードを保ったまま85分に名波浩が本田泰人と交代し、試合を締めにかかった。しかし、悪しき伝統とでもいうべきか、後半ロスタイムに同点とされてしまう。

ロスタイム、日本のゴール前に押し寄せるカザフスタンの選手達。日本も人数を掛けて守ろうとするが、僅かなDFの間を縫うように出されたパスにFW・ズバレフが反応。日本をどん底に叩き落すゴールを決めた。

98フランスW杯アジア最終予選 日本vsカザフスタン 悪夢のロスタイム

同日、首位の韓国がホームでUAEと首位攻防戦を行い、3-0でUAEに勝利した。この為、日本は2位UAEとの勝点差こそ2に縮まったものの、首位韓国との勝点差は7に開いてしまう。

日本は出場権獲得に負けられない一戦で、またも勝ちきれず、エース・カズも初戦以降沈黙したままと、いよいよ黄色信号が点滅し始めた。ここで日本サッカー協会は大きな決断を下す。

加茂監督を更迭し、「その時点でのチームを把握していること」を重視し、ヘッドコーチの岡田武史を代理監督に指名した。
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