原 辰徳
1980年代から1990年代中盤にかけて巨人の4番打者を務め、ON時代後の巨人を支えた。
1980年、プロ野球ドラフト会議において、1位で巨人に入団。背番号は「8」。
1981年 開幕からスタメン出場、22本塁打を放ち新人王を獲得。以後12年連続20本塁打以上を記録。
1983年 MVP、打点王、最多勝利打点を獲得。
現在は読売ジャイアンツ(巨人)監督、同球団名誉顧問。
原くんアイス
1980年代前半に明治乳業が「原くんアイス」というソーダ味のアイスを発売しました。
via f.hatena.ne.jp
この「原くんアイス」、発売時点で生きている人間がキャラとして使われた食品の元祖と言われているそうです。
「原くんアイス」は、当たりが出るともう1本という“当たりクジ付アイスだったんですが、このアイスを発売した頃の原辰徳は、巨人軍の4番打者でありながら徐々に打率が悪くなってきた頃だったため、子供達の間では【なかなか当たりが出ない原くんアイス】なんて揶揄されてました(笑)
「原くんアイス」は、当たりが出るともう1本という“当たりクジ付アイスだったんですが、このアイスを発売した頃の原辰徳は、巨人軍の4番打者でありながら徐々に打率が悪くなってきた頃だったため、子供達の間では【なかなか当たりが出ない原くんアイス】なんて揶揄されてました(笑)
叩かれ続けた4番打者
現役時代の原辰徳は、「チャンスに弱い」「ポップフライが多い」など、結構ボロクソに叩かれてました。
■「チャンスにポップフライ」
勝負弱さは凄まじいものがあった。二死満塁のチャンスで必ず披露されるある意味芸術的とも言える内野ポップフライはファンの怒りを買い、現在の村田修一をはるかに凌ぐ頼りない四番打者であった。
■「焼け石に水のホームラン」
大差で勝っているか、負けているかの時にホームランをポンポン打ってました(チャンスにはポップフライ…)。
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巨人軍の原辰徳はチャンスに強かったですか? - 意外と打ってるんですが、チャンスでの凡退のイメージが強すぎる為、一般的にはチャンスに弱いという印...