幼い頃、戦争が何かの分別もまだないころ、世界の戦闘機が紹介された図鑑をみてはワクワクしたものですね。
機体画像は当時の白黒写真やプラモデル、描写など様々なかたちでネット上にアップされているようなので、特に写真にこだわらず見た目に特徴がつかみやすそうなものを引用させていただいています。
機体画像は当時の白黒写真やプラモデル、描写など様々なかたちでネット上にアップされているようなので、特に写真にこだわらず見た目に特徴がつかみやすそうなものを引用させていただいています。
戦闘機
via www5.plala.or.jp
via www.ne.jp
複座戦闘機「月光」
第二次大戦中、世界でも数少ない双発複座戦闘機として、海軍が中島飛行機に開発させたもの。
操縦席の後ろに30度上向きの斜め銃(20mm×2)を取り付け、B17・B29など大型爆撃機の下にもぐって射撃し、かなりの数を撃墜した。
操縦席の後ろに30度上向きの斜め銃(20mm×2)を取り付け、B17・B29など大型爆撃機の下にもぐって射撃し、かなりの数を撃墜した。
via www35.tok2.com
三式戦闘機「飛燕」
飛燕は第二次大戦中、日本で使われた唯一の液冷エンジン付きの戦闘機。
ダッシュ力がよく追撃空戦では活躍したが、ドイツのダイムラー・エンジンを模造したハ40型の調子が悪く、空冷のハ112型にすげ替えて昭和20年春、五式戦闘機として登場させた。
ダッシュ力がよく追撃空戦では活躍したが、ドイツのダイムラー・エンジンを模造したハ40型の調子が悪く、空冷のハ112型にすげ替えて昭和20年春、五式戦闘機として登場させた。
via www.ne.jp
via wikiwiki.jp
ノースアメリカンF86F「旭光」
1950年代のアメリカおよび自由陣営における代表的ジェット戦闘機で、9,000機近くつくられた。
第一次防の航空自衛隊の制式機で約500機あり、すでに旧式化してF4EJと交代しているが、曲技飛行チームの「ブルーインパルス」でも活躍した。
第一次防の航空自衛隊の制式機で約500機あり、すでに旧式化してF4EJと交代しているが、曲技飛行チームの「ブルーインパルス」でも活躍した。
ロッキードF-104J「栄光」
スピードのロッキード社が、1958年に開発したマッハ2の超音速戦闘機だが、航続距離が短いためアメリカ空軍では重用されず、西ドイツ、イタリアなど西欧側や日本で計2,000機が作られている。
航空自衛隊ではJ型を180機、1962年8月から7中隊配備し、F-4EJが登場するまで主力の座においた。
航空自衛隊ではJ型を180機、1962年8月から7中隊配備し、F-4EJが登場するまで主力の座においた。
via www.geocities.jp
マグダネル・ラグラスF-4EJファントム
1966年にアメリカ海軍艦上戦闘機として開発され、アメリカ空軍も採用主力機となった。
自由陣営にも広く供与され、日本のF-4EJはアメリカ空軍のF-4Eを改造したもので、航空自衛隊でも128機を採用。
ミグ21・23にも勝る優れた性能を持っているので、1979年までに5個飛行隊が整備された。
自由陣営にも広く供与され、日本のF-4EJはアメリカ空軍のF-4Eを改造したもので、航空自衛隊でも128機を採用。
ミグ21・23にも勝る優れた性能を持っているので、1979年までに5個飛行隊が整備された。
via img.kb-cdn.com
三菱F1戦闘・攻撃機
三菱T2を単座の支援戦闘機(戦闘・攻撃機)としたもの。
艦船攻撃、対地支援用の火器管制装置や全天候能力を高められた。
当初は126機が生産予定だったのだが、引渡しが遅れ機数も削減されての導入であった。
艦船攻撃、対地支援用の火器管制装置や全天候能力を高められた。
当初は126機が生産予定だったのだが、引渡しが遅れ機数も削減されての導入であった。
攻撃・爆撃機
via www5.plala.or.jp
艦上攻撃機「流星」
太平洋戦争直前から、艦攻と艦爆を兼ねる機体の開発が愛知航空機で進められ、2,000馬力級エンジンと逆カモメ翼、ダブル・スロッテッド・スラップの高性能機となったが、就役が遅れて117機生産されただけだった。
抜群の運動性と航続力、および火力で敵機を撃墜していったが、後半からエンジンの弱さと防弾装置のないため苦戦になり、終盤はみじめな結末となった。