コント55号で人気絶頂期の頃の1971年、日本テレビ『スター誕生!』の初代司会者(司会は初めての経験)としてソロ活動を始める。ソロでも人気は安定であり、それ以降の主演のレギュラーにも結びついていく。翌1972年にはニッポン放送のラジオ番組『欽ちゃんのドンといってみよう!!』が開始。
via blogs.c.yimg.jp
聴取者からのハガキ投稿が基本の番組で人気が上昇、1975年にニッポン放送と同じフジサンケイグループのフジテレビにて『欽ちゃんのドンとやってみよう!』として公開テレビ番組となる。
欽ドン!(きんドン!)とは、1970年代にニッポン放送で放送されたラジオ番組『欽ちゃんのドンといってみよう!』、1970年代にフジテレビ系列で放送された萩本欽一司会のバラエティ番組『欽ちゃんのドンとやってみよう!』の略称および、1980年代に放送されたその続編シリーズの総称である。
欽ドン!よい子悪い子普通の子 (1982.7) - YouTube
via www.youtube.com
良い子・悪い子・普通の子
フツオ(普通の子) … 長江健次 キャラクターは、どこにでもいる普通の高校生。
ヨシオ(良い子) … 山口良一 キャラクターは、メガネに青の学ラン。
ワルオ(悪い子) … 西山浩司 キャラクターは、リーゼント頭の不良少年。
西山はすでに初代『欽ドン!』(「欽ドン劇団」)に出演していたが、長江、山口にとっては「出世作」となった。3人の息子役は一般オーディションで選出された。
「先日、萩本さんがバラエティ番組に残した足跡を振り返った『もてもてナインティナイン』(TBS系)では、『欽ドン!』時代の柳葉さんの映像が出ました。柳葉さんほどのキャリアがあれば、昔のバラエティ映像を放送されることを嫌がる俳優さんは多い。ましてや、今は過去映像を使う際、各事務所に許可取りをする時代です。
それでも柳葉さんは過去を隠すことなく、OKしている。なんでもかんでも昔の映像にNGを出す人もいるけど、柳葉さんの姿勢にスタッフも出演者も感謝したのではないでしょうか」
素人いじり
欽ちゃんがテレビに導入したものは数多い。
素人いじり・24時間テレビ初代総合司会・制作会社のオーナー・女性アシスタント・座つきの作家・ハガキ読み・ピンマイクなどなど。欽ちゃんがいなければ放送業界の今はなかった。大げさではなく、間違いなくテレビラジオ・放送業界のバラエティー番組の形はもっと小さなものだっただろう。
via i.ytimg.com
素人の面白さを意図して引き出し、それを多用したのも欽ちゃん。
「演技のボケは難しいから、素人を連れてくるほうが簡単」。
2012年03月06日放送の「爆笑問題カーボーイ」にて、"視聴率100%男"と謳われた萩本欽一について語っていた。
田中「欽ちゃんが前に言ってたことだけど。『普通に素人に歩く動作をさせるとき、まずプレッシャーを掛ける。普通に歩くのなら、誰でもできる』って」
via lpt.c.yimg.jp
太田「萩本さんのは、全てそういう芸なんですよね。なんであの人が、素人イジリをやって、素人が面白くなるか」
田中「うん」
太田「まぁ、素人というか欽ちゃんファミリーだけど」
田中「うん」
via cache2.nipc.jp
太田「毎回、素人が『あぁ~間違えちゃった』ってやる。あれの種明かしを、対談したときに教えてもらったんですけど、あの時は、スタ誕とかでもそうだったらしいけど、あの当時はハンドマイクだったんですよね」
田中「うん」
太田「『それじゃあ、"欽ちゃんのドンとやってみよう!だからね"』って言って、その後、ハンドマイクをわざと下ろして、"欽ちゃんのドカーンとやってみよう…"って囁くらしいんだよね」
via www.joqr.co.jp
視聴者からのハガキや手紙をテレビ番組内で読んだのも、萩本が最初だ。それまで、ラジオ番組ではハガキを読むことがあったが、これをテレビに導入したのは、当時非常に画期的な試みだったという。