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この事態を重く受けた周囲からは、引退を勧告する声もあったが、千秋楽後に時津風理事長との話し合いの末、若乃花本人が現役続行を志願。翌場所から2場所連続全休して再起を図った。
そして、翌2000年、まだケガが完治せず稽古不十分なまま「ゲンの良い」同年3月場所への出場を志願。「もう一場所待て」という親方の説得を振り切り、自ら進退を掛けて強行出場した。
だが、そうした気概と取組の結果が伴わず、5日目の栃東戦で敗れて2勝3敗。この栃東との相撲を最後に、現役引退を発表した。
記者会見では引退の理由を「体力を補う気力が限界に達しました」とコメント。当時の若乃花はまだ29歳2か月の若さで、横綱在位は11場所だが、その内皆勤したのはわずか5場所であった。
そして、翌2000年、まだケガが完治せず稽古不十分なまま「ゲンの良い」同年3月場所への出場を志願。「もう一場所待て」という親方の説得を振り切り、自ら進退を掛けて強行出場した。
だが、そうした気概と取組の結果が伴わず、5日目の栃東戦で敗れて2勝3敗。この栃東との相撲を最後に、現役引退を発表した。
記者会見では引退の理由を「体力を補う気力が限界に達しました」とコメント。当時の若乃花はまだ29歳2か月の若さで、横綱在位は11場所だが、その内皆勤したのはわずか5場所であった。
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最後の対戦相手だった関脇(当時。その後大関)の栃東は、奇しくも明大中野高校の後輩でもあり、若乃花は高校の後輩として面倒を見ていた栃東ならば、最後の対戦相手として不足はない、と考えていたという。
翌日の対戦相手が栃東と決定した際、女将(当時)で実母の憲子が電話で「明日栃東でしょう。良かったわね」と話すと、若乃花も「そう。よかったよ、ダイスケで」と喜び、この電話で二人は「栃東戦が最後の一番」と、通じ合っていたという。
翌日の対戦相手が栃東と決定した際、女将(当時)で実母の憲子が電話で「明日栃東でしょう。良かったわね」と話すと、若乃花も「そう。よかったよ、ダイスケで」と喜び、この電話で二人は「栃東戦が最後の一番」と、通じ合っていたという。
”横綱昇進”と同時に”引退”を考えていた若乃花
若乃花はもともと角界には入るつもりはなかった。ただ、両親から「弟を守る壁になれ」と迫られ、横綱になったら引退して好きなことをさせてもらう約束で入門した。
その為、1998年に横綱昇進が決まった際、入門時の約束通りに引退すべく、伝達式の口上で決まり文句「謹んでお受けします」ではなく、「謹んでお断りしてよろしいでしょうか」と言うつもりだったが、ここでまたも両親に反対され、仕方なしに横綱になったという。
結局、伝達式の口上では「『堅忍不抜』の精神で精進していく」と述べている。
その為、1998年に横綱昇進が決まった際、入門時の約束通りに引退すべく、伝達式の口上で決まり文句「謹んでお受けします」ではなく、「謹んでお断りしてよろしいでしょうか」と言うつもりだったが、ここでまたも両親に反対され、仕方なしに横綱になったという。
結局、伝達式の口上では「『堅忍不抜』の精神で精進していく」と述べている。
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引退後の2001年にアメフトのNFLに挑戦した若乃花。意外過ぎる挑戦に思えたが、本人としては実は相撲よりアメフトの方がしっくりきていたのかも知れない。
若乃花は、日本の社会人アメフトリーグ「Xリーグ」のオンワードスカイラークスにラインバッカーとして入部し、キッキングチームなどで計3試合に数プレー出場している。
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「体力を補う気力が限界に達しましたので、本日をもって引退させていただきます。私を支えてくださったみなさんに感謝とお礼を申し上げます。マスコミのみなさんにはお世話になりました。ありがとうございます。」