オフコース
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オフコースは5人で演奏可能なアレンジでレコーディングする方針を取っていた。最初は曲のタイトルも歌詞もない状態でコード進行を作り、そこにメンバーが意見を出し合ってアレンジを加えて行き、最後に詞が作られる。小田は当時「オーバープロデュースは嫌うので、音的には足りない部分もあるが、聴く人が足して聴いてくれればいい」と語っていた。
そしてバンドの名前の由来は、
“オフコース (OFF COURSE)”という名前はコンサートのためにいつも中心となって動く聖光野球部OBが作った草野球チームの名前が“勝ってof course”、“of course 勝つ”という意味で“OF COURSE”だったことから。コンサートを始めてなにか名前をつけるということで“調子っ外れ”とひっかけて“OFF COURSE (THE OFF? COURSE)”にしたという
こちらはオフコース5人のインタビュー映像です。ご覧ください。
82'オフコース インタビュー - YouTube
6月30日の5人最期のステージまで続けるために敢えて受けたであろうインタビュー。
via youtu.be
メンバー
小田和正(おだ かずまさ、1947年9月20日 – )
ボーカル・キーボード・ギター
リーダーで結成から解散まで唯一在籍。
神奈川県横浜市金沢区出身。東北大学工学部卒業。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。
リーダーで結成から解散まで唯一在籍。
神奈川県横浜市金沢区出身。東北大学工学部卒業。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。
オフコースの楽曲の3分の2の作曲とヴォーカルを担当したことから、オフコースのリーダー的存在として知られる。独特のハイトーン・ヴォーカルが魅力的。オフコース解散後ソロでも活躍していることは言うまでもない。
鈴木康博(すずき やすひろ、1948年2月18日 – )
ボーカル・ギター
結成時のメンバー。1983年8月31日脱退。
静岡県田方郡修善寺町(現:伊豆市)出身。東京工業大学工学部卒業。小田とは対照的な男らしい詞を書く。編曲にも大きな力を発揮してきた職人的存在。
結成時のメンバー。1983年8月31日脱退。
静岡県田方郡修善寺町(現:伊豆市)出身。東京工業大学工学部卒業。小田とは対照的な男らしい詞を書く。編曲にも大きな力を発揮してきた職人的存在。
オフコースに確かな演奏法とアレンジをもたらした人物。小田とは少年時代からの心の友。リズミカルな名曲を多く残しており、今でも彼のファンは多い。
清水仁(しみず ひとし、1950年11月25日 – )
ベース・コーラス・ペダルシンセサイザー
1979年8月1日加入。大阪府大阪市西成区出身。尊敬する人は自分というマイペースな人柄。 ライブでもコーラスをこなす。「ザ・バッド・ボーイズ」を経て、1976年10月よりオフコースに参加。鈴木康博と並ぶ長身が特徴。
1979年8月1日加入。大阪府大阪市西成区出身。尊敬する人は自分というマイペースな人柄。 ライブでもコーラスをこなす。「ザ・バッド・ボーイズ」を経て、1976年10月よりオフコースに参加。鈴木康博と並ぶ長身が特徴。
via crawfish.jp
オフコース・サウンドにロック魂を吹き込んだ人。オフコース末期に自作曲をいくつか残している。
松尾一彦(まつお かずひこ、1954年8月7日 – )
ギター・ハーモニカ・コーラス・キーボード
1979年8月1日加入。
秋田県山本郡八森町(現:八峰町)出身。秋田県立能代高等学校卒業。幼い頃から音楽に目覚め、5歳で作曲したという。オフコース在籍時から他のアーティストに曲を提供している。「ザ・ジャネット」を経て、1976年10月よりオフコースに参加。口髭・顎髭がトレードマーク。
1979年8月1日加入。
秋田県山本郡八森町(現:八峰町)出身。秋田県立能代高等学校卒業。幼い頃から音楽に目覚め、5歳で作曲したという。オフコース在籍時から他のアーティストに曲を提供している。「ザ・ジャネット」を経て、1976年10月よりオフコースに参加。口髭・顎髭がトレードマーク。
via www.geocities.jp
鈴木脱退後のオフコースの音楽に多大な影響を与えた。ハーモニカも演奏し、名演を多く生んだ。後期を中心に自作曲を残しており、名曲も多い。
松尾さんは、ハーモニカについてこう語る。
「ハーモニカで先が広がるとは思ってもいなかった、ハハハ。ハーモニカ以外にもコーラス、ギター、キーボードと要するに“何でも屋”みたいな立ち位置だったね」
大間ジロー(おおま じろー、1954年5月14日 – )
ドラムス
1979年8月1日加入。
本名:大間仁世(おおま ひとせ)。秋田県鹿角郡小坂町出身。秋田県立大館鳳鳴高等学校卒業。高校時代に松尾と出会い音楽活動を共にする。松尾一彦と共に活動していた4人組ロックバンド「ザ・ジャネット」を経て、1976年5月よりオフコースに参加。
1979年8月1日加入。
本名:大間仁世(おおま ひとせ)。秋田県鹿角郡小坂町出身。秋田県立大館鳳鳴高等学校卒業。高校時代に松尾と出会い音楽活動を共にする。松尾一彦と共に活動していた4人組ロックバンド「ザ・ジャネット」を経て、1976年5月よりオフコースに参加。
via www.omajiro.com
メンバー間の関係を取り持つ気さくな性格の人物。オフコースにおいて自作曲・ヴォーカル曲は作っていないが、彼の迫力ある正確なドラミングはオフコース・サウンドには欠かせない。
オフコースの始まりは神奈川県横浜市の聖光学院高校に在学中だった小田和正、鈴木康博、地主道夫らが結成したフォーク・グループ。
1970年に「群衆の中で」でレコードデビュー、当初はアコースティック・ギターを中心としたフォークソング的な曲を歌っていたが、長年ヒット曲に恵まれなかった。