欽ちゃん番組は子供のころよく見ていました。当時は素人を使用した番組って斬新だったと思います。今でこそバラエティーで当り前なあんなものこんな物って、実は欽ちゃんが初めて取り入れたものが多かったりします。そんな欽ちゃんをまとめました。
プロフィール
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萩本 欽一(はぎもと きんいち、1941年5月7日 - )は、日本のコメディアン、タレント、司会者、ラジオパーソナリティー、演出家である。日本野球連盟茨城ゴールデンゴールズの初代監督でもある。
東京都台東区出身。浅井企画、佐藤企画(業務提携として所属)、萩本企画(個人事務所だが浅井企画の関連会社)所属。身長164cm、体重65kg。血液型はA型。駒込高等学校卒業。2015年4月より駒澤大学仏教学部に在学している
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大衆からはもとより、芸能界でも先輩・後輩問わず「欽ちゃん」の愛称で呼ばれる。その他の愛称は「萩モー」「萩」「欽坊」「欽様」など。また、彼の番組や舞台から育った欽ちゃんファミリーからは「大将」と呼ばれている(ビートたけしが弟子たちに「殿」と呼ばせているのは、萩本と周囲のこうした関係性への憧憬や敬意によるところが大きい)。ゴールデンゴールズの選手からは「欽督(きんとく)」と呼ばれている。
欽ちゃんは人気お笑いコンビでした。
昔欽ちゃんは、坂上二郎さんとお笑いコンビ「コント55号」をくんでいました。
当時のギャグで次郎さんは「飛びます!飛びます!」と言うと、欽ちゃんは「なんでそ~うなるの!!」と言った後に、コミカルに飛び跳ねてお客を笑わせ一世を風靡していました。
当時のギャグで次郎さんは「飛びます!飛びます!」と言うと、欽ちゃんは「なんでそ~うなるの!!」と言った後に、コミカルに飛び跳ねてお客を笑わせ一世を風靡していました。
コント55号の偉業については、各紙、各ウェブで詳しく報道されています。その面白さは、リアルタイムで見ていた人には説明不要かもしれません。ただ、笑いのテクニック等の中には、何となく見ていては中々気付かない点があるのも事実。
「二度同じコントを演らない」と称された55号に、なぜ「飛びます、飛びます」や「忘れもしない13年前!」のような名フレーズが残されたのか。不思議に思う若い人もいるかもしれません。
2人のコントには、たたき台としての台本はあっても、一言一句が克明に記されたものはありませんでした。すべては欽ちゃんの頭の中にあるツッコミ台詞に対し、うろたえながら二郎さんもアドリブで返すというパターン。なので、全く同じコントは“演じられない”のです。
舞台上で、必死さや懸命さを表に出しながらも、決して張り切っては見えなかった二郎さんが、唯一、張り切ってしまったのが「裏番組をぶっとばせ!」での野球拳でした。この頃から、2人でコントを演じる機会は少なくなり、やがて別々の道を歩むようになります。
当時は、コントの舞台だけでなく、映画にも多数出演してたコンビでした。
野村芳太郎とコント55号のコンビによる六作目。脚本は「喜劇 女は度胸」の大西信行と「コント55号水前寺清子の大勝負」の山根成之。監督は脚本も執筆している「花も実もある為五郎」の野村芳太郎。撮影も同作の川又昂がそれぞれ担当。
欽ドンスタート
欽ちゃんがフリーで出演し始めた当時の人気番組がスタートします。