【川藤幸三】清原和博が最も尊敬するプロ野球選手!? 松村邦洋のモノマネと共に振り返る!
2023年12月16日 更新

【川藤幸三】清原和博が最も尊敬するプロ野球選手!? 松村邦洋のモノマネと共に振り返る!

元阪神タイガースの川藤幸三といえば、記録よりも記憶に残る選手の代表格。阪神OBの中では知名度はトップクラスで、現在は阪神OB会長を務めています。あの清原和博がルーキー時代、最も尊敬する選手だったとか。松村邦洋のモノマネとともに、川藤の現役時代を振り返ります。

266 view

川藤が野球を始めたきっかけ

球界の "春団治" こと川藤幸三は、1949年7月5日生まれの福井県出身

本格的に野球を始めたきっかけは、なんとあの『スクール・ウォーズ』のモデルとなった同郷の山口良治氏だそうです。伏見工業をラグビー日本一に導いた監督で、元ラグビー日本代表だった山口氏がなぜ?

「川藤 & 清原 対談」の動画で、清原が以下のように説明しています。
野球を始めたきっかけは、ドラマ『スクール・ウォーズ』で有名な伏見工業ラグビー部を日本一に導いた山口良治さんに誘われたから。

山口さんは中学まで野球をやっており、出身中学の野球部員が足りないと知って、悪さばかりしていた小学校6年の川藤さんに「野球部で球拾いでもしよう」と声をかけた。

「アホらしい」と思っていた川藤さんですが、「手伝ったらかき氷を食わせてやる」と言われ、かき氷につられて野球部の練習に参加。

川藤 & 清原 対談

清ちゃんが川藤伝説を深堀り!!

川藤の生涯成績

その後、福井県立若狭高等学校へ進学し、1967年、3年生の時に春夏連続で甲子園に出場。その年のドラフト会議で9位に指名され、1968年に阪神タイガースに入団します。

松村によれば、川藤が出場した夏の甲子園の開会式は1967年8月11日で、その日は正に松村が生まれた日とのこと。因みに、そのわずか1週間後の1967年8月18日に清原が生まれています。こじつけのようですが、松村はこんなところにも川藤との縁を感じているようです。

阪神での19年間の通算成績は、以下の通り。記録についてはよくからかわれる川藤ですが、実は、1968年のドラフト1〜10位指名された選手の中では、最も良い成績を残しています。
試合 打席 打数 安打 得点 打点
771 994 895 211 101 108
本塁打 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球
16 29 30 6 50 13
三振 併殺打 長打率 打率 実働
159 23 .327 .236 19年

ルーキー清原が尊敬する野球選手

清原は、川藤と一緒のチームになったことはありませんが、今では、川藤が最も可愛がっているプロ野球OBの一人です。

川藤が現役を引退した1986年は、清原が西武ライオンズに入団したルーキーの年。二人が現役選手として重なったのはこの1年間だけで、それゆえに、この年はちょっとしたエピソードがありました。

まず、当時注目のルーキー清原が "尊敬する野球選手" として名前を書いたのが、王でもなく、長嶋でもなく、落合でもなく、なんと川藤。「清原 & 松村 対談」の動画で、そのことに言及しています。
僕、ルーキーの年に、尊敬する野球選手・川藤さんって書きましたね。
85年、優勝した年 "代打の神様" ってね。
こんだけ勝負強いって・・・。
バット引きずって出てきて、やる気あんのかどうか。
そうすると、ボコーン!って打つじゃないですか。
中日の抑えの切り札の牛島さんの
フォークを簡単に打ったりとか。

清原 & 松村 対談

調子に乗って清原和博の尊敬する野球選手のモノマネをやったら・・・【コラボ清ちゃんスポーツ】

引退の年にオールスター初出場

そして、その年のオールスターゲーム。なんと川藤は、前年優勝した阪神の吉田監督が全セ(オール・セントラル)の監督だったおかげで、監督推薦でオールスターに出場することになりました。プロ19年目にして初めての出場。奇しくも、ルーキーの清原と並ぶ初出場です。

川藤は、全試合に代打で登場第2戦では、近鉄の小野和義の初球をミートし、左中間を真っ二つに破る会心の一撃を放ちます。一塁コーチに立つ巨人の王監督が手を回し、川藤は二塁を狙いますが、足があまりに遅く余裕でタッチアウト。敵・味方・審判問わず、その場にいる皆が大爆笑で、オールスターを大いに盛り上げました。最後は、2塁を守る大石からボールを渡される微笑ましい光景も。因みに、同じ試合で清原はオールスター第1号ホームランを放ち、MVPに輝いています。

川藤のバッティング - 1986年オールスターゲーム第2戦

86年オールスター代打川藤

通算ヒット数はイチローの一年分!?

