○○ラー、この呼称が広まった背景には、90年代半ばに当時のマスメディアが、「アムラー」(安室奈美恵の模倣者達)ブーム にかこつけて、様々なものに安直に「ラー」の語尾を付け普及させていった経緯がある
代表格「アムラー」安室奈美恵
ミニスカート・厚底ブーツ・ロングヘアに茶髪・剃り落とした後に描いた様な極端な細眉が特徴で、日焼けサロンなどで焼いた浅黒い肌をした人々の事1970年代のファッションがリバイバルして、サーファーのようなルーズなスタイルなどファッションが多様化していく最初の時期でもある。アムラーの場合、1970年代に流行したブーツを取り入れ、茶髪にシャギーを入れた髪型、ブラックやブラウンなどシャドー系のメイクが流行った。小さなTシャツやミニスカートなどはLAファッションと呼ばれ、当時の10代の女性のファッションとして定着していく。
個性的な「シノラー」篠原ともえ
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1996年夏から1998年にかけて、個性的な篠原のファッションを模倣するティーンエイジャーの女性が数多く現れ、一種のファッションリーダーと化した。「シノラー」と呼ばれるファンを多く抱え、子供や女の子だけにとどまらず男女・年齢問わず男シノラーや親父シノラーが登場するなど社会現象となる。まもなくその名が篠原の愛称にも転じた。篠原ともえ本人のくねくねした動きや「ぐふふ~」「クルクル!」「プリプリ!」語尾に「ですぅ~」をつける等、ファッション以外にも言動もシノラー要素となる。シノラー初期は自身で衣裳を制作しており、スタイリストがついてからはデザイン画を描き、オリジナルの衣裳を作っている
「カハラー」華原 朋美
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雑誌『JUNON』で“なりたい顔1位”にも選ばれるなど、同性を中心に絶大な支持をされた。安室奈美恵の“アムラー”に対して、華原は“カハラー”と呼ばれ、“平成のシンデレラ”などとも呼称された。ハローキティ再流行のきっかけ(当時、サンリオ社長も華原朋美効果を認めた)や、牛丼の「つゆだく」、CMで“ヒューヒュー”のフレーズが強調された「桃の天然水」が年間1,600万ケースを売り上げる商品となるなど、ブームリーダーにもなった。。「SAVE YOUR DREAM」の時の衣装はすごく流行りました。
雑誌でも『朋ちゃんOLファッション』なんて特集や、メイク方法も紹介されていました
「ナオラー」飯島直子
飯島のファッションやメイク(特に眉のラインなど)を真似る女性が「ナオラー」と呼ばれた
「パフィラー」PUFFY
PUFFYのジーンズにTシャツ姿の「自然体」「脱力系」を真似る女性が「パフィラー」と呼ばれた。
「シャネラー」CHANEL
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「マヨラー」
マヨラーとは、マヨネーズを好物とする人を指す新語。マヨネーズを大量にかけて食べたり、あらゆる食品にマヨネーズを使用する人に対して用いられる。また、ゲテモノ食い、味おんちの意味が込められることもある。