2016年10月26日 更新
20代は魔性を秘めた美貌の少年。30代は我がままな光速豚だったイングウェイ・マルムスティーン。今は50代に入り円熟味を発揮させるのか?
イングウェイ・マルムスティーンの生まれは1963年6月30日。出生地はスウェーデン・ストックホルム。クラシックとヘビーメタルロックを融合させた超早弾きのギタリストで有名。ロック・ギターにヘビーメタル性とクラシックの要素を融合させ、驚異的な超絶早弾きでギター奏法に大革命をもたらした。日本においてのみマルムスティーンはギターの王者と呼ばれる。現在の活動拠点は米国が中心。
イングウェイ・マルムスティーン誕生
幼少期の音楽環境
子供の頃、ストックホルム時代、両親が離婚。母方で引き取られ、幼くして、我がままかつ「自由奔放」に育つ。幼くしてピアノやトランペットを買い与えられるが、どれも長続きしなかった。
というより、甘やかされてきたおかげで粗暴な少年となり、不登校気味になった。加えて母親は、不登校にもかかわらず、家でギターの練習をすることを許したため、傲慢さにさらに拍車がかかり、たっぷりとギター練習を重ねることが出来た。逆に傍若無人の性格に関わらず、イングウェイは努力の人で、世界超一流のギタリストになるまで、練習の鬼であった。このことは正直に評価されてよい。
イングウェイはギターキッズの一人
幼くしてジミヘンに傾倒し、ディープ・パープルのリッチー・ブラックモアに憧れる
ジミ・ヘンドリックスの死がイングウェイに影響を与えた
心の恩師=リッチ―・ブラックモア
ジミ・ヘンドリックスが死去した1970年にイングウェイは7歳だった。TVでジミヘンの特集番組を見て、イングウェイはギターに対してさらなる興味を持ち、練習を重ねた。また、姉からディープ・パープルのアルバム「ファイヤー・ボール」を譲り受け、リッチー・ブラックモアから多大な影響を受ける。ブラックモアのギターをコピーする日々が始まった。どうやら、彼の音楽の影響には、姉の存在が少なからず働いていたようである。この頃からクラシックも聴き始め、ヴァイオリンで有名なパガニーニの旋律をギターで弾くことに挑戦していたという。
Yngwie Malmsteen - Paganini 4th violin concerto
フェンダー・ストラトとマーシャル、敬愛するギタリストと同じ組み合わせ
ストラトキャスターとマーシャルそしてイングウェイ
使用機材は一貫してフェンダー・ストラトキャスターとマーシャルのアンプ。ここでもジミ・ヘンドリックスやリッチー・ブラックモアの影響が見て取れる。
フットペダルに膝蹴りか?
彼(イングウェイ)はフットペダルをとても激しく踏みつけるのでそれらをよく壊す。彼は激しく踏むとエフェクターがよく効くと思っているようだ
ストラトキャスターにオリジナルな加工
イングウェイの弦は通常のセットより太いヘヴィーボトムのセットを使用し、弦のアクションは高くセットされている。これが彼のトレードマークとなっている「スキャロップド・フィンガーボード」という独自の加工がなされており、これによって軽いタッチで押弦出来ることからあの驚異的な早弾きが生み出されるとのことである。
所有するフェンダーのストラトキャスターの数は200本以上、マーシャルヘッド・アンプは40台近くを所持している。ベースも多数所有しており、フェンダー・ジャズベースは全てフレットレスにしてある。
フレット間の窪みに注意
出自の毀誉褒貶
母方マルムスティーン家は貴族だった?
イングウェイの自伝
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