ピッチ、使ってた?今思えば不便なこともあったPHSの機能
2023年3月5日 更新

ピッチ、使ってた?今思えば不便なこともあったPHSの機能

ピッチの愛称で親しまれていたPHSを昔使っていた人も多いと思います。今思い返してみると不便なこともなかなか多かったですよね。PHSの機能や歴史を振り返ってみました。

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PHSの誕生

PHSは「Personal Handy-phone System」の略で1995年に登場しました。パーソナルハンディフォンシステム ということで個人で使える気軽な電話、という感覚でしたよね。
最初に発売したのはNTTパーソナル(当時)とDDIポケット(当時)です。

まだまだ携帯電話は高級品だった時代なので、学生で持っている人は少なく、ポケベルを使用してる人が多かったです。そんな時に手軽なPHSが登場し、ポケベルから切り替える人も多かったです。

PHSは固定電話の回線を利用して通信を行っていました。半径500m程度をカバーするアンテナを設置し、PHSからアンテナまでは無線、その後は固定電話の有線を使うというシステムですね。基地局が小型で多数設置する必要があったので都市部では普及していましたが、地方では電波が届かないことが多かったですね。

反対にPHSは地下に強いという面も持ちました。首都圏で生活する分にはPHSで全く問題なかったですが、大学で出会った地方出身の友達は携帯派が多かったです。

また、当時は携帯電話の通話品質が悪く、PHSの方がクリアに通話できたため、仕事で活用する人も多かったです。それぞれ得意分野が違うので二台持ちしている人もいましたね。

最初はPHS←→携帯電話間の通話ができなかった!

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今思えば本当に考えられないことなのですが、発売当初、PHSと携帯電話間の通話はできませんでした。1996年に相互通話が可能になるものの、料金はかなり割高になってしまいました。PHS間の通話、固定電話への通話、携帯電話への通話で料金が違ったんですよね。

私もPHSを持っている時、携帯電話の友達には家電からかける、などの方法を取っていました。

ですが頻繁に連絡を取るにはそれでは不便なので、家族や友人同士で携帯電話にするか、PHSにするか合わせて使っていました。やはり安価なPHSの方が購入しやすいのでPHSが急速に普及していったのです。

1997年にはメッセージ機能が登場!

1997年にはドコモからメッセージを送れる機能が登場します。当時はまだ携帯電話にはメール機能がなく、PHSならではの機能でした。

1件10円、そして文字数も20文字程度と限られていましたが気軽にメッセージが送れるのがよかったですよね。といっても、10円かかるので今のLINEほど気軽ではなかったですが。

そして初めの方はもちろん漢字入力などはなく、カタカナのみ。ポケットベルに近い感覚でしたよね。機種によっては固定電話からもポケベルのようにメッセージを送ることができました。

DDIのPメール、アステルのAメール、モジトークと他の会社の機種にもメッセージ機能が付きますがこれまた「同じキャリアじゃないとメッセージが送受信できない」という問題がありました。

ですから携帯やPHSを持つとき、どちらにするか、どの会社にするかで悩んだものです。誰と同じにするかで悩むわけですから今思うと恐ろしい。その代わり、同じキャリアのPHSを使っているとそれだけで親近感が芽生えるというのもありましたね。今ではどの会社だろうと特に関係がなくなっていますもんね。

DDIならテレネームで無料でメッセージ送信!

当時、DDIポケットには「発信テレネーム」という機能がありました。発信者の名前を知らせるために通話と同時に最大19文字の言葉を送ることができました。テレネーム対応機種でしか使えないのですが、この機能を使って無料でメッセージのやり取りができたのです。

メッセージを入れて相手に電話、ワン切りし、メッセージを残すのです。メールが10円の時代ですから、タダでメッセージを送れるのはうれしいですよね。通称「ただベル」とも呼ばれていました。ただし、相手が間違えて電話に出てしまうと通話料がかかってしまい痛手になります。

これは企業では想定していなかった使い方だったそうですが、若者の間で1998年夏ごろに広まりました。このメッセージのおかげで回線がパンクすることもあったそうでDDIが捜査を行い、無料でメッセージのやり取りがされていることを知ったわけです。

そして1999年7月には、テレネーム機能は使用できなくなりました。

短い期間の話ですが印象に残っています。思い返せばまさに1998年に使っていました。

「DX」になりキャリアを超えたメッセージ交換が可能に!

そして、1998年にはメール機能が進化!

NTTはきゃらトーク、DDIはPメールDX,アステルはAメールプラスとなり、漢字なども送れるようになります。ただしこちらも最初は異なるキャリアへの送信ができず、のちに共通化します。

またメッセージはセンターを経由して送られるのでなかなか届かないこともあり「センター問い合わせ」をしましたね。これをやってメッセージが来ていないとちょっと凹みました。

その後、携帯電話にもメール機能が付きますが最初は相互やり取りができず、だんだんとすべてが共通化していきます。

PHSの衰退

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PHSの契約件数のピークは1997年でした。2000年になると、インターネット機能やカメラ機能などが付きどんどん便利になっていきます。シンプルで手軽な電話から変わっていったんですね。

一方、携帯電話も進化していき機能性は上がり、料金は下がっていきました。回線も安定し、通話品質も良くなったのでPHSから携帯電話に移行する人が増えていったのです。

先ほどからたびたび出てくる、キャリアが違うと不便だった、PHSと携帯電話間のやり取りが不便だったというのがなくなりすべてがフラットになっていきます。

友達とキャリアを合わせる必要もなくなったことも手軽に携帯電話に機種変更していった要因の一つでしょう。

個人利用は減っていき、2021年にサービスが終了していますが、会社内などで使える構内PHSは当面の所サービスが続きます。範囲の広いコードレスフォンという感じですね。PHSの電波は微弱なので特に病院などでは重宝されていますよ。

手にしたときはとても嬉しかったPHSですが振り返ってみると結構不便でしたよね。でもそんな時代も懐かしい思い出です。
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