中村俊輔のサッカーノート Fantasista 破壊的なまでに超攻撃的サッカーは相手を完膚なきまでにたたきのめし、みる者を魅了する
2020年9月17日 更新

中村俊輔のサッカーノート Fantasista 破壊的なまでに超攻撃的サッカーは相手を完膚なきまでにたたきのめし、みる者を魅了する

Fantasista(ファンタジスタ)とは、サッカーの国、イタリアで生まれた言葉で、ファンタジア(創造、想像力)を持つ選手、思いもつかないプレーで一瞬にしてチャンスをつくりだす特別な選手を指す。

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2000年後半、サッカーノートに書いた目標は

短期目標
「自分のプレーを見せつける」
「コンフェデに出る、代表に入る」
「楽しむ(負けず嫌いを出す)」
中期目標
「自分のプレーに満足せず向上心を持って努力し続ける」
「海外のチームからオファーがくるようにする」
「代表での自分のポジションを確立させる。
中心になる。
10をつける」
長期目標
「人から尊敬されるプレーヤー、人間になる」
「世界のトッププレーヤーになる」
「日本代表で10をつけてプレーする」

「いつも危機感を持って試合をしろ」
「目標に向かって全力で取り組め」
「上に行くためにはJでアピールしろ」
「弱みをみせるな」
「アシストよりゴール」
「気持ちのみえるゲームを」
「自信とアイデアにあふれたプレー」
「自分から攻める気持ち」
「アピールし続ける」
「1試合1試合目標を立てる」
「どんなヤツでも勝ってポジションを獲る」
「あきらめたらそこで負け」
「争うことで自分をレベルアップする。
争いから逃げない」
「争いに勝つ」
「ゲームで自分が1番目立つようにする」
「周りのうるさい声はプレーで黙らせる」
「モチベーションを上げる」

だった。
2000年8月、たらみオールスター出場。
9月、シドニーオリンピックが開催され、サッカー競技には各大陸で行われた予選を通過した16チームが参加した。
日本は、予選グループリーグ戦を、南アフリカに2対1、スロバキアに2対1、ブラジルに0対1で、メキシコオリンピック以来32年ぶりに決勝トーナメントに進出したが、準々決勝でアメリカにPK戦の末に敗れ、ベスト8となった。
中村俊輔は全試合に出場し得点に絡んだ。
左サイドでのプレーが多かったが、ブラジル戦では中田英寿に代わって得意の真ん中でプレーした。

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10月、レバノンで行われたアジアカップに日本代表として参加。
開幕戦、サウジアラビア戦では、名波浩と中村俊輔がポジションチェンジを繰り返しながらボールを動かし崩していった。
前半26分、中村俊輔が左サイドから逆サイドに振り、森嶋寛寛が折り返し、柳沢敦が詰めて先制。
後半8分、中村俊輔-柳沢敦-名波浩とつないで3点目。
終了間際のオウンゴールを含め4対1で快勝した。
第2戦、ウズベキスタン戦、8対1。
第3戦、カタール戦、1対1。
準々決勝、イラク戦、4対1。
準決勝、中国戦、3対2。
決勝、サウジアラビア戦、1対0.
日本代表は、中村俊輔、稲本潤一などのオリンピック代表の若手と名波浩などの経験豊かな選手がかみ合い、1992年の広島大会以来の2度目の優勝。
中村俊輔はこの大会で全6試合中、5試合出場5アシスト。
ベストイレブンに選ばれた。
12月2日、9日、ホーム&アウェイで、Jリーグの1stステージ王者:横浜F・マリノスと2ndステージ王者:鹿島アントラーズが戦って年間王者を決める「Jリーグチャンピオンシップ」が行われた。
「どうしても勝ちたい」
という気持ちがあまりにも強かったため、負けてしまったとき中村俊輔の頭は真っ白になってしまった。
2000年シーズンの主な成績は

シドニーオリンピック、ベスト8
アジアカップ優勝。
オリンピック日本代表と日本代表を掛け持ちしつつJリーグ30試合5得点
Jカップ4試合1得点
JリーグMVP(22歳、最年少)

だった。
プロ1年目は毎日の練習が刺激的で、2年目でほぼ全試合に出場し、3年目で背番号10になり、4年目でJリーグMVP。
着実にJリーグの頂点に近づいていき
「極端なことをいうと試合では何でもできるという感覚」
で試合も練習も70%の力を出せばできるし勝てるというぬるま湯のような状況だった。
中村俊輔は環境を変えなければと考えるようになっていた。
小野伸二がオランダのフェイエノールトへ、稲本潤一がイングランドのアーセナルへ、高原直泰がアルゼンチンのボカ・ジュニアーズへ、同年代の選手が海外に移籍するのをみて
「いずれは・・」
と思った。
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