via www.wetwing.com
富士KM-2B初等練習機
航空自衛隊の初等練習機として、富士重工がKM-2のエンジンを付け替え改良したもの。
もともとビーチクラフト「メンター」から発達しただけに、操縦性がよくあらゆる高等飛行も可能で、昭和52年には60機が納入された。
もともとビーチクラフト「メンター」から発達しただけに、操縦性がよくあらゆる高等飛行も可能で、昭和52年には60機が納入された。
via daimo.jp
富士T-1「初鷹」ジェット練習機
戦後最初の国産ジェット練習機で、昭和33年1月に初飛行した。はじめイギリスのBSオーヒュース・エンジンを付けていたが(T-IA)、後に国産のJ3に改装した(T-IB)。
完全とはいえないがバランスの取れた機種で、国産ジェット機第1号としての意義は大きい。
完全とはいえないがバランスの取れた機種で、国産ジェット機第1号としての意義は大きい。
via www.ne.jp
三菱T-2戦闘練習機
三菱の超音速ジェット高等練習機で、昭和46年7月初飛行した。
三菱MU2同様、補助翼はなくスポイラー操作による横操縦法である。
練習機といっても20mmバルカン砲1門と、空対空ミサイル2個を持ち、戦闘機同様の戦技訓練が行える。
三菱MU2同様、補助翼はなくスポイラー操作による横操縦法である。
練習機といっても20mmバルカン砲1門と、空対空ミサイル2個を持ち、戦闘機同様の戦技訓練が行える。
輸送機
一〇〇式輸送機
三菱で開発したMC20輸送機を、陸軍向けとしたもの。
人員・貨物輸送のほか落下傘部隊用にも使われたが、収容力が少ないためあまり活躍出来なかった。
しかしこの種の機体としてはスピードがあり、追撃の手をしばしば逃れて、要人輸送用に重宝がられた。
人員・貨物輸送のほか落下傘部隊用にも使われたが、収容力が少ないためあまり活躍出来なかった。
しかしこの種の機体としてはスピードがあり、追撃の手をしばしば逃れて、要人輸送用に重宝がられた。
一式(ロ式)貨物輸送機
かつての大日本航空幹線空路で活躍した、ロッキード14WG高速輸送機を立川飛行機で国産化し、陸軍の貨物輸送や落下傘部隊用としたもの。
主翼後縁にファウラー・フラップを付け、当時としては異色な輸送機だった。
ロッキードの頭文字をとってロ式ともいった。
主翼後縁にファウラー・フラップを付け、当時としては異色な輸送機だった。
ロッキードの頭文字をとってロ式ともいった。
零式輸送機
戦前、ロッキード14WGとともにダグラスDC3を輸入し大日本航空が使用していたが、その経済性と実用性のよさで海軍はこれを国産化し、人員・貨物の主力輸送機に採用した。
収容力が大きく働き者として喜ばれたが、戦争後半はその低速から多くが撃墜された。
収容力が大きく働き者として喜ばれたが、戦争後半はその低速から多くが撃墜された。
C-46「天馬」輸送機
誕生間もない航空自衛隊の主力戦術輸送機として長い間使われた。
双発ながら四発級の収容力を持っていたが、エンジンのパワー不足でしばしば事故を起こした。
愛用された反面嫌われもした機体。
双発ながら四発級の収容力を持っていたが、エンジンのパワー不足でしばしば事故を起こした。
愛用された反面嫌われもした機体。
川崎C-1輸送機
戦後初の国産双発ジェット輸送機。
1970年(昭和45年)11月に初飛行し、航空自衛隊の戦術輸送機として納入が開始された。
胴体の直径は3.8mもあり、乗員5名および兵員60名、またはジープ3両および兵器を積むことが出来る。
主契約は川崎だが、他に主要航空機メーカーも加わって製作している。
1970年(昭和45年)11月に初飛行し、航空自衛隊の戦術輸送機として納入が開始された。
胴体の直径は3.8mもあり、乗員5名および兵員60名、またはジープ3両および兵器を積むことが出来る。
主契約は川崎だが、他に主要航空機メーカーも加わって製作している。
via pds.exblog.jp
日本航空機製造YS-11輸送機
1962年(昭和37年)8月に初飛行した、戦後初の国産双発ターボプロップ輸送機。
手頃な短距離用60人乗り輸送機として世界に売り込む予定だったが、世界的な大型機時代にはいってきたので需要が伸び悩み、182機で生産を打ち切った。
