当たり前のように存在しているものほど、「そういえば、何故ココに居るのだろう?」と考えた時、すぐにはわからないものだったりする。
例えば、奈良の鹿。
例えば、奈良の鹿。
奈良の鹿、実は茨城県が誇る常陸国一宮・鹿島神宮からやってきたと言われる鹿の末裔
鹿せんべいをひたすらに狙う姿が頭に浮かぶ方も多いと思うが、あの鹿が野生であること自体あまり知られていないと思う。というより、そもそもなぜ奈良公園あたりに居るのか、その理由こそ知られていない。
もちろん公園の鹿ではない。実は、茨城県が誇る常陸国一宮・鹿島神宮からやってきたと言われる鹿の末裔である。
もちろん公園の鹿ではない。実は、茨城県が誇る常陸国一宮・鹿島神宮からやってきたと言われる鹿の末裔である。
鹿島アントラーズのエンブレムは「鹿」
少しだけ思い出してほしい。茨城県鹿嶋市などをホームタウンにするサッカークラブ「鹿島アントラーズ」のエンブレムを。そう、あれは鹿だ。
というか、「アントラーズ」の「アントラー」も「鋭くとがった鹿の枝角」を意味する上に、マスコットキャラクターの「しかお」は鹿島神宮の鹿だったりする。何というか、色々鹿づくしである。
というか、「アントラーズ」の「アントラー」も「鋭くとがった鹿の枝角」を意味する上に、マスコットキャラクターの「しかお」は鹿島神宮の鹿だったりする。何というか、色々鹿づくしである。
via antinist.com
ではなぜ、その鹿島の鹿が奈良に来たのか?
話は8世紀に遡る。
767年に藤原氏の氏社「春日社(現在の春日大社)」が創建された時、鹿島神宮の神様を勧進(神様を分霊して祀ること)することになった。その際、鹿島神宮の神様は白鹿に乗ってテクテクテクテクと鹿島神宮から奈良までやって来られたのだという。それが奈良の鹿の由来と言われている。
その末裔が今、鹿せんべいを狙っているのだ…。
767年に藤原氏の氏社「春日社(現在の春日大社)」が創建された時、鹿島神宮の神様を勧進(神様を分霊して祀ること)することになった。その際、鹿島神宮の神様は白鹿に乗ってテクテクテクテクと鹿島神宮から奈良までやって来られたのだという。それが奈良の鹿の由来と言われている。
その末裔が今、鹿せんべいを狙っているのだ…。
武神として信仰されている鹿島神・タケミカヅチノミコト
奈良公園内にある春日大社は、全国に3,000近くあると言われる春日神社の総本社で、藤原一族の神社である。
4柱の神様を祀っており、そのトップが鹿島神・タケミカヅチノミコト(他3柱は、フツヌシ、アメノコヤネノミコト、ヒメガミ)。
『日本書紀』「葦原中国平定の段」で下界に降される2柱がタケミカヅチノミコトとフツヌシであり、タケミカヅチは鹿島神社の主神、フツヌシは下総国一宮・香取神社の主神となられており、2柱とも武神として信仰されていたりする。
4柱の神様を祀っており、そのトップが鹿島神・タケミカヅチノミコト(他3柱は、フツヌシ、アメノコヤネノミコト、ヒメガミ)。
『日本書紀』「葦原中国平定の段」で下界に降される2柱がタケミカヅチノミコトとフツヌシであり、タケミカヅチは鹿島神社の主神、フツヌシは下総国一宮・香取神社の主神となられており、2柱とも武神として信仰されていたりする。
via nara-park.com
時代劇などで武道場のシーンがあると、そこに鹿島大明神・香取大明神の掛軸やご神札が掲げられている。これはこの信仰ゆえである。現代でも掲げているところもあると思う。
もし道場などで鹿島・香取のお札を見かけたら、日本の武神なんだな~とか思って頂けたら嬉しい限りである。
もし道場などで鹿島・香取のお札を見かけたら、日本の武神なんだな~とか思って頂けたら嬉しい限りである。
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