昭和という時代を震撼させた未解決事件「グリコ・森永事件」
1984年から1985年にかけて、日本社会を震撼させたグリコ・森永事件。その名の通り食品会社を標的とした脅迫事件であり、当時スーパーなどからグリコ製のお菓子が姿を消すなど、子供たちにも大きな影響が出ました。2000年にすべての事件の公訴時効が成立、日本を代表する未解決事件として現在も語り継がれています。この記事ではそんなグリコ・森永事件を振り返ります。
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犯人の魔の手がグリコを襲う!
最初の事件が発生したのは1984年3月18日のこと。江崎グリコの社長・江崎勝久氏の自宅に2人組の男が押し入り、入浴中だった江崎氏を銃で脅しそのまま誘拐しました。ほどなく夫人が110番通報し、事件が発覚。
こちらが当時の新聞。
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事件発生翌日、犯人は社長の身代金として現金10億円と金塊100kgを要求。引き渡し場所を指定したものの、結局犯人はそこには現れませんでした。その数日後、事件は急展開を迎えます。自力で脱出した江崎氏が、大阪貨物ターミナル駅構内で保護されたのです。「犯人は覆面を被っていたため顔はわからなかった」ものの、社長の保護で事件は終結へと向かうと思われたのですが…
繰り返される会社への脅迫!社内の放火も!!
社長の保護で一件落着かと思われたのですが、4月に入って江崎氏の自宅や会社、そして大阪のマスコミに立て続けに脅迫状が送りつけられる事件が発生。4月24日付の脅迫状からは、犯人グループは「かい人21面相」を名乗るようになりました。一方、4月10日には江崎グリコ本社の工務部試作室で放火が発生。試作室150平米が全焼する惨事となりました。
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ついに「グリコ製品に毒を入れる」という脅迫が!!
5月に入り、毎日新聞、読売新聞、サンケイ新聞、朝日新聞のマスコミ4社に対し「グリコの せい品に せいさんソーダ いれた」と書かれた挑戦状がついに届きます。「グリコを たべて はかばへ行こう」などと書かれており、全国の大手スーパーはグリコ製品の撤去を余儀なくされ、江崎グリコは甚大な被害を被ることとなりました。
かい人21面相「江崎グリコゆるしたる」
かい人21面相により大混乱に陥った日本列島ですが、翌6月に再び急展開を迎えます。かい人21面相から「江崎グリコゆるしたる」という文面の手紙がマスコミに送付されたのです。事実上の江崎グリコへの脅迫収束宣言でした。ようやくこれで事件は終わるかに思われましたが…
ターゲットは他の食品会社に!!
犯人の収束宣言により、事件は終わりを告げたかに思われたのも束の間、今度は「丸大食品」に脅迫状が届きました。その内容は「グリコと同じ目にあいたくなかったら、5千万円用意しろ」というもの。その際、現金の受け渡し場所への誘導のために「女性の声による録音」が使用されたのが話題となりました。そして、この事件で初めてあの男が目撃されます。事件現場で丸大社員役の刑事を見張っていた「キツネ目の男」です。
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