航空自衛隊では一部C46の後継機として、海上保安庁では救難用その他に使用した。
手頃な短距離用60人乗り輸送機として世界に売り込む予定だったが、世界的な大型機時代にはいってきたので需要が伸び悩み、182機で生産を打ち切った。
航空自衛隊では一部C46の後継機として、海上保安庁では救難用その他に使用した。
飛行艇
九七式飛行艇
日本の実用になった四発大型機は、この九七大艇と二式大艇の2種類だけ。
しかし、いずれも川西製の両機種は安定性、操縦性その他きわめてよく、アメリカでもその評価は高い。
九七大艇は大日本航空で南洋航路に用い、横浜とサイパン、チモール島を結んでいた。
軍民合計205機を生産。
しかし、いずれも川西製の両機種は安定性、操縦性その他きわめてよく、アメリカでもその評価は高い。
九七大艇は大日本航空で南洋航路に用い、横浜とサイパン、チモール島を結んでいた。
軍民合計205機を生産。
二式飛行艇
海軍が昭和13年、長距離攻撃用の四発大型機の開発を中島と川西に命じたが、中島の13試大攻「深山」(陸上用)に対して、川西で作られたのがこの二式大艇(水上用)である。
九七式に比べて離水操作に難があったが、独特の波消し装置を持って水しぶきが少なく、またスピードも抜群で、アメリカから第二次大戦の日本機の最高傑作と折り紙をつけられた。
九七式に比べて離水操作に難があったが、独特の波消し装置を持って水しぶきが少なく、またスピードも抜群で、アメリカから第二次大戦の日本機の最高傑作と折り紙をつけられた。
新明和PS-1対潜飛行艇
戦後、九七式と二式大艇と実績を持つ川西が、世界水準を抜く多用途飛行艇の開発に取り組んで、昭和42年に初飛行させた初の四発ターボプロップ飛行艇。
海上自衛隊は対潜警戒用として約20機を使用しているが、波高3mの荒天でも離着水が出来、その耐波性とSTOL性は世界各国からも注目された。
海上自衛隊は対潜警戒用として約20機を使用しているが、波高3mの荒天でも離着水が出来、その耐波性とSTOL性は世界各国からも注目された。
新明和US-1飛行艇
PS-1の艇体に後方引込式の車輪をつけて水陸両用とし、救難や輸送用とし民間への需要も考えて、改装したもの。
荒波の中に着水し、海難者を救助して緊急輸送することが出来る。
前線スラット、BCL吹出し式フラップなどSTOL性を高めるためのあらゆる手段を使っているのが特徴。
荒波の中に着水し、海難者を救助して緊急輸送することが出来る。
前線スラット、BCL吹出し式フラップなどSTOL性を高めるためのあらゆる手段を使っているのが特徴。
ヘリコプター
ボーイング・バートルKV-107「しらさぎ」
原型は1958年に初飛行し、それからも改良が続けられ、各国で愛用されている。
タンデム式ローターは重量物の運搬に適し、4,500kgの貨物の吊下げや、26人の兵員を搭載することも出来る。
日本も陸海空の各自衛隊がKV-107ⅡおよびⅡAを川崎の国産化によって使用した。
タンデム式ローターは重量物の運搬に適し、4,500kgの貨物の吊下げや、26人の兵員を搭載することも出来る。
日本も陸海空の各自衛隊がKV-107ⅡおよびⅡAを川崎の国産化によって使用した。
via www.uraken.net
ベルHU-1B
原型の初飛行は1956年だが、その性能の良さから生産数は各型合計10,000機を越した。
愛称「イロコイ」で親しまれ、日本でも富士重工がライセンス生産し、民間、自衛隊で使われた。
このHU-1はアメリカでの呼称はUH-1である。
愛称「イロコイ」で親しまれ、日本でも富士重工がライセンス生産し、民間、自衛隊で使われた。
このHU-1はアメリカでの呼称はUH-1である。
ヒューズOH6
1960年の前半、米陸軍の軽観測用ヘリの開発競争に勝った小型タービンヘリコプターで、超小型ながら高性能を発揮する。
OH-6Aは1968年から川崎重工でライセンス生産され、陸上自衛隊や新聞社で使用された。
スペイン海軍では胴体下面に魚雷を2本装備、対潜機として使用した。
OH-6Aは1968年から川崎重工でライセンス生産され、陸上自衛隊や新聞社で使用された。
スペイン海軍では胴体下面に魚雷を2本装備、対潜機として使用した。
このほかにMU-2Jが飛行点検機として採用された。