ブルートレイン
ブルートレインは、客車を使用した寝台列車を指す愛称。
1958年に登場した国鉄20系客車に始まる、青い車体が特徴の専用寝台客車を使用した特急列車を指しており、「あさかぜ」がその最初でした。
1958年に登場した国鉄20系客車に始まる、青い車体が特徴の専用寝台客車を使用した特急列車を指しており、「あさかぜ」がその最初でした。
ブルートレインのすべて 20系紹介部分
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1956年に東京~博多駅間で運行開始した「あさかぜ」のために設計された国鉄20系客車
編成端に電源車を配置した固定編成客車で、オール電化を実現した20系客車。
塗装色はヨーロッパの寝台車に多く用いられていた青(青15号)が選ばれ、屋根以外を青色にし、クリーム(クリーム1号)の細いラインを車両側面の上部・中央・下部の3か所に入れたものが採用されました。
塗装色はヨーロッパの寝台車に多く用いられていた青(青15号)が選ばれ、屋根以外を青色にし、クリーム(クリーム1号)の細いラインを車両側面の上部・中央・下部の3か所に入れたものが採用されました。
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1965年頃からは、趣味誌において「ブルー・トレーン」という表現が使われ始めている。国鉄文書での最初の使用は、PR誌『国鉄通信』1966年8月22日号であるが、国鉄関係者執筆の文書による使用は『運転協会誌』1966年8月号で既に使われている。
この頃からブルートレインの愛称が登場するように。
1970年代には14系、24系へと進化したブルートレインの客車
これら"ニューブルートレイン"が登場した1970年代、とりわけ後半から、国鉄の運賃・料金の値上げと航空機・新幹線・高速バスの普及などによる寝台列車自体の衰退が始まっており、国鉄が、居住性を改善した新形式車の周知を図るため、「星の寝台特急」と称したPR作戦を行った。
しかしながら1975年に山陽新幹線博多が開業し、1978年10月と1980年10月の改正では乗客減の為主に山陽~九州間列車を中心に多くのブルートレインが廃止された状態で国鉄は末期を迎えようとしていました。
1978年ごろに到来した「ブルートレインブーム」
思い出の国鉄(寝台特急 富士)
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ブルトレブームがマスコミで騒がれ始めたのが1978年頃であったが、それ以前からブルートレインを鉄道雑誌の特集で取り上げると爆発的に売れるというように鉄道ファンには根強い人気があった。1978年3月にはTBSテレビで「富士」を追ったドキュメント番組を放送されるとそれを機に鉄道ファン以外からも関心を集め、夏頃になると東京駅等でブルートレインの撮影をする人が小中学生を中心増加しブームが本格化した。漫画でも「ドラえもん」では「ブルートレインはぼくの家」の作品が登場し、「ドカベン」では明訓高校と対戦する相手高校に「BT(ブルートレイン)学園」が登場するなど鉄道雑誌に留まらず多くのメディアが取り上げた。そして前述のテールマークがブルートレインに採用されると更に撮影はエスカレートして深夜に九州ブルトレが通過する大阪地区では青少年が深夜に駅構内で撮影することが教育上問題になったりもした。
なお、これら一連の施策とマスメディアの動向は「ブルートレイン(略してブルトレ)ブーム」と称されたが、このブームも施策も利用者の大幅な増加には結びつかず、ブーム真っ只中の1978年・1980年には前述の通り多くの列車が廃止された。
国鉄の民営化(JR)、1990年代以降の動向
三公社五現業って何だっけ?すっかり過去となりつつある国鉄や電電公社など、日本国が経営に携わってきた事業。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
三公社五現業といわれてもピンとこないかもしれませんが国鉄、電電公社、専売公社と聞けば分かる方も多いかもしれません。もともと日本国が「国として」経営に携わってきた重要な事業。80年代以降は民営化の流れが続いてきましたが、私たち世代では父親が勤めていたご家庭も多かったことと思います。