川藤の通算ヒット数は、19年間で211本
一方、イチローが1994年に記録した年間ヒット数が210本

ほぼ同じです。

川藤には、この記録をネタにしたとっておきのジョークがあります。
 「イチローは210本のヒットを打ちよりました。皆さんは“すばらしい”と絶賛されたでしょ?あのですね、私はね、実はですね211本のヒットを打っているんです。イチローより1本多いんですよ」

 会場がえっと驚く。川藤は5秒ほどの間(ま)を置く。そしてまた話を始める。

 「私は211本を打つのに18年も費やしました。イチローは、はい、1シーズンで210本です」

 会場がどっと沸く。
「清原 & 松村 対談」でも、通算ヒット数の話が出てきます。しかも、松村は川藤のモノマネで、

「マートンなんてシャレにならんでー。ワシの生涯ヒット数を8月の終わりに打ったらあかんちゅうねん。」

と、かつて阪神にいたマット・マートン(2010年に記録したシーズン214安打)の方をネタにしています。マートンとも交流のあった川藤ですが、この発言の真偽は不明です。

しかし、驚くべきことは、記録は平凡ながら、19年間も阪神タイガースの選手であり続けたこと。しかも、優勝した1985年には常にベンチ入り、引退した1986年にはオールスターにも出場し、最後は華々しい活躍を見せました。それだけ、阪神というチームにとって、記録以上に川藤の存在が大きかったということかもしれません。

通算代打サヨナラ打6本!

記録の話をするとネタになってしまうのが川藤ですが、しかし、川藤のピカイチの勝負強さを証明する脅威的な記録もあります。それが、通算代打サヨナラ打6本!

「川藤 & 清原 対談」の動画によれば、いまだに破られていないセ・リーグ記録だとか。しかも、打った相手投手が、巨人の新浦壽夫、角盈男、広島の大野豊、川口和久、大洋の斉藤明夫、遠藤一彦と各チームのエース級ばかり。中でも、角に対しては通算打率.370と相性の良さを見せていました。

川藤は「こいつ打たんかったらクビや。だから、まぐれやっちゅうねん」と謙遜気味ですが、この記録を見れば、清原が尊敬する選手として川藤を挙げるのも頷けるでしょう。
25 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【清原和博】縦縞を横縞に!でも阪神ではなく巨人を選んだFA裏話

【清原和博】縦縞を横縞に!でも阪神ではなく巨人を選んだFA裏話

1996年のオフシーズン、当時、西武ライオンズの選手だった清原和博がFAを宣言して、その移籍先が話題となりました。候補は2球団で、阪神タイガースか読売ジャイアンツ。最終的には巨人を選びますが、なぜドラフト会議で切られた因縁の球団を選んだのでしょうか。当時のことを、清原和博が松村邦洋に語ります。
izaiza347 | 294 view
1985.阪神タイガース優勝劇 阪神が優勝すれば日本は変わる!バックスクリーン3連発、道頓堀ダイブ、カーネル・サンダースの呪い

1985.阪神タイガース優勝劇 阪神が優勝すれば日本は変わる!バックスクリーン3連発、道頓堀ダイブ、カーネル・サンダースの呪い

1985年、虎が長い眠りから覚めると、日本は熱狂のジャングルと化し、その優勝劇は、まさに「Tigers The Movie」、まるで映画のようでした。
RAOH | 2,007 view
【パンチョ伊東】ドラフト会議の名司会!松村邦洋のモノマネとともに振り返る!

【パンチョ伊東】ドラフト会議の名司会!松村邦洋のモノマネとともに振り返る!

パンチョ伊東といえば、長年ドラフト会議の司会を務め、あのハリのある独特の名調子で、指名発表の瞬間を盛り上げました。「第1回選択希望選手、読売、桑田真澄、投手、17歳、PL学園高校」。今は、松村邦洋の完成度の高いモノマネで、いつでもあの声が復活します。彼のモノマネとともに、パンチョ伊東の名司会ぶりを振り返ります。
izaiza347 | 343 view
猛虎旋風、広岡西武、KKドラフト…85年のプロ野球を特集した「よみがえる1980年代のプロ野球Part.1」が発売!

猛虎旋風、広岡西武、KKドラフト…85年のプロ野球を特集した「よみがえる1980年代のプロ野球Part.1」が発売!

ベースボール・マガジン社より、80年代のプロ野球を特集した書籍「よみがえる1980年代のプロ野球」の第一弾となる「Part.1 [1985年編] (週刊ベースボール別冊空風号)」が現在好評発売中です。
隣人速報 | 1,583 view
【バース】歴代シーズン最高打率!シーズン最下位のヤクルトの勝率と全く同じだった!?

【バース】歴代シーズン最高打率!シーズン最下位のヤクルトの勝率と全く同じだった!?

日本のプロ野球の歴代シーズン最高打率は、1986年にランディ・バースが記録した.389。シーズン途中までは打率4割も期待され、あのイチローも抜けなかったとんでもない日本記録です。一方、この年はもう一つのユニークな記録がありました。それが、セ・リーグの最下位だったヤクルトスワローズの勝率。一体どういうことでしょうか?
izaiza347 | 130 